昨年末くらいに X(旧ツイッター)でこの本について流れてきたので、取り寄せて読んでみた。
2021年の末には浜松市楽器博物館に行って楽器の変遷を知って興味を持った。
昨年受けたチェンバロレッスンではウィリアム・バードの「そんな荒れた森へ行くの?」を習って、それ以来『フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック』にはまってしまった。
クラシック音楽で思い浮かべるよりちょっと前のバロック時代がチェンバロの黄金期だと思うが、それよりさらにちょっとまえのルネサンス期の音楽なんである。15世紀中ほどから16世紀いっぱいくらいまでだ。○○世紀って序数なので、16世紀は1500年代です。老婆心です。
まあそういうわけで、音楽と歴史が重なるジャンルに興味が出てきたのだ。
『ミュージック・ヒストリオグラフィー』はヒストリーではない。音楽の歴史のそれよりひとつ上の階層から俯瞰する分野だということが分かった。メタです。
そもそもどうして音楽の歴史についてこのような記述をするのか? という風にセルフ突っ込み分野です。記述は時間の経過とともにどのように変化したか? とかね。
モーツァルトだベートヴェンだと作曲家の肖像画が音楽室に貼られているのはなぜか? とか、 過去のクラシック界で女性作曲者が少ないのはなぜか? とかね。
セルフ突っ込みが多いと心が痛くなってくるけれど、読者が飽きないように、へーと思わず言ってしまうような なんならちょっとお下品なトリヴィアが多くて面白かった。
クラシック音楽の楽譜を現代人が読めるように清書する話が1741年~のヘンデル『メサイヤ』を例に挙げて述べられている。いやあ、何を原本にするのかを決めるのも大変だ。これは古文の文献と同じ手法だな。
たとえば今J.S.バッハの楽譜を手に入れようと思ったとき、ちょっと調べれば何種類も出版されていて目移りする。国内版の良心的な価格のものもあれば輸入版で高価なものもある。
同じ曲なら同じじゃないの !? と思うし実際ほとんど内容に違いはないんだけれども、ちゃんと練習しようと思うなら やはり最新の研究の成果が反映されている版を使いたいという欲は出てくるものだ。
これがメジャーな大バッハだったりするから何種類も楽譜が出版されているわけだが、メジャー度が下がるにつれて出版されている種類も減るし値段もぐんと上がるんだよなあ。 愚痴ってしまいました。
話のネタとして聞く分には へー で済んでしまうけれど、専門分野となると昔の資料を総ざらいして事細かに論じるから調査量が半端じゃなくて、研究者ってすごいなあ、と思いました