もう忘れてしまいそうなので写真のみを駆け足で・・・
法要に先立って、奈良・京都のお寺をぐるりと巡りました。
11/07 法隆寺 (1) 法隆寺南大門 (2) 法隆寺中門へ向う (3) 左側は唐門と上土門 (4) 奥側の屋根は護摩堂 (5) 飛鳥建築の粋を集めた中門・左右に立つ金剛力士像は奈良時代 (6) 日本最初の世界文化遺産法隆寺の金堂と五重塔 (7) (8) 中門(正面)を入った境内の様子、左端にチラッと見えてる五重塔 (9) 印象的だった 木の長い回廊 と 土の長い壁 (10) (11) 桜紅葉を透かして見る法隆寺五重塔 柿色の桜紅葉や法隆寺 ふじ
列を乱すわけにも行かず 背伸びして写真を撮っただけでしたーー。 (13) ハーイ 法隆寺夢殿はこちらで~す (14) (15) たしか夢殿をあとにしたところ・添乗員さんは忙しい^^ 約2時間、こんな調子で行列で移動し、前のグループが済むのを 順番に待っては見学するという人の多さでした。 はじめて訪れたわけではないのですが、 見覚えのあるところは何一つありませんでした!><! 法隆寺境内図はこちらです。 |
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11/08 宇治平等院 (1) 平等院鳳凰堂 (2) (3) 鳳凰堂の姿はさすがにうつくしい! ぐるっと廻った庭にはこんな御影石が置いてあったりしたのですが・・・・ 少々足に堪えてきてましたので最短距離で^^済ませました。 |
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11/08 園城寺(おんじょうじ)[三井寺] (1) 経堂前から見た 三重塔 (2) 芭蕉の句碑 と 奥に見えるのが 経堂 (3) 三井寺の門たたかばやけふの月 元禄四年 芭蕉 (莫山かく) 芭蕉のこの句は、唐の詩人 賈島(かとう)が月下にたたいたという門を、 同じようにたたこうではないか という意を含ませたものだという。 「推敲」の言葉もここからきたのだという話など ⇒ (浪漫紀行 三井寺) 広々としたそぞろ歩きにぴったりのとても興味深い境内でしたが、 なだらかではありますが坂道を一山巡ることになるので、みなさんについて行くのは止めて下のほうでうろうろと、「たかおもみじ」だという小さなもみじ葉などを見上げていました。 ということで、弁慶が引き摺ったとか、撞くと「イノーイノー」と鳴ったので「そんなに帰りたいのか!」と弁慶が怒って投げ捨てたなどという話の残る「鐘」も見なかったのです・・・・・ザンネン (4) たかおもみじ |
コメント欄ではもったいないのでこちらにあげさせていただきました。
・・・・・ 照れまんさんのコメント(2012/02/06)「三井寺」より ・・・・・ こんにちはー 私は平等院も三井寺も行ったことが無いのです。 平等院は藤原氏の別荘のようなものですよね。死後の世界を意識して造らせたのでしょうか??阿弥陀如来の世界、極楽浄土を創造しているのですよね。 次は三井寺です。ここは一度は行って見たかったのに行けぬままでした。 このお寺は確か密教だったと思います。密教と言えば、高野山金剛峰寺が有名ですよね。 あの、弘法大師です。 こちらは、比叡山の天台宗。私の記憶は当てになりませんが、天台宗は密教部門が手薄だった。 そこで、中国に留学させた僧が密教の奥儀を修めて帰ってきた。 そこで、この三井寺を密教部門の天台密教の寺院にした、のではないかと思います。 今は、天台宗からは離れて、独立しているのだと思います。 三井寺から琵琶湖の左側(西)を北に少し行くと、堅田と言う所があります。 一休さんが若い時分其処のお寺で修行に励んできますし、ほんの少しあと、本願寺を焼き払われた蓮如さんが、堅田に逃げて暫らくそこで生活しています。 芭蕉さんの記事も嬉しいです。リンクも見せてもらいました。ありがとう! このあたりは歴史の宝庫ですね。 |
・・・・・ 照れまんさんのコメント(2012/02/07)「鑑真さん 」より ・・・・・ こんにちはー ついでだから、もう少し書きますね。 仏教は入ってきた時から、國が管理・管轄するもので、天皇や朝廷が命令して寺院を建てていたのです。仏教は中国で翻訳された経典なのでとても難しいもので、それがすらすら読めて、理解できる人はほんの僅か。それで、天皇が認めた人だけが僧侶として認められたのです。 いわゆる、上級国家公務員のようなものです。しかし、いちいち天皇さんがどんな知識があるかを試験して見極めるのは、忙しいし難しいですよね。それで、天皇さんが認めた高僧だけに戒壇と言うのを作らせ、そこで修行をしてもらい、その座主と言うか管長というか高僧が認めた人だけが、僧侶の資格がもらえるようにしました。東大寺の他、九州と東国にたった三つの寺しかありません。受戒とか、最近は得度と言った方が解りやすいですね。免許がもらえたわけです。 ところが、僧侶になるには何十年も修行が必要だし、合格する人は僅かしか出てきません。寺は沢山建てたいのに、僧侶が足りません。 そこで、中国で戒律を修めたホンマモンの僧侶を招いて、戒律を教えてもらい、修行をさせて若い僧侶を育てて受戒させて、印綬を授けてもらいたい、と思って招かれたのが鑑真さん。 鑑真さんを唐から招いて建てたので、唐招提寺。 これが、天平から奈良時代。 その後、平安時代、最澄さんや空海さんが中国で勉強してきたので、それぞれ 比叡山と高野山に寺院を建てるのが認められます。最澄さんは天台宗の比叡山延暦寺を建てます。最澄さんの死後、比叡山延暦寺にも戒壇を設けることが許可され、ここでも受戒、印綬が授けられるようになります。得度が出来るようになります。正式の僧侶になれるようになります。 後に 比叡山で勉強して得度した人に 法然さんや親鸞さんが出てきます。親鸞さんは後に浄土真宗を開きます。 その他、栄西さんは後に臨済宗を開きます。臨済宗の中からずーと後に一休さんが出てきます。道元さんは曹洞宗。日蓮さんは日蓮宗を開くことになります。みんな比叡山で勉強して独立していくことになります。 得度と言うのは、今では西本願寺や東本願寺でも受けることは出来ます。 興福寺や平等院は貴族が建てたもの。どちらも藤原氏が建てたものですね。 興福寺や比叡山延暦寺は大名くらいの権勢を誇ることになります。 長くなるので、これくらいで 止めておきます。じゃ、また・・・・。 |
・・・・・ 照れまんさんのコメント(2012/02/09)「西本願寺」より ・・・・・ さてさて、今回の旅もようやく 西本願寺にたどり着きました。 前のコメントで、親鸞さんが浄土真宗を開いたと書きましたが、これには間違いと言うか異論がある人が多いと思います。 親鸞さんは浄土真宗を開いてはいず、ずーと天台宗の僧で、法然さんの弟子として生きていました。 浄土教と言うのは色んな矛盾を含んでいました。南無阿弥陀仏を唱えただけで極楽浄土にいけるなんてそんなバカなことがあるかと、当時は反発されて、法然さんも親鸞さんも流罪にされました。僧侶と言うのは、修行して苦しい中から悟りを開くもの。 親鸞さんは自分の寺を建てたり、独立した教団を造ろうなどとは全く考えず、矛盾に答を出すべく、ひたすら教義を深める学僧・思想家として、貧乏なまま間借りして、本を書き続けていた人です。その書物の中に「浄土真宗」と言う言葉が出てきて、親鸞さん自身が正しい浄土教と言う意味で使っていたようです。それで、後に浄土真宗と呼ばれるようになったようです。 親鸞さんは茨木や群馬の方の東国に長くいたので、そこに親鸞さんを慕う人達がいました。 死後10年くらいして、東国の人達が寄付を集めて、京都の東山に小さな廟堂を建てます。東国の人たちは其処を守ることが出来ないので、親鸞さんの娘さんが其処を守る、いわゆる留守職 と言うのになります。 孫の代になりようやく小さな寺を建てます。60年くらい後です。その時寺の名前を付けたのですが、比叡山からその名前は駄目だと言われます。それで、次に2番目に「本願寺」と言う寺の名前にします。その名は他に無かったので、やっと比叡山が認めてくれます。 その後 第八代留守職の蓮如さんの頃にも、まだ天台宗の一末寺に過ぎませんでした。毎年 年貢や上納金を比叡山に納めていました。すごい貧乏寺で、関東の門徒宗が年貢を比叡山に運んでいました。 そんなことや、色々なことで蓮如さんが比叡山に決別宣言、独立宣言をしたわけです。それで、比叡山の逆鱗に触れ、焼き討ちされたのです。 三井寺も当時は比叡山と喧嘩して、比叡山から独立していたのです。それで、蓮如さんを助けたようです。 もっと書きたいのですが、長くなるので これくらいにしておきます。 じゃ、また・・・・。 |
たくさんのことを知ることができました。ありがとうございました!!
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(a) 二日目早朝、ホテルから見た奈良駅・ちょうど電車が入ってきました
(b) 三日目宿からの眺望 びわ湖(南湖方面)の夜明け
(c) 部屋の露天風呂からの夜景・・・ (e) 琵琶湖を後に・車窓より .
・・・は、チョット無理でしたネェ 一路今回のメイン会場京都へ .
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11/09 西本願寺 (1) 「親鸞聖人750回大遠忌法要」会場・西本願寺 (2) 西本願寺には、親鸞聖人自筆の著述等もあり、 書院など重要な文化財が数多く、 1994(平成6)年には 世界文化遺産にも登録されています。 書院・唐門・飛雲閣の参観も出来ましたが、写真は唐門のみです。 (3) 唐門 法要は御影堂で、昨年(2011年)4月から親鸞聖人の750回忌にあたる本年1月16日まで、50日以上にわたり執り行われてきたようです。 一日に午前午後の2回行われていますが、私たちはその午前の部に参拝いたしました。 参拝席は3500席(椅子席)で土足厳禁。 ビニール袋が渡され、入堂途中に設えられている長いスロープで前進しながら、50人ずつぐらいが一斉に、左側で下足を脱いで右側に移る様になっていて、参拝者がうろうろ滞ることなくスムーズに入堂できるように考えられていて、感心しました。 テキパキ世話をされる皆さんの細かい心遣いも、さすがでした。 (4) 法要前の会場の様子 (5) ↑ 記録係も立派なお坊さん。 3500人の参拝者に行き渡るべく 大小たくさんのモニターが設置されていて ↑ その画面に会場の様子や正面のアップが常時映し出されていました。 (6) 雅楽を奏でながら続く入堂の列 法要はとても厳かに執り行われました。 入堂された関係諸僧さんは何人だったのでしょう、、、 1月16日が400人だったそうなので、それよりは少なかったとは思いますが、私の目の前の入堂だったので身が引き締まる思いがしました。 私にとって、お念珠を持ってのお寺めぐりも初めてのことなら、こんな厳粛な法要に参拝するのも初めてでした。 足の悪い私を、行く先々でいろいろ気遣ってくださる皆さんに囲まれて、50年に一度のこんな機会に恵まれ参拝できたことをしみじみ感謝の旅となりました。 この先きっといつか、この体験が私を助けてくれる^^? そんな機縁となるはず・・・・ と言う気がしました 。 *親鸞聖人750回大遠忌法要* |
以上、新大阪からは7台のバスに分乗という大所帯での2泊3日の団参、
駆け足の積りがこんなに長くなってしまいました
これは素晴しい!!
いい旅行をされましたね。どこも最高の寺院ばかりではないですか。
写真も素晴しくて、どれも奇麗に撮れていますね。
この記事は 本当に素晴しい。
YOU-TUBE も見せてもらいました。
とりあえず ・・・・、またゆっくり来ますので、ヨロシク。
もっと説明を書き留めておけば自分の覚えにもなると思うのですが、それには調査も必要になってくるのであきらめました。
どちらのお寺も、コスモスさんのように何度もゆっくり訪ねたいお寺ばかりでした。
外観こそ写真で残りましたが、どの建物にどの仏さまがいらっしゃったやら・・・・? もうさっぱりですー><ー;;
どの寺も、それ単体で記事になるボリュームと美しさだね。高校の修学旅行で行ったけど三井寺だけ記憶からすっぽり抜けてる。行ったとおもうけどなぁ。
敗荷(やれはす)のゆらりと揺れて作務衣の背 ふじ
いいねぇ! やれはすの響きが冬枯れらしくていいねぇ!fuさん俳句上達したね。指導者の熱意と応える生徒の阿吽がいいんだね。
唐招提寺で一番印象にあるのは「百済観音」だったね。あのひょろんとした痩せた胴長の観音様見た時は、オエェーだった。東大寺の日光・月光菩薩の方がずっときれいだと思ったもんだった。(これは高校生だった時の感想)
You-tube見たよ。文字通りfuさんの目の前を通ったんだね。よかったね。とてもきれいに撮れてる。雅楽は現地音でしょう。
宇治平等院は京都の外れの方にあったよね。建物はシンメトリーでとても綺麗だった。池は濁っていて澄んでなかったけどどうだった? 駆け足の強行軍だからそんなこと見てないか。 宝物殿は見なかったんだね。極楽往生を分り易く絵で描いてあったよ。娘が京都で学生したから京都はその後何度か行ったけどね。
fuさんの写真きれいだね。どれもうまく撮ってるね。又、ゆっくり見せて貰うね。
一昨年の四国美術館めぐりのトキのように歩きすぎて後で歩けなくなってはいけないので、今回は7分ぐらいに押さえようと思って、全部は廻らなかった。
おお!Puさんに俳句を誉められたぞ!^^! 蓮で季語になるのか見てたら、春夏秋冬、四季を通じてあるのよ。
枯蓮 だと冬で、敗荷 だと秋らしい。 敗荷 ッて知ってた? 私は知らなかったよ。 知らなかったんで覚えるために使ってみた^^。
見たそのまんまなんで句になってるのやらどうやらあやしい^^。 左上のほうに姿が写ってるでしょ。 人が居るなんて思わなかったからビックリした。 そこで撮ったのでは大きく写りすぎてマズイかなと思ったんで、グルッと廻ってこちら側からちょっとだけ見えるぐらいに撮った。
観音様や如来様をたくさん見せてもらったけど、これだけいっぺんに見るとどれがどれだったやら><、 薄暗い中の様子はみんな似ていて、私に区別は無理じゃわ。
気が落ち着かないと言うか、人ごみを掻き分けてお賽銭箱を探す方に気が行ってしまって、ほとんど頭に残っていない><;;
西本願寺の法要ではAからIまで九つの区画の一番端のAだったけど、順番がちょうど最前列になって、目の前の入堂だった。 写真はいいと聞いてたけど、みなさん信心深いおばちゃんたちばかりで、撮ってるのは僧の衣装の男の人がチラホラ、最初は遠慮してたけど入堂の終わり近くになってガマンできずに膝にカメラを置いたまま撮った^^。
読経中は撮るわけには行かないので撮るとすればこの場面だけだもんね。 そしたらちょうどあそこで終わり、 最後のお方がどうもご門主様らしい。
奏楽員?の皆さんだけでも相当の人数だった・・・ 雅楽は現地音、写真の部分にも現地音をコピーして使いました。
私のコンデジN2ちゃん、照れまん君には追いつかないけど^^、なかなかいいでしょ! このコンデジは アタリ だったよ^^。
今日は墓参ついでに出かけていて疲れた。 外はすごく寒かった。 今から夕食の支度・・・・
奈良はお寺巡りツアーでしたか^^。宇部からバスツアーですかね?それとも新幹線でしょうか?
最終目的は「親鸞聖人750回大遠忌法要」の西本願寺だったんですね~。
西本願寺といえば浄土真宗といえばjounenji??
西本願寺は10年前に京都駅から歩いて行った記憶があります。
当時は修復工事の最中でしたけど、唐門は記憶がありますよ~!
ですが法隆寺や唐招提寺、平等院、三井寺、、全部行ったことがありません^^。
法隆寺と言えば昔、世界最古の木造建築と教わりましたけど・・
それで日本初の世界遺産に登録されたんでしょうかね?
1300年前からそこに建っているとはすごいですよね@@
平等院鳳凰堂!優雅な姿をしてますね~!@
京都市内かと思いましたが、宇治は・・琵琶湖にも近いんですね。
今回の旅のお伴はコンデジだったんですか?
お寺巡りツアーはけっこう歩くでしょうから、軽くてその方がいいですよね^^。
もう旅の疲れは取れましたか~・・・・・って、取れん訳がなかろうが>>>
蛇足ですが・・
今回の記事ですが、Firefoxで見ると全てが左寄せになっています。
(ホテルからの(a)から(e)はセンタリングしてます)
いつもセンタリングにされてるのに・・と思ってIEで見るとセンタリングになってます。
・・ま、なんちゅうことは無いんですけどね^^。
全員がホームに上がるだけでも大変でした。 どこに行っても 列を離れると迷いそうで行列で進む・・・^^;;
西本願寺以外は、行ったことがないのですか!? それは小太郎さんの年齢では珍しいのではないですか~~?
私は初めてだったのは、三井寺だけでした、、、が、 法隆寺、唐招提寺、興福寺、ナンニモ覚えていませんでした><; 見覚えのあるところには行き当たらず、みんな初めて見るような・・・・ ぜんぜんダメですねぇ。
法隆寺は、木と泥壁です。 泥壁なんか移動の道筋にも延々と・・・と言いたくなるほど使われていて感心?しました。
旅行ではやはりコンデジが一番ですね。 このくらい撮れれば御の字でしょう^^。
蛇足をありがとうございます。
センタリングになってない Firefox が悪いんじゃ~ と言おうかと思いましたが^^、そうなんですね、(a)から(e)はセンタリングされてるというので、理由の想像がつきました。 それだと、境の ◇◆◇ もセンタリングされてたでしょうね。
BackGroundの色を替えようと思って色ごとに Tableタグで囲ったのですが、Firefox では その中にまでは 全体にかけてるセンタリングが影響してなかったということなんでしょうね。
Tableタグの中に Centerタグを再設定してみましたので、今度はよくなったのではないでしょうかね?
こういうのは、どちらが正しいとかはないのでしょうねぇ・・・・ 片方は中まで影響させるようにプログラミングされ、もう片方はTableの中は独立させるようにプログラミングされてる、というだけのこと・・・?なんでしょうね。
・・ま、なんちゅうことは無いんですけど、気にはなりますね^^ ありがとうございました。
法隆寺をじっくり見せてもらいました。
断片的には、写真を見たことがあっても、行ったことが無いので、よく解らないでいました。
南大門 を入ると 石畳と土塀の有名な場所があるのですね。普通のお寺で言うと、境内に当たるところが、まだ境内ではなくて、石畳の通りで その向うに中門があり、その中が境内になっていて 五重塔や夢殿があるということなんですね。
昔は もっともっと広かったのでしょうね??
正岡子規の寄った茶店や句碑もあるのですね。句碑も遠くに見えますよ~。
fujimさんの句もなかなかいいじゃないですか。やっぱり法隆寺に行くと子規と柿ですからね。しっかりと詠んでいますね。
のらさんやコスモスさんのところでも見せてもらっていましたが、今回でだいぶ頭の中で形がまとまり始めました。
そういうことで、ありがとう!!
南大門 を入って中門の中に・・・・照れまんさんが言われるとおりです。 こんな写真で判ってもらえてうれしいです。
法隆寺境内図のリンクを加えましたが、夢殿だけは五重塔とはだいぶ離れた東端にあります。
http://www.horyuji.or.jp/kedaizu.htm
丁寧に見てもらえて、調子に乗って外していた写真も4、5枚増やしてしまいました~~。
俗に言う紅葉には少し早かったのですが、塀などに沿っていたるところにあった桜紅葉はとてもきれいでした。 「柿いろだ!~~!」 と思ってしまいますよね^^ゞタンジュン。
初めてではないはずなのに見覚えのあるところなんて全然なく、むき出しの泥壁やなにや新鮮な気持で見て廻りました。 300人で動くツアーではない状態でもう一度ゆっくり行ってみたいものです。
照れまんさんもいつか、行けるといいですね。 行って鐘楼などどこだったのか><; 確かめて詠んでみたり出来るといいですね。
写真、増えましたよね。それから、法隆寺境内図ありがとう。見比べながら見ましたが、夢殿がわからず探していたら、右端の方にありました。あんな離れた所にあるんですね。知らんかったです。
次の唐招提寺と興福寺 には行ったことがあるのに、ほとんど記憶に無いのですよね。唐招提寺は本堂の形をおぼろげに覚えているぐらいで、興福寺の方は何も憶えていませんですよ。何も無かったようなだだっ広い広場のような思い出しかないのです。
唐招提寺は鑑真さんが有名なので、時々TVで見てたりします。
興福寺の方は 昔は寺院としては一番力のある大きなお寺だったのですよね。力があるということは、政治に巻き込まれますので戦争になり消失してしまうことになるのが残念ですね。
興福寺には色んな建物があるのですね。
では、また・・・・。
私もあらためて境内図を見て、位置関係をやっと把握できたところです^^。 ぞろぞろ随分歩いた気はしましたが方角は全然わかりません。
前に行ったところもほとんど記憶にないですよね^^? どうしてでしょうね。 きっと一度に何ヶ所も見てるからではないかと思うのですよ。 どこも古いお寺で、帰った時点でもう記憶はアヤシイ><。
興福寺は阿修羅様というのは、博多のほうでそれだけを見たのでインプットされました!
ブログを始めてからは、前の記憶はブログ頼りで、記事を見ては思い出しています。
それから、三井寺だけは奈良、京都ではなく、滋賀県大津市だったのです!@@! 「お母さんの記事ではそれがワカランよ」と yoshiに言われて初めてそうだと知りました。 バスで連れて歩かれても、地理が頭に入ってません><;;
こんな調子だから、コスモスさんのように自分チの庭を散歩するような気分で訪れるのとは、ふれあいの度合い記憶の度合いが違いますね。
でも今回は本当にいいツアーに参加することが出来ました。 あの社会科で習った歴史上の人、親鸞聖人さんの法要ですからね!! めぐり合わせたことに喜びを感じています。