余暇Hike気分

「起きチョッた~?」退職後の生活を楽しんでる私は娘からの電話に応えます。「起きチョるよ~!」

旅の終りの関門

2008-06-14 | ドライブ・たび
名残りの高原写真

阿蘇、久住、由布と回ったたびも
あとは大分自動車道玖珠ICを上がって帰るのみとなりました。

名残惜しいので、阿蘇、久住をあとにする前にもう一度、
旅行中ずっと私たちを見守ってくれていた
車窓に広がる緑豊かな高原の風景を載せたいと思います。





 

 

↑↓ 手前に白く流れて見えるのはウドの花だそうです。
いたるところで見られました。



独活の花は川原にも咲いていました(玖珠ICに上がる手前)





山田サービスエリア (大分自動車道・上り)
 (福岡県朝倉市)


  朝倉や木のまろ殿にわがをれば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ
                              天智天皇(中大兄皇子時代)
  この歌は「新古今和歌集」のなかに、天智天皇の御製として収められているもので、「筑前朝倉の地で、丸木で建てた館におれば、宿直のものが名乗りながらいくのが聞こえてくる。あれは誰の一族のものだろうか。」といったような歌意である。

  663年、朝廷軍は朝鮮半島の白村江で唐・新羅連合軍と戦ったが大敗した。この事が大宰府の起源ともなった。(山田SAにある歌碑より) と書いてあります。


歌碑                   こんなところに柱状節理!
 



山田SAを出てすぐの高速から見る車窓には
広大な麦畑が続いていました

この辺りは麦の産地でしたか、、、


見渡す限りの麦畑を、と思ったのにちょうどど真ん中に、、><ゞ





めかりパーキングエリア (関門橋エリア・上り)
   (福岡県北九州市)


  関門橋エリアには、
門司側に「めかりPA(上り)」
下関側に「壇ノ浦PA(下り)」があります。

  どちらからも関門橋、関門海峡が眺められ、旅の途中の絶好のビューポイント、 見ていて厭きることがありません。

→展望台から見たPA駐車場→



瀬戸内海には工業地帯があり、近くに海路がないことから
狭いながらも関門海峡を通過する船はとても多く、
そのために水先案内人(パイロット)の同乗が義務づけられています。
夜明け前に着くチンタオからの船も、夜が明けて公務がはじまる時間まで
六連島(ムツレジマ)あたりで停泊して待ちます。

門司側からの関門橋



対岸は門司と固まってしまっている山口県民・方向音痴の私は
えーっと、対岸が下関だから、、と
地図を手にぐるりと回してみないと、位置関係がなかなか把握できません。


対岸が下関ということは、↓右手に見えるタワーが海峡ゆめタワーで、
その少し手前の平たい屋根が、下関水族館「海響館」にチガイナイ、ふむふむ。

ひっきりなしに往来する船を眺めます 対岸辺りの地図



すっかり晴れて空は青く、暑いくらいの日差しとなりました。
行きかう船をながめながら、と言ってもこの時間は
ほとんど西から東に向かっていましたが、
いにしえの人たちも、この海峡めがけて船を進めたのだろうななどと
ぼんやり思いを馳せながら今回の旅を終わります。

開け放ち薫風満たす旅帰り
おつきあいありがとうございましたー! m(^-^)m





23 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
吸収・急襲・九州 (照れまん)
2008-06-15 10:21:15
  大変お疲れ様でした。

こんな身近な所に、雄大な大自然が残っているのですね。九州はやっぱり広いです。
素晴しい景色です。素晴しい写真です。

私が行ったのは、中学の修学旅行。山並みハイウエーが開通したばかりでした。
まだ、ドライブインなどが出来たてで、とてもキレイでした。
あれから何十年も経っているのに、あまり景色は変わってないのが嬉しいです。

大昔にも、九州北部に大勢の人が集められ、朝鮮半島に戦いに行ったのですね。
歴史を感じます。
ちょと蛇足ですが、白村江の戦 漢字が(対)になっているような?
すみません。せっかくいい写真を見せてもらっているのに、アラばかり探していて・・・。あら、ごめんなさい。
急襲 しちゃいました。

阿蘇山は私が登った唯一の山です。と言っても、駐車場から上までですから、子供の足ではわずかでした。全員歩いて登りました。教師は何人か、ロープウエーでしたけど・・・。
懐かしいですね。    あっ、そう!

最期の俳句。いいんじゃないでしょうか。
旅帰り がいいですよ。思いっきり窓を開けて、風薫る初夏の新鮮な空気をいっぱい部屋に入れている。
これは、久々に、 
      ☆ 座布団一枚! ☆ ではないでしょうか。
返信する
虫眼鏡で見よう (fujim)
2008-06-15 12:20:38
照れまんさん 村ですよ村、アチャーですねぇ^^。
急襲してくれてアラありがとう m^^mゞ 外国の地名はドウ読むのかワカランなあと思いながら写し取っていましたよ。
内容を知らないで書いてるのが丸分かりですねー。
まさか、マサカ、照れまんさんは「しろ・むら・え」って知ってたんですか~(@@!
あっ、そう! 青々した高原を保つために、秋吉台と同じように山焼きするんですね。 そうらしいですよ。
いろいろ書いてあることを資料として読んでも、時間ばかりとってもなかなか自分のものにならなくて、記事にまでするの難しいですね。
照れまんさんの記事を読んで、いつも感心していますよぉ。

旅帰りで通じますかネ? 締め切っていた窓を開けて入ってきた風に、旅の名残りの臭いを感じたというようなことを言いたかったんですけどね。また前回と同じ「余韻」を使うのもナンだし(語彙が少なく言葉の発想が限られてる><;)、、、。
俳句一つぐらいは書き残しておかないとと指を折ってみるんですけど、、折ったら痛いよ~^^ 痛くてできないよ~。

 無我なれば霧中も楽し五月旅 ^^ゞ
返信する
はくすきのえ (照れまん)
2008-06-15 14:00:16
 Fjim こんにちは
実は最初のコメントは削除してもらおうと、書き直していました。
せっかくのブログなのにイチャモンを付けて、・・・。
中大兄皇子の歌碑の写真。
大きくしてみましたら、どう見ても 白対江 と書いてあります。
略字が 村と対と とても似てしまったのか、石に文字を彫る その下書きが間違っていたのか、やっぱり 対 に見えます。
もし、歌碑に間違った文字を彫ったのなら、これはこれで価値がありますよね。とっても珍しいです。

もう一度新しいコメントを書いて、この二つのコメントを削除してもらおうかと思ったのですが、
いいですかね。勘弁してもらいましょうか。
百済 とか 白村江 などは、日本人が勝手に「くだら」とか「はくすきのえ」とか読んでいるだけなので、本当の発音はまったく違っていたと思います。

写真の趣味のある人達だけで行った旅行なので、とても楽しかったでしょうね。お互い、よく解りますから。

コメントの最期の俳句もいいんじゃないでしょうか。
だんだん、かる~~く俳句が出来るようになってきてるんじゃあないですか。
前の句も、窓と言わないのがいいですよね。「~薫風満たす~」 などはなかなかのものです。
技あり・・・です。    一本 !


返信する
石碑 (・J・PU)
2008-06-15 22:23:06
やっぱり対に見えますね。そんなこと気にしないで「ふむふむ」 と読んでしまえばそれまでだけど、この碑彫った人は羞恥心の「上地」くらいの気持ち?でしょうかねぇ~。今さら直せないから余計につらいでしょうねぇ、、、、あと200年もしたら字は磨り減って読めなくなってるかもしれないけど、それまでは、、?もう、考えただけでお気の毒です。
やっぱり、fuさんの方は海がすべてなんだってよくわかる風景ですね。海が工業に結びついていて、都市が海の地形を利用して発展してるんですねぇ。

私は関東平野の畑育ちだから、海と言うと海水浴くらいしか連想できなくて、上の写真見ていても緑の高原の方がしっくりします。牧草地がきれい、ハイジがいるよ。 国産麦畑があることが驚きです。大麦、小麦今頃が収穫時期なのです。畑も茶色に熟してますね。実が入(い)ってますね。ふふふ、生の麦の穂のもみを取ってよ~く噛んでいるとチゥーインガムになるんですよ。グルテンなんだけど、こんなことした事ないでしょう。 独活も牛もいるね。
fuさん、俳句が出ないなんて泣いてたけど、しっかり座布団貰ってる。いざとなるといい句がぽろぽろ出て来るんだから、これだから油断できないわ。
・J・PUは口からでまかせ、駄洒落だけで句にも、苦にもならないわ。
返信する
はくすきのえ??^^ (fujim)
2008-06-15 22:35:17
照れまんさ~ん いろいろありがとう!^^
コメントはもったいなくて削除は出来ませんよ、このままでぜひお願いしま~す。
歌碑の文字は間違いなく言われるように「村」です。
「対」に見えますが大きな画面で確かめました。
ブログのリンク先の歌碑も、前の倍にして差し替えました。
「はくすきのえ」! 生まれてはじめて聞きました^^?ゞ
今日は父の日で子供たちがさっきまで来てたんですが、「そりゃあ、ハクスキノエやから村じゃろぉ。お母さん歴史を知らんのやろう。」 と言われてしまいました。
ハイハイなんも知りませんとも。あほですねぇ。
本読んだだけでよくそんなことが覚えられるモンじゃと 思ぉとります^^。

退職してからは皆さんと旅行などということは、このビデオ仲間とだけになりました。 ほかの皆さんはビデオを抱えての旅で、カメラと傘、杖の、人には見せられない格好も、みなさんのビデオにはバッチリ撮られてますよ、きっと><
俳句ももう少し数作らないと、ですね。
返信する
Unknown (離心円)
2008-06-16 07:38:02
お久しぶりです!!
九州の旅、楽しそうですね。

私も、ゆっくり回ってみたいと思いつつ、車の免許もないので、なかなか無理そうです。
気の合うお仲間との旅、これからも楽しんでくださいね 
返信する
石碑の村 (fujim)
2008-06-16 10:06:21
ジャッカライン違う、ジャクリーヌ・PUさん、対に見えますが村です。
リンク先を大きくしたので大きくして見テン、足が出て村になってるのがやっと分かります^^。
そうですよ、ナント言っても海です。
瀬戸内海は工業地帯が並んでますし、体育の授業で海の中のコート係をした、我は海の子照れまんくんもいますし、夏には毎日パンツイッチョで、、っていう私の話はもういいか、、^^。
麦、実が入ってましたよ、麦の秋ですよ。
何を隠そう、麦踏もしたことあるし、刈った事あるし、千把でしごいたこともあるし、噛んでガムをつくったこともありますよ~。
出来た麦を精米所?にもって行って「はったい粉」にしてもらって、熱湯注いでぐるぐるかき回して、おやつで食べてました。 以上、分からない単語はありませんね^^。
返信する
おかえりなさい (fujim)
2008-06-16 10:14:57
離心円さん お久しぶりです~~!

お忙しかったんでしょうね。
私も退職するまでは、ぜんぜんこんなことするゆとりなんてなかったですもんね。

新しい行った先の、すてきな写真を楽しみにしています。
返信する
はったい粉 (ハット粉ちゃん)
2008-06-16 21:18:21
これだけ、知らなかった。見たことも食べたこともない。残念。 
麦畑は友だちの家で僅かに作っていてね麦踏はさせて貰ったことがあるよ。
千把ってきっと足でばたばた踏んで竪琴のような針金の櫛が上下してそこに穂を差し込んで実だけしごき落とす奴ね? 違う? 友だちの庭でおじさんがやっているのを初めて見た時に、なんてすごい機械なんだろうと子供心に目を瞠って見てました。

農家の友達の納屋には稲藁が積み上げてあってそこでかくれんぼするの好きだったなぁ!昔はのどかだったねぇ。 みんな貧乏でその日その日が精一杯だったのに人情が篤くてストレスなんて無縁だったねぇ。
海は遠かったから、田舎は山と畑ばかりで育ったよ。
返信する
大内美人 (照れまん)
2008-06-16 21:51:48
  Fujim さん こんばんはー
やっぱり、村でしたね。石碑を間違えるはずは無いと思ったのですが、光の加減でしょうね。安心です。

ところで、山口県の方言に、言葉の最期に「そ」をつけるという話をだいぶ前に書きました。
「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主無しとて春なわすれそ」の「~そ」だと言う話です。
話は変わりますが、お宅のお嬢さんは美人さんではないですか?チェ・ジウやユンソナに似ていませんか?

あの先生が菅原道真の少し前に、白村江の戦いの授業をしました。
おぼろげな記憶ですが・・・。

あの大昔に、2万人ぐらいの軍隊を百済に派遣して、ボロ負けをしたという話です。
その時、大敗をしたにも関わらず、なぜか百済の美女軍団を2000人くらい日本に連れ帰っているらしいのです。どうやら百済の後宮の美人揃いらしいのですが、その人達を日本に避難させる為に連れ帰ったそうです。
その美人の一部の人が山口県に住み着きます。それが後に、大内美人と呼ばれるようになるそうです。
よその他府県の人は、大内美人って知りませんよね。
山口県人だけが勝手に言ってるような気もしますが・・・・。
その教師曰く。だから山口県は美人が多いいのだと・・・。
朝鮮系の美人の祖があるのだと言います。

Fujim さんのお嬢さん、美人さんではございませんか。もしかしたら、1500年位前の美人の祖がでていませんか?もしユン・ソナやボア に似ていたら、間違いなくそうです。

日本的には、大内美人ではなく、秋田美人ですよね。大内美人なんて、聞いた事が無いと言う人が多いと思います。
そこで、山口県人としては、声を大にして言っときます。
「大内美人」っていますよ~~。覚えてくださ~~~い。
その教師が教室をぐるりと見回して一言。

「この教室には、大内美人はおらんのう~~。」
「ほっといてんか~、ぷんぷん」と女の子が怒ってました。
返信する

コメントを投稿