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リッキー・りさ・ニシザーのお部屋。
うた歌いで、ライダーで、庭師エッグです。

『この世は冗談だ』

ジプシーの思い出

2007年01月28日 15時10分58秒 | リキ日記
ジプシーの気配というか匂い…
特に子供のころに、よく感じた。

記憶なのか、憧れなのか、よくわかんないが
結構確かな感覚だったな。

もし過去に関わった事があったとしても
芸人じゃなかったな、少なくとも歌手じゃないね。
(だったらもっと上手なはずだもーん…)

何かしら深く関わる事があったのか、
それともちょっとした事かもしれないが、
ともかくも印象に強く残ったのだろうね。

ですので今でも、ロムポップは大好きなんです。
そんな人は多いと思う。
きっとそれぞれの魂に何かしら強く残っているんだろうな。
あの、懐かしいような切ないような響き。

ま、あたくしの過去がどーというのはどうでもいい話ですが、
そんな時代、きっと今より「どうしようもない事」は多かった。

生まれた時から、在る程度運命は決まっていた。
階級、職業、性別、様々な慣習…
とうてい乗り越えられるものでは無かった。

もちろんそんな中でもシアワセにやってったとは思うが、
在る意味においてはそれは「不自由」であった。

今は、少なくとも日本じゃあ、何の不自由も無い。
なんだって出来る。
何したって、誰も文句いわんし、捕まる事もない。
だから誰も本来、文句いうてる場合ではない。

やろうと思えば何でも作れるし働きかけられるし、
実際動かせるだけの環境と力を兼ねそえている、はず。

だがしかし、いろいろと頭というのは不自由を作り出し
見事に脳内を糞だらけにしてしまうものざんす。
実に「勝手に不自由人間」だらけになってしまう。

人間の持つ糞というのは、きっともう何千年も昔から
本質的には全く変わっていないに違いない。
ある意味では、だから人は時を超えて1つだ。
現在が六千年前の現実に働きかける事もきっと可能だ。


不自由ってもんが人間を、よりでっかく、より自由に育ててくれる
大リーグ養成ギブスみたいな存在である事も確かである。

なもんで、それはやっぱりありがたいもんなんだろう。
それを生かしてぶち破りさえすれば、とっても価値あるもんだろう。

自分で作って自分でぶち破る。
この図式が、より解り易い現代日本。

おもしろい世の中です。

不自由の正体が一見分かりにくい現代、
でもそれって本当の意味で「本質」に近づいているからだろう。
この人間の持つ「本質的な糞」に勝つ事が出来たなら、
それは人類史上劇的な事となるのだろうな。

くっそー、破ってやる。
少なくとも、あたいはあたいの中でぶち破る。

そしたら
たらったらったウサギのダンスだ。

うまうまベイベー!
パケラッタ♪