たぶん前にも書いたけど、
アタシのおばあちゃん(リキ母の母)は、
何でも捨てる。
昔の人はモノを大事にするというが、
すっかりさっぱり何でも捨てる。
びっくりする位捨てる。
「持ち物はこの身ぃひとつ」なんかい~!
な、感じで捨てる。
おじょうさんやったもんで、
モノ無くて困った事ないからかもやけど、
それにしても捨てた。
子供の頃はそれが残念でしょうがなかった。
うっかりしたらアタシのもんも捨てられた。
たぶん癖。
一番がっかりしたのは、
カメラマニアだったおじいちゃんの残した
それはそれは沢山の写真アルバムだ。
じいちゃんは新しいモノ好きの洋物好き。
だから商社マンになったくらいだ。
(外国行けるやろ?戦争なってやめたけど)
そんなじいちゃんが、街や田舎や、
昭和のはじめの貴重な風景風俗、
ものすごいたっぷり撮っていた。
ほんでけっこうええ写真なん。
アルバムもじつに丁寧に仕上げられていた。
かっこええねん、眺めてはドキドキした。
アタシの英語の綴りの独特のクセは、
実はおじいちゃんのアルバムからパクった、
おじいちゃん似のモノなのだ。
中の文字も記号も、キレイなインクで、
万年筆がしゃーっと滑っとって、
オサレにデザインされとるん。
兵隊だった時の写真もあった。
どこでも持ち込んで撮りまくっていたんだろう。
おじいアルバムには、
あらゆる種類のいろんな風景や人物が写ってた。
おばあちゃんのポートレートも、
なかなかにイケていたよ。
昔の写真は人物が凄いいいよね。
すごくすごくすごく好きだったのに、
ある日全部捨てられていた。
めちゃショック。
おじいちゃんが死んでからは、
おばあちゃんちからは、日々どんどん
モノが少なくなっていたが、
まさかコレは大丈夫だろうと、
タカをくくっていたんだけども、甘かった。
いつものごとく、後の祭りだ。
うなだれた。
しかし、今。
アタシはどんどん、
おばあちゃんに似て来ている。
うっかりすると、
全部捨ててしまう可能性もある。
写真についても、
最近のモノはちっともない。
世の中なんでも動画で残す傾向だが、
そんなに何を残す?
いつ見る?
写真の方が効率いいじゃないか。
それもデジタルになって、
やたらめったら撮る。
そんなにどうする。
誰が見る。
アタシはほとんど、
プライベートな写真を撮らなくなった。
歳とった証拠だなぁ。
置いとく所ないもんね。
データだからっていっぱいあっても整理に困る。
どんどん思い出マニアから遠ざかる。
子供がいたらまた違うのかもだけど。
あ、
でも西澤家のアルバムって、別に無い。
そーか、ヤツらもか…
そらしゃーない。
花の写真は腐るほどあるんだけどなぁ、
仕事だから。
あ、
そうそう、アタシも仕事の写真や動画は欲しいです。
どんどん撮ってください。
(出来れば管理しといてくださるとチューします)
ん?
要はモノの管理が出来ないのか?
ただのめんどくさがりなのか?
んーーーー。
それもある!
ごめんちゃい。
本日オチなし。