日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

墓参り

2010-08-13 23:59:25 | 秋田
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今日は墓参り。

我が家は幸いにも父方と母方のお墓が近隣にあるので、毎年両方に行きます。

特に父方は親戚も多く、毎年父の実家に集まるのですが今年はナシ。

年々、昔みたいに集まる事ができなくなり、ちょっと寂しいお盆になりました。

今度集まるのはいつになるのかなぁ・・・。


写真は父方のお墓から見える風景。なんか雲が秋っぽくなってきたなぁ。

経緯度交会点

2010-06-06 23:49:12 | 秋田
今日は6時に目が覚めたものの、疲れがたまっていたので二度寝。再び起きたのが9時半。


せっかくのお休みの日、天気は快晴。このままじゃもったいないので、 当てもなく大潟村方面へバイクを走らせた。


走っていると、東経140°の看板が目に入り、久しぶりに経緯度交会点に行ってみた。



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ここは北緯40度、東経140度が陸地で交わる地点。10度単位の経緯度が交わっているのは、日本広しと言えどもここだけ。


しかも、大潟村が干拓される昭和32年以前は、存在しなかったという「奇跡」の地点なのです。


しかし残念な事に、測地の方式が2002年に「日本測地系」から「世界測地系」に変更された関係で、現在の位置は違ってしまっているのです。


試しにiphoneのカメラにGPS機能があるので(どこまで正確かはわかりませんが)、交会点の真上で撮影してみると・・・



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北緯40度00分9.599秒、東経139度59分47.476秒になっています。


ということは、「世界測地系」の交会点は現在の位置より、南へ約360m、東へ約470mの地点にある事になります。


ついでにGoogle Earthで見てみると・・・、



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画面の中央を横切っている農道に四角い白いものがあるのが、交会点標示塔が立っている場所。右下のピンを置いている所が「世界測地系」の交会点です。


この標示塔をその場所に移すにも、田んぼの中。まぁ、そこまで正確でなくてもいいか(笑)。



檜山城跡

2010-05-11 22:21:25 | 秋田
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先日、多宝院に行ったついでに檜山城跡に行ってきました。

ここも非常に思い出がある場所。能代で育った人たちは、学校の遠足なんかで必ず来る場所なんじゃないかなぁ?

幼少の時は、ここの二の丸?三の丸?に売店があって、親におねだりしたもんです(でも、買ってもらえませんでした・・・)。

今もその建物はありますが、やっていません。

ここ檜山城は、安東氏の居城。中世に出来た城郭ですが、枡形虎口、堀切、切通しがあり、なかなか見所がある所です。

立地は、まさに天然の要害。たぶん県内の城跡の中でも、一番攻めにくい城じゃないかなぁ?

秋田市の人は「殿様」というと佐竹氏なんだろうけど、能代の人にしてみれば(自分だけかな?)、「殿様」は安東氏になじみがあるのです。

その中でも、やっぱりすごいのは「安東実季(さねすえ)」。父の死で12歳の時に後を継ぎ、14歳の時「湊合戦」でこの天然の要害に籠城、由利十二頭の援軍もあり、湊安東氏を制圧した人です。

その後、秋田城(久保田城ではない)に居を移して、秋田城介と称し秋田氏を名乗りました。

関が原の合戦後、常陸宍戸に転封、檜山城には佐竹氏家臣の小場氏、多賀谷氏が入れ替わりで封入したのはご存知通りです。

そんな歴史ロマンを感じに、訪れてみてはいかがでしょうか?

写真は檜山城から見た風景。安東の殿様もここから眺めたんだろうなぁ。画面右上の大きなマツが枯れていたのは残念でした。

多宝院のシダレザクラ

2010-05-05 21:17:12 | 秋田
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能代市檜山にある多宝院のシダレザクラが満開を迎えました。

ここ多宝院は、佐竹の殿様に仕えた家臣、多賀谷氏の菩提寺。史実の通り、佐竹氏が出羽国久保田に国替えを命じられた際、多賀谷氏は檜山城代になり、当院も下妻国よりこの地に移ってきたと言う。

境内には、ピンク色の大きなシダレザクラが3本。毎年見に来ていますが、お寺側の2本は年々花付きが悪くなってきているような感じ。

観光客が増えると、踏圧により根元の土が固められ樹勢が衰える事があります。なるべく根元には立ち入らないようにしてもらいたいものです。

で、ここは私にも関係が少なからずあるようで、祖母の実家の菩提寺でもあります。

お墓は別の場所にありますが、納骨堂があるそうで今回、お参りしていこうと思いましたがお寺の人が不在で断念・・・。

話によれば、祖母の実家も茨城から一緒に来た由緒ある家柄だそうで、代々襲名していたそうです。

話は変わって、この本堂の廊下は東北でも珍しい「ウグイス張り」だそうです。このウグイス張りの廊下の昔話を、祖母から聞いた事があったのでご紹介します。

寺を造っていた棟梁のもとに、1人のやっこ(表現が悪いですが、浮浪者)が仕事をさせてくれと来たそうで、使う事にしました。
仕事は一生懸命にやっているようなのですが、人が見に来ると手を休めてしまうそうで、それを見た棟梁はその人をやめさせたそうですが、その人が去る際「私がカンナをかけたこの板は廊下に使ってください。」と言い残して行ったそうです。
仕事は正確なので、その板を使った所「ウグイス張り」になったというお話です。

ウグイス張りが鳴る仕組みは解明されているそうですが、神様が姿を変え人を試しにくるという話をよく聞きますが、要はどのような人にも親切にしてあげる事を説いた話なんでしょうね。

たしかに、祖母はそういう「やっこ」がくるとよくご飯を恵んでやっていたそうで、ある人から「デケルバン病」、ここの方言でいう「そらで」の直し方を教えてもらい、よく近所の方の「そらで」を直していました。

その技、人に教えるか見られると出来なくなると言われたそうで、どう処置するのかは見せないようにするそうです。

その祖母も今年で103歳。まだまだ元気に暮らしています。

田沢湖~御座石神社~

2010-01-27 23:25:32 | 秋田
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ネタ不足です・・・(^_^;)。なので過去ネタから。

これは4年前の田沢湖、御座石(ござのいし)神社の鳥居。鶴の湯温泉の帰りに撮ったものです。

ここは田沢湖町方面から、紙風船で有名な上桧木内から阿仁へと抜けていく道路なので、いつも通り過ぎていたのですが、雪と鳥居のコントラストが非常にキレイだったので思わず寄り道してしまいました。

御座石神社は、秋田・久保田2代藩主の佐竹義隆がここで一休みしたのでこの名がついたとか。

祭神はかの有名な辰子姫。辰子が飲んだ沢水や、竜に変わってしまった自分の姿を写したという鏡石もあります。

上桧木内の紙風船上げは2月10日。内陸線とコラボしに行ってみようかなぁ。