日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

大盛況!文福一座 ふるさと寄席

2010-05-31 23:51:15 | その他
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今日31日は、桂文福さんが秋田にやってくる待ちに待った日。

仕事を早々に切り上げ(しっかりやりましたよ!)、家を出たのが5時40分。

会場は秋田市御所野。6時半開演までには、間に合いそうもないってんで、高速へ。流れに乗って?なんとか間に合いました。

会場に着くと、100人を越えるお客様。秋田の寄席ファン・・・、文福ファンがたくさんでした。

控え室を覗くと文福さんがいらっしゃいました。私の顔を見るとすぐに名前を呼んでくださった(泣)。

高座もさることながら、この瞬間が毎回嬉しいのです。師匠!覚えていてくれて、ありがとうございます!

まずは、文福師匠の4番弟子の「桂 ぽんぽ娘(こ)」さんが登場。テンポのいい枕から「寿限無」へ。愛嬌のあるお顔と独特の声で、会場は大笑いでした。

ここでふと舞台の袖に目をやると、愛弟子を見守る文福師匠が・・・。うーん、いい光景でした。

その後は、桂米朝さんの弟子の「桂勢朝」さん、美人マジシャンの「わんだふる佳恵」さんが登場して、いよいよ文福師匠が登場です。

文福師匠の高座は6年ぶりかなぁ、相撲のネタは絶品、本当におもしろいです。いつか「繁昌亭」に行ってみたいなぁ。

だいぶ端折って書いてしまいましたが、大笑いの2時間半でした。みなさん、ありがとうございました。

明日、お見送りに行けるかなぁ・・・。

久々のローピン日本海

2010-05-30 06:55:12 | 鉄道
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今日は、鳥海山までのツーリングがあるので日本海のみの撮影。

目を覚ました時間も6時16分だったので、東能代駅へ。

一人のおじさんも日本海を見に来ていました。

そういえば、朝の東能代で日本海を撮るのは初めて。

上りの普電と五能線の下りが待っていました。

あけぼのやいなほ、わくドリには残念ながら逢えません。行く途中見ながら行こうかな。

さてと、行く準備しますか。若干寒そうだなぁ・・・。気をつけて行ってきます!

木瀬と式秀

2010-05-29 23:54:45 | 大相撲
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先日の記事で、年寄名跡の「木瀬」は「木村瀬平」の通称である事を少々書いた。

まずは木瀬。「木村」ということで、もともとは行司の名前であることはお察しの通り。

この木村瀬平の初代は、宝暦13年(1763)に年寄として名前が残っているという。

といっても、相撲関係の資料は宝暦以前の資料は乏しく、江戸相撲の最古の番付でも宝暦3年(1753)のものなので、便宜上この辺りからが現在の「元」になっている。

モノの本によると木村瀬平の家系は、織田信長の上覧相撲で行司を務めた「木瀬太郎太夫」までさかのぼるということで、相当歴史のある名前であることがわかる。

現木瀬は元肥後ノ海だが、先代の木瀬は、秋田出身の清の盛が2000年まで部屋を運営していたので、なんとなく親しみ(系統は別になったが)がある部屋だった。

今年からは大館出身の佐々木山が入門し、秋田との繋がりが復活したので喜ばしく思っていたのだが、あのような結果になって残念である。


もう一つある行司の年寄名跡が「式秀」の「式守秀五郎」。

式秀の初代は、安永年間(1772~81)の行司式守秀五郎。

この名前は、代々伊勢ノ海系列の名前だったらしく、4代式秀の有明吾郎までが伊勢ノ海部屋、5代目の有明五郎からは錦嶋部屋に移っている。

錦嶋部屋は部屋を興した大蛇潟大五郎こそ千葉の出身だが、それ以降の8代錦嶋(大蛇潟粂蔵 能代市出身)、9代錦嶋(大蛇山 羽後町出身)の親方と大関能代潟(藤里町出身)と秋田とも非常に繋がりがあった。

話を戻して、伊勢ノ海から錦嶋に移った理由は同じ系統だったからなのではないだろうか。

横綱柏戸剛の師匠である、10代伊勢ノ海の柏戸秀剛が現役の頃、伊勢ノ海部屋は師匠の死によって、一旦部屋が消滅。

柏戸秀剛は錦嶋部屋へ預けられていた。そこから考えると親戚筋と考えることが出来る。

現在の伊勢ノ海部屋は「時津風一門」に属しているが、かつての「一門系統別部屋総当り制」時代には、時津風部屋の力士との対戦があったので別系統だった。

その後、錦嶋系が時津風部屋に吸収され、6代目の式秀からは時津風一門の名跡になる。

その「時津風一門」に、元の持ち主の伊勢ノ海が合流と不思議な縁を感じる。

現在は元小結の大潮が、8代目式秀親方として部屋を運営している。

木瀬と式秀は代々「フルネーム」で継承されている、珍しい名跡でもある。

こうやって、一門の変遷を辿ることも結構面白いものです。


写真は先代の木瀬親方の「清の盛」。今回の騒動をどう思っているのだろうか。

霧にむせぶ青池編成

2010-05-28 21:19:35 | 鉄道
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最近は、ぱっとしない天気が続いています。

今日も朝から霧雨が降る一日。この情景を撮ってみたいと思い、能代のテツ仲間からお教えいただいたポイントへ、お昼ごはんもそっちのけで行ってみました。

ここは、米代川にかかる鉄橋「米代川橋梁」を真正面に抑えることができる誇線橋。

三脚をセットしてファインダーを覗き、色々とアングルを考えていると、およそ能代らしからぬ風景が見えた。

ビルの上に立つ鉄塔と、線路の向こうに大きな建物。

あんなに高い建物あったっけ?と色々考えていると能代北高なんですね。「樽子山」と呼ばれる丘の上にあるので、より一層高く見えるのでした。

鉄橋を撮る場合、川を入れるというセオリー?を無視してみました(笑)。

この青池編成も残すところ約半年。今のうちに撮っておこうっと。

異例の処分

2010-05-27 23:20:26 | 大相撲
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本日、去年の名古屋場所で暴力団幹部が観戦していた問題で、便宜を図っていた木瀬親方と清見潟親方に処分が下った。

木瀬親方は、委員から「平」年寄への2階級降格。清見潟親方は、譴責処分。

まあ、妥当なところだなと思ったところ、もっと大きい処分に驚いた。

木瀬部屋の力士は一門預かりになるという。ということは、事実上の部屋取り潰しということ。

長らく大相撲に関する物を見たり読んだりしているが、さすがに部屋の取り潰しの記憶はない。

正直、ここまでするかというのが第一印象。2階級降格の処分なんてかわいいもんである。

そもそも茶屋の制度自体、未だに不明瞭なところがあるのに、それを管理しているはずの協会が「維持員席」を把握していなかったのが原因なのではないのか?

木瀬親方は、なにかその棚上げされた「責任」の尻拭いをさせられたような感じがする。

その「維持員席」を流通させた「茶屋」への処分はあるのだろうか?

また、この問題は親方だけの問題ではない。この親方を慕って入門してきた若い力士の問題でもある。

一門預かりとなると、出羽一門のいずれかの部屋に属することになるのだが、移籍先の部屋になじめずに相撲界を離れていく力士も出てくると思う。

それこそ何の罪もない、将来ある27人の力士の芽を摘む事にもなりはしないか。

過去にもそういう例はたくさんあったので不安に思った次第である。

協会の暴力団排除の姿勢は理解できるが、維持員席を直接流通させた訳ではないので、今回の処分は重過ぎなのではないかと思うのだが・・・。


写真は、元肥後ノ海の木瀬襲名披露のパンフ。木瀬は通称、代々「木村瀬平」を襲名する年寄名跡。