日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

踏コレ~奥羽本線 No,72 金岡踏切

2010-04-30 23:19:56 | 踏コレ

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三種町豊岡金田にある金岡踏切。豊岡集落の西、森岳駅からは直線で1kmほど北にある踏切です。


福島から346.364km地点。主要道路から外れているので、ここもまず行かないところですね。



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ここはかつての金岡村であったので、この名になったのだと思いますが、前出の通りこの上は豊岡集落なので、「豊岡踏切」でよかったのではないかと思います。


この豊岡集落、文献によると寛保年間(1741年頃)隣の根岸村から現在の羽州街道沿いに村を移転し豊岡村をつくり、津軽藩の本陣として隣の森岡村(明治35年に森岳村に改称)と交代で駅場を務めていたという。


また豊岡集落には「儀右衛門公園」という公園があります。「儀右衛門」って?と思い聞いてみると、信太儀右衛門は当地の地主で衆議院議員だったとのこと。


なんでもその屋敷が火事になり当人も亡くなり、その跡を公園にしたそうだ。それこそ津軽藩の本陣の跡でもあったと言う。


またその儀右衛門さんは、自宅から森岳駅まで自分の土地から出ずに汽車に乗る事ができたと言う事でした・・・すごい。


と語ってくれた方も、江戸時代から続く家の方。16代目だと言う事です・・・唖然。



踏コレ~奥羽本線 No,74 金光寺踏切

2010-04-21 22:16:53 | 踏コレ
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三種町豊岡金田にある踏切。福島から348.705km地点。警報機、遮断機がある一般的な「第一種踏切」です。

羽州街道と大間越街道の分岐にある金光寺集落の北西、県道210号線上にあります。

森岳方面から能代に出る場合、一般的にはここを通るので通行量も多く、一昨年あたりに拡幅されました。

ここはかつての金光寺村。明治9年に豊岡村、金光寺村、和田村との合併により「豊岡金田村」になった。いまは小字としてその名を残しています。

金光寺の由来は、浄土宗の開祖 法然の弟子の金光上人がここに寺を開山したことによるという。

この金光上人は鎌倉時代の人ということなので、相当古くからの集落なんですね。

その名の由来のお寺は、廃寺になっています。

金光教輸送列車、いわゆる金光臨で有名な金光教とは関係ないと思います(笑)。

踏コレ~奥羽本線 No,76 藤木台踏切

2010-04-15 21:15:45 | 踏コレ

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待望の新シリーズの開始です。その名は、踏コレこと踏切コレクションシリーズです。


全国に約1万カ所あると言われる、地味な踏切にスポットを当てるこの企画。


その栄えあるシリーズ第一弾は「藤木台踏切」です。


ここは三種町志戸橋字藤木台にある踏切。位置的には北金岡駅の北になります。



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奥羽本線の起点の福島駅から、350,922km地点。警報機はあるけど遮断機のない「第三種踏切」です。


藤木台集落の裏手にあるので、なかなか分かりにくいです。


さて、写真は集落の反対側から撮ったのですが、こちら側に自動車通行止の標識があってちょっとビックリしました。


だって、あっち側にはなかったんです・・・。軽トラで通ってしまいました、すいません。


志戸橋は明治22年までは檜山郡志戸橋村。明治の大合併で外岡、豊岡金田村と合併し金岡村に。その後、山本郡山本町~三種町はご存知の通り。


「金岡村」は各1文字ずつとった「金岡橋村」になる予定だったけど、長すぎるので「橋」を除外されたという話を聞きましたが、真相は不明です。


また鶴形そば、石川そばと並び、志戸橋そばが有名とも聞きますが、まだ食した事がありません。今でも作っているのかな?



榊踏切

2009-11-12 09:07:16 | 踏コレ
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普段見落とし気味な踏切。ここにも私の興味対象が有るのです。
それは、踏切の名称です。大体は所在地の住所が命名されているのですが、中には何で?って感じのものがあります。

第一弾は家の最寄りの踏切「榊踏切」。
ここは臨時列車などが走る時には、手っ取り早い撮影ポイントとして重宝しています。この踏切を知ったのは、小学校の遠足で小友の堤(小友沼)に行った時でした。ときに今、徒歩遠足ってあるのかなぁ。

で、榊とは?。
昭和15年能代港町が近隣二村と合併し市制施行される以前、この一帯は榊村と称し、収穫される米は榊米といって有名なブランド米だったとのこと。
現在はあまり目にすることがない「旧村名」が冠されている貴重な(地名フェチの私にとっては)踏切なのです。

資料によると東能代(当時は能代駅と称した)以南の線路の開通は明治35年なので、この名前がついて当然と思われます(踏切設置時期はわかりませんが・・・)。

そこで、また新たなる疑問が。旧榊村一帯の住所は能代市の後にいきなり「字」がつくのです。
例えば、能代市字大内田、能代市字長崎などなど。

一方、市制施行時に一緒に合併した東雲村は、能代市向能代字上野、能代市落合字上谷地など、「字」の前に「大字」がついている。

本来は「能代市榊字大内田」と「大字」がつくべきなのでは?
どなたかご存知の方、お教えください。

そんなのど~でもいい!なんて言っこなしですよ。