いつも通っている踏切の2~300m東能代寄りにある「第一榊橋りょう」。
長さはわずか数メートルですが、立派な橋梁です。
じっくりみていると(こういった構造物も大好物です)銘板が張ってあった。
設計は鉄道作業局、しゅん功は明治34年11月とあります。
ちょっと本題をそれますが、「橋りょう」といい「しゅん功」といい常用漢字外だからといって、漢字とひらがなで表記するのはどうも頂けないと思うのは私だけ?
「橋梁」と「竣工」。そんなに難しい漢字でもないし、普通に読めますよね。ニュース等でもこの表記をされると、しらけてしまいます。
と脱線した所で本題へ。
調べてみると、鉄道作業局は1897年から1907年まで逓信省の外局として存在していたそうです。
元号に直してみると、明治30年から同40年までの間という事になります。
この橋梁の竣工は明治34年。その短期間の間しかなかった?鉄道作業局の名前が載っているとは、なんとなく感動です(笑)。
東能代以南の開業(奥羽北線は青森から伸びてきたのですね)が明治35年(1902)8月。
鷹ノ巣~東能代間の開業が明治34年11月ですから、東能代駅が開業した時には、もうこの橋梁は出来ていたんですね。
となると、小友沼から流れてくるこの用水路も当時のままという事ですね。
ちょっと感慨(灌漑?)にふけったお話でした、ちゃんちゃん。
でもこの銘板。常用漢字表記している所を見ると作り直したものなんでしょうか。当時のものではなさそうですね(笑)