3月場所中止を決めてから10日あまり、伊勢神宮奉納相撲も中止が決定。靖國神社奉納相撲も延期とか。
どういう方向に向いて行こうと、我々ではあまりに無力。経緯を見守るしかないようです。
という事で、少しでも応援!ということで久々に相撲ネタを…。
八百長の由来は先日書きましたが、日常使う言葉に大相撲からでたものが結構あります。
そこで今回取り上げるのは、水死体の意がある「土左衛門」。
土左衛門は江戸時代に実在した力士、「成瀬川土左衛門」のこと。
何でもこの力士、当時筋肉隆々の力士が多い中、珍しく肌は青白く太った力士であったらしい。
そんな事もあって、隅田川から時々あがる水死体を江戸っ子達が「まるで、土左衛門みてぇだ」と言ったことから定着して今に至るとか。
調べてみると、この成瀬川。享保9年(1724)6月に深川八幡で行われた番付に出てきます。
位置は、東の前頭筆頭。出身地は奥州とあり東北の出身らしい。
東北の出身で、成瀬川というと秋田の東成瀬村を流れる「成瀬川」がある。
もしや?と色々文献をあさっていると秋田県説もあるようだが、どうも宮城県の出身らしい。
「江戸時代相撲名鑑(下)」によると、出身は宮城県加美郡中新田町鳴瀬とある。
「成瀬」と「鳴瀬」の違いがあるが当時はいくらか混同して使われていたようで、相撲評論家の故・小島貞二氏もこの案をとっている。
生国や生年、氏名もしっかり確証がない成瀬川だが、亡くなったのはしっかりと記録がある。
没年 延享5年(1748)6月6日。法名 勇猛院力誉泰山居士。墓所 深川 霊巌寺。
法名を見ると、屈強な力士を想像してしまうのは住職の情?と思えるのがおもしろいですね(笑)
写真は成瀬川が眠るとされる、「霊巌寺」。いつかお墓探しに行ってみたいな。
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