本場所で土俵の上にある「吊り屋根」は、正式には「屋形」といいます。
この屋形、実は時代によって形が違うのです。
上の写真は「切妻造」。江戸時代から明治41年まではこの形でした。本を開いて被せたような形が切妻造。
ちなみにこの絵は、勝川春章 筆「江都勧進大相撲の図」
ちなみにこの絵は、勝川春章 筆「江都勧進大相撲の図」
明治42年に旧両国国技館が開館してからは、「入母屋造」になります。最初は左のような「四方」に破風がありますが、大正6年に火災で焼失してからは、右のような「二方」の破風になりました。
そして、現在の「神明造(しんめいづくり)」。神社などと同じ建築様式になっています。
ただし昭和27年に「四本柱」が廃止されてから、現在のような「吊り屋根」式になっています。
4本の房をつけているのは、四本柱の名残です。
ただし昭和27年に「四本柱」が廃止されてから、現在のような「吊り屋根」式になっています。
4本の房をつけているのは、四本柱の名残です。
なぜこんな変遷を辿ったのかはわかりませんが、絵や写真を見ていたら気づきました。
こういった違いを見つけただけでも面白いですね。
「どうも邪魔だ!」と言う事だった記憶が・・
しかし、4本の柱の意味を残す為
あの房が下がったと・・
違ってたら すみません。
この時、NHKの受信契約数は866人!だったそうです。