日々是口実~引っ越し版~

Yahoo!ブログから引越してきました。更新の予定は。。。

宝篋印塔

2011-02-18 23:10:03 | 歴史
先日、訪れたあるお寺。


江戸時代の大名、茶人であり建築家、作庭家である小堀遠州の造った庭のある古刹でした。


私は修行が足りないので、感想は割愛させていただきます(笑)


そんなお庭を歩いていると、見つけました。宝篋印塔(ほうきょういんとう)!



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宝篋印塔とは、「宝篋印陀羅尼経」というお経を収めるための塔だったらしく、のちに供養塔や墓碑塔となったそうです。


何でこんなものに興味を示すのかというと、数年前に箱根に行った際、「元箱根宝篋印塔(俗称・多田満仲の墓)」の説明をマニアの方から受けたから。



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重要文化財が道の真ん中に鎮座しています。多田満仲は清和源氏発展の礎を築いた人だそうです。


この時、笠の四隅には隅飾があるとか、塔身に輪郭があるのは関東形式だとか、反花座がないけど、どうとかと説明されましたが、石仏類に関してはチンプンカンプン。


ただただ、説明を聞くのが精一杯でした(笑)。


それ以来、すこしづつ興味を示すようになり、見つけるたびに何がどうなのかを記録しています。


だからといって、この宝篋印塔がどうだとかいうのは、まだまだ目が肥えていない為に語れません、ごめんなさい。


へぇ~、そんなのもあるんだと今回は聞き逃してくださいね(笑)。



誰の足あと?

2011-02-17 23:09:12 | 秋田
今日の日中は暖かくなり、昼頃から雨模様。だんだんと暖かくなってきている感じがします。


雨のせいもあってか、雪の塊もだいぶ小さくなりました。


それはさておき、先日、山遊びに行ってきました。


遊びといっても、ほぼ散歩に近いのですが(笑)。


前夜にシンシンと降った雪が積もって、見慣れた景色ではあるのですが幻想的でした。


今回は小さな小川(変な表現ですね)に添って、杉林の中を歩いたのですが、途中でこんなのを見つけました。



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小川に架かるように倒れた杉の「橋」の上に、何かの動物の足あと。


この小川はひとっ飛びすれば渡れるような幅。


それなのにこの橋を渡って来た姿を想像すると…ちょっと、微笑ましいですね。


ちょっと、心が和む風景に出会いました。



成瀬川土左衛門

2011-02-16 23:47:17 | 大相撲
3月場所中止を決めてから10日あまり、伊勢神宮奉納相撲も中止が決定。靖國神社奉納相撲も延期とか。


どういう方向に向いて行こうと、我々ではあまりに無力。経緯を見守るしかないようです。


という事で、少しでも応援!ということで久々に相撲ネタを…。


八百長の由来は先日書きましたが、日常使う言葉に大相撲からでたものが結構あります。


そこで今回取り上げるのは、水死体の意がある「土左衛門」。


土左衛門は江戸時代に実在した力士、「成瀬川土左衛門」のこと。


何でもこの力士、当時筋肉隆々の力士が多い中、珍しく肌は青白く太った力士であったらしい。


そんな事もあって、隅田川から時々あがる水死体を江戸っ子達が「まるで、土左衛門みてぇだ」と言ったことから定着して今に至るとか。


調べてみると、この成瀬川。享保9年(1724)6月に深川八幡で行われた番付に出てきます。


位置は、東の前頭筆頭。出身地は奥州とあり東北の出身らしい。


東北の出身で、成瀬川というと秋田の東成瀬村を流れる「成瀬川」がある。


もしや?と色々文献をあさっていると秋田県説もあるようだが、どうも宮城県の出身らしい。


「江戸時代相撲名鑑(下)」によると、出身は宮城県加美郡中新田町鳴瀬とある。


「成瀬」と「鳴瀬」の違いがあるが当時はいくらか混同して使われていたようで、相撲評論家の故・小島貞二氏もこの案をとっている。


生国や生年、氏名もしっかり確証がない成瀬川だが、亡くなったのはしっかりと記録がある。


没年 延享5年(1748)6月6日。法名 勇猛院力誉泰山居士。墓所 深川 霊巌寺。


法名を見ると、屈強な力士を想像してしまうのは住職の情?と思えるのがおもしろいですね(笑)



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写真は成瀬川が眠るとされる、「霊巌寺」。いつかお墓探しに行ってみたいな。



冬来たりなば春遠からじ

2011-02-15 23:49:22 | その他
ここ数日、雪もさほど降らず、まずまずの天気が続いています。


冬が好きな私も、なんとなく今年の冬は長いような気がします。


なんか気分も影響しているのかな?(笑)


そんな感じで、過去画像を整理していると数年前、福島県は三春にある「滝桜」の画像を見つけました。



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今まで、「日本三大桜」だと思っていましたが「三大巨桜」だったんですね。


ちなみに「日本五大桜」には入ってるとの事。


三春といえば古くは戦国大名の田村氏の居城。伊達政宗の正室・愛姫の出身地でもありますね。


そういえば住所も田村郡三春町になっています。


また、幕末まで三春藩は秋田氏が治めていました。


秋田氏は、能代の檜山安東氏の子孫。


関ヶ原の後、常陸国宍戸に移封し、その後この三春に移り、幕末まで続きました。


この滝桜もその秋田氏が保護してきたそうです。


なんか不思議なご縁を感じますね。今年も行ってみようかな?


と、話が脱線してしまいましたが、早く春が来ないかなぁと感じた今日でした。


次の季節が恋しくなるのも、四季があるから。


日本に生まれてよかったなぁ(笑)