囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

それぞれの秋/そして いきる

2020年09月11日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 

ナンセンスといわれようとも ~ 大切にしたい「言葉という装置の力」 ~ ひとりで生きているわけじゃない の巻】

 


ナンセンス!

 

これは「無意味」「他愛もない」「ばかげた」という意味だけでなく

確実なる根拠のない考えや解釈、言説、思想を指す時に使われる。

わたしより少し上の世代であれば、

ヘルメット姿の学生が守旧派権力に対して浴びせた

そのシリアスな光景が思い浮かぶに違いない。

が、いまの若者には「何のこと?」となるだろう。

 

言葉が通じない時、内包している暴力がむっくりと姿を現す。

その次の瞬間、暴力は、

プロパガンダの最高の形式になってしまうのである。

あの一党独裁の国のように。

 

         ◇

 

昭和5年8月15日の閣議の席上。

大臣たちが雑談していて、ひょんなことから

ナンセンス」という言葉の意味が俎上に上がった。

鉄道大臣の江木翼が「他愛のない話ということだ」と

簡単に片付けようとしたところ、

外務大臣の幣原喜重郎は「いや、そうではない。

何より、与太話と言った方がよい」などと

外交官らしく英語のニュアンスを持ち出した。

果ては口論に発展し、とんだ“迷訳”が飛び交った。

 

その時、それまで黙していた首相の浜口雄幸は

「それは簡単だよ。

いま君たちが言い争っていること。

それがナンセンスだよ」

 

         ◇

 

新型コロナ渦により「100人碁会」は分割・時短の“低空飛行”が続く。

しかしこれは、不本意だが、やむを得ず、なのである。

先日、ある同人が「こんな調子なら、そろそろ解散してはどうか。

総会に諮ればいい。そういう時期に来ている」と言い出した。

(え? なにゆえ、そんなことを口にする?)

 

世話人の一人としては、軽口?であれ聞き捨てならない発言である。

驚き、怒り、なにより情けなく思った。

そこでブログ等で、こういった風潮についてアレコレ愚痴るワケだが、

ここは言葉の力が試されるタイミングと得心した。

叱咤激励?応援?賛同?のメールをいただいたからだ。(多数ではないが)

「いいね」「応援」「拍手」のポチっと、については相当に賜った。

 

そう、発信あるいは返信しなければ、何も伝わらないのだ。

思っているだけで、黙っていては、ぜんぜんダメ。

少数でもココロ強い。ゼロではないのである。

 

であれば、

「こう思う、こうします」主義

これまで通り、

好き勝手に参るといたしましょう――。

 

 



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