【ナンセンスといわれようとも ~ 大切にしたい「言葉という装置の力」 ~ ひとりで生きているわけじゃない の巻】
ナンセンス!
これは「無意味」「他愛もない」「ばかげた」という意味だけでなく
確実なる根拠のない考えや解釈、言説、思想を指す時に使われる。
わたしより少し上の世代であれば、
ヘルメット姿の学生が守旧派権力に対して浴びせた
そのシリアスな光景が思い浮かぶに違いない。
が、いまの若者には「何のこと?」となるだろう。
言葉が通じない時、内包している暴力がむっくりと姿を現す。
その次の瞬間、暴力は、
プロパガンダの最高の形式になってしまうのである。
あの一党独裁の国のように。
◇
昭和5年8月15日の閣議の席上。
大臣たちが雑談していて、ひょんなことから
「ナンセンス」という言葉の意味が俎上に上がった。
鉄道大臣の江木翼が「他愛のない話ということだ」と
簡単に片付けようとしたところ、
外務大臣の幣原喜重郎は「いや、そうではない。
何より、与太話と言った方がよい」などと
外交官らしく英語のニュアンスを持ち出した。
果ては口論に発展し、とんだ“迷訳”が飛び交った。
その時、それまで黙していた首相の浜口雄幸は
「それは簡単だよ。
いま君たちが言い争っていること。
それがナンセンスだよ」
◇
新型コロナ渦により「100人碁会」は分割・時短の“低空飛行”が続く。
しかしこれは、不本意だが、やむを得ず、なのである。
先日、ある同人が「こんな調子なら、そろそろ解散してはどうか。
総会に諮ればいい。そういう時期に来ている」と言い出した。
(え? なにゆえ、そんなことを口にする?)
世話人の一人としては、軽口?であれ聞き捨てならない発言である。
驚き、怒り、なにより情けなく思った。
そこでブログ等で、こういった風潮についてアレコレ愚痴るワケだが、
ここは言葉の力が試されるタイミングと得心した。
叱咤激励?応援?賛同?のメールをいただいたからだ。(多数ではないが)
「いいね」「応援」「拍手」のポチっと、については相当に賜った。
そう、発信あるいは返信しなければ、何も伝わらないのだ。
思っているだけで、黙っていては、ぜんぜんダメ。
少数でもココロ強い。ゼロではないのである。
であれば、
「こう思う、こうします」主義で
これまで通り、
好き勝手に参るといたしましょう――。