【侍従長・入江相政の随筆「古典逍遥」より の巻】
■手紙を書くよろこび
つとめ先からかえってきたら、
いつものように、
十通ほど手紙が届いている。
そのうちの一通は、安田靫彦からのもの。
今からではもう二十年の昔のこと。
昭和二十年代に結ばれた縁がもとで、
何かにつけて大磯に訊ねては、楽しんだ。
靫彦はいつも言った 「画でも書でも、速くかくほうがやさしい。
でも決して筆を速くならないようにつとめているが、
最も筆の遅いのは小林古径、私も小林君に敗けないよう、
速くならないようにつとめているが、とてもあの真似はできない。
古径の『古』の横の棒、あれを引くのに、二分ぐらいかかる」と。
そしてまた「手紙のようなものでも、
たとえ心のせくことがあったとしても、
速くたって、遅くたって、一本書くのに、
どれだけのちがいがあろうか」とも言った。
まず、封筒に見入り、それから封を切って静かに取り出す。
中の巻紙の書、この間の話のように、靫彦はきっと、
筆をおさえにおさえて書いたにちがいない。
(中略)
私はいつも思う。
「用もないのに、この手紙を書きます。
もしお気に入ったら、茶掛けにでもしてください」、
これぐらいの意気がなくては、
日本というこの美しい国に生まれた甲斐がない。
やすだ・ゆきひこ(明治17~昭和53年) 前田青邨と並ぶ歴史画の大家。青邨とともに焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わった。「飛鳥の春の額田王」「黎明富士」「窓」は切手に用いられた。良寛の書の研究家としても知られる。
◇
入江は、忙しい日々のなかでも、
一日に10通15通と書きなぐっていたが、
この頃には、筆にて候文でゆっくりと書きたい、
としていた。
二桁の万年筆を持ち、良くも悪くも“筆まめ”だったわたしも、
最近はキーボードを叩く時間がめっきり増えてしまった。
今は、ブログであり、メールであり、ラインである。
年賀状を欠礼し、切手・封筒・便箋・絵葉書が余っている。
だが、手書きの機会を減らさないようにはしている。
頭の神経の違う部分を使うような気がする。
囲碁の棋譜取りは、タブレットではなく、青と赤のペンを使う。
効率化一辺倒では味気なく、アナログの良さもあるのではないか。
デジタルという新しい技術が全てを上書きするワケでもなかろう。
それぞれの良さを玩味し、使い分けを楽しみたい。
****************************
この項、おしまい