この手紙は、空の郵便ポストから届けられた遠い日の想い出です。
『さよならの手紙』
知り合ってから本当に長い間でしたね。ふーさんはどんどん浄化されていって、そのうち宇宙人か何かになってしまうのではないのでしょうか。ふーさんは、精神の世界に住む人だと思います。おこがましいと思いながらも私も以前はそうだったような気がします。
水無月にはいり、梅雨も間近となってきましたね。すわらじは4月いっぱいでやめました。すわらじでの1年間は、とても楽しめるものでした。私が「手をあわせる」というその動作が好きなことはご存じでいらっしゃいましたか?すわらじでの1年間の毎日はそれこそ「手をあわせて」般若心経をとなえる日々でした。ですから私は苦もなくうちとける事が出来とてもありがたかったですね。その上、般若心経も大好きなお経でした。
ご存知ありませんでしたか?私の尼さんになりたいという気持ちは“なりたい”ではなくて、あこがれであるのです。俗っぽさ・・言葉がよくないのでしょう。きれいな世界だと思います。俗があるから聖があるような気がします。俗や聖から出発しても、行きついた先は全く正反対みたいなこともあるような気がします。聖と俗はいつもイコールであるような気がします。
私の尼さんになりたいという願いのようなあこがれは随分前から心にあったような気がします。それはいつまでもとぎれることなく私の心の底にずっとあって、そして、それは私がいつか尼さんになる時まで私をみはり続け、私に自問自答をくり返させるのではないかと思います。
私はたぶん結婚をすることはないと思います。あこがれとしての目でも生活としての目でも私の心の中にあまり残りません。本当に今まで心から好きになった人はいないのです。それは多分淋しいことでしょう。これからも好きになる人があるかどうか・・・。私は多分だれとも結婚はしないでしょう。そんな気がとてもしますね。
新しい職場にいっても頑張って下さい。どうぞご自愛ください。さようなら。
* * * * *
ぼくは、この手紙を押入れのなかを整理していて、改めて手にしました。これはもう四十年も前の手紙です。今のぼくは、もちろん、俗世間とともにあり、自分のなかには他の人には見られたくないぼくもいます。この『さよならの手紙』は青春の想い出ですが、誰もが心の引き出しに、さまざまな想い出があり、時にそれが、なぜか、現実の今にリンクしてくるのですね。
人生。この世で出会うということは奇跡であり、もう二度と会うことがなかったとしても、それは人生の貴重な一ページなんだと・・・・。
空の郵便ポストから届けられた、『さよならの手紙』に添えられていた一篇の詩です。
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を そそいでゆこう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう
返事は必ず書くことにしよう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
・gooblogに出会ってまもなく一年です。ブログ仲間への訪問で、自分では出来ないことや自分では行けない所の映像など、さまざまな出会いです。また、自分のブログを訪問してくれるブログ仲間には感謝です。
ひとりよがりな文に思えたりするかもしれませんが、ブログを書いて、自分以外の他者に見てもらえるということが、リタイアした自分にとっての生きがいになっています。これからも、ご訪問よろしくお願いいたします。