不思議活性

ルーツについて 4・5・6



    4

 文明の舞台として、古代日本を支えつづけた「西の都」大宰府について。

「大宰府」は、古代律令制下(奈良・平安時代)において、特に九州の位置的重要性を考え置かれた役所で、平安時代には、和名ではオオイミコトモチノツカサと読ませて、これは、「天皇の命を受けて政治をする役所」という意味です。
 大宰府は、朝鮮半島や中国といった外国に対する備えとして、畿内にある朝廷の出先機関として建設された都市であり、外交・防衛上非常に重要な任務を課せられて、大宰府が都市として機能したのは、7世紀後半から12世紀初めまでであると。時代的には飛鳥時代から平安時代の末期にあたり、貴族社会の成立から盛衰までとほぼ重なっています。

 古くから日本は中国を手本として、その文化を取り入れて発展を遂げてきたのですが、仏教などの思想をはじめ、建築や工業技術などその恩恵は計り知れません。聖徳太子が派遣したことで有名な遣隋使、続く遣唐使があります。遣唐使派遣の目的当初は唐の制度・文物の導入にあり、同行した留学生・僧が帰国後にはたした政治・文化上の役割は大きかったのです。奈良時代には、東アジアでの日本の地位確保をめざす政治外交上の使命も重要となったが、のちには貿易利益の獲得も目的とするようになり、請益(しようやく)僧とは、短期留学の学問僧のこと。

 平安時代初期の僧・空海(774年~ 835年)弘法大師ですが、代宗、徳宗、順宗の3代皇帝に仕えた「三朝の国師」恵果に会うために唐に赴き、 余命わずかな恵果から後嗣と目され、すぐに密教を伝授され、 本来20年を予定していた留学期間を1年余りで切り上げ、多くの文献を収集しながら、空海は帰国の途に就きました。空海は、真言宗の開祖であり、 日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらしたのです。

 時代区分として、縄文→弥生→古墳→飛鳥→奈良→平安→鎌倉→室町→安土桃山→江戸→明治→大正→昭和→平成→令和です。

 今、この令和の時代ですが、出雲族も大和族もくるめて、みな日本民族であり、奈良・平安時代に仏教との関わりが表にでてくるようになりましたが、古代から八百万の神を信仰の対象としている日本人は、日本神道と深く関わっていることは言わずもがなですね・・・・。

   * * * * * * * *

 その日本神道についてです。記紀に伝えられている日本神話は、農耕社会の風習をつよく示しているので、その最盛期は弥生時代(紀元前3世紀―紀元後3世紀)以後であろうと推定されます。古墳時代(紀元3―6世紀)は、神話時代から歴史時代への移りゆきの過渡期であり、日本列島全体を舞台とする神話の統一と体系化が徐々に進みました。
 神話が文字に記録されるのは、7―8世紀(飛鳥・奈良時代)で、この時代には中国大陸から仏教や儒教が入り、日本は文明社会の時代に入ります。ただし飛鳥・奈良時代の仏教は、まだ一部の宮廷貴族やアジア大陸(中国・朝鮮)からの渡来人を中心としたものにすぎません。奈良時代から平安時代(9―12世紀)にかけて日本の各地に次第に仏教寺院が建てられるが、地方の村々にまで寺ができるのは室町時代(14―15世紀)以後のことである。中世(11世紀後半から16世紀まで)の民話や神社の縁起などをみると、日本の民衆の信仰心理は、基本的には神話時代からそれほど変わってはいないようです。

 要するに、神道の信仰は、仏教や儒教のような文明宗教を受容したにもかかわらず、それらに吸収されて消滅することなく、日本の民衆信仰の底層にいきつづけて、江戸時代から近代にかけて新しく起こってくる民衆宗教(新宗教)には神道系のものが少なくありません。このことは、未開社会における神話的信仰の心理が、古代から現代まで、今なお、日本に生きつづけているということなのでしょう。

    5

 話は現代。私自身の家系図を調べてみました。私の祖父は實太郎。そのお父さんは幸記。そのお父さんは庄左衛門とあり明治6年2月12日卒です。
 その庄左衛門という名は何代か続いていて、初代庄左衛門は、1731年(享保16年)8月11日卒。(江戸時代は 1603年~1868年)。その先は、平兵衛1708年(宝永5年)4月15日卒。源左衛門1676年(延宝4年)1月9日卒。織部1657年(明暦3年)9月10日卒。丹後1627年(寛永4年)3月30日卒。ここまでわかりましたが・・・・。

 ところで、人は誰もが何度か生まれ変わりをして現在に至っているという事ですが・・・・。

 安氏のお話を思い出しました。それは、安東民氏が日本に来てN氏と会ったときでした。

「私はその時、N氏が60代も半ばを越した、まれに見る貴人の風貌を持った方であるということをわかったのであるが、霊査をして又びっくりであった。
 それは柿本人麻呂を始めとして菅原道真、大江皇子、孝明天皇、推古天皇等のお名前がすらすらと出たことである。正直に云って私は日本の古代史に対しては全然門外漢であり、柿本人麻呂という人物が実際に存在したのか否かそれすらもわかっていなかったからである。
 柿本人麻呂という人は何か歌人らしく、日本の上古の文学史と深いゆかりのある人らしいという感じが漠然と思い浮んだだけであったのである。ところが、この柿本人麻呂が大の曲者で、私を北海道迄引っ張って行き、直接自動書記の形で話しかけたのであり、彼が万葉集の編者として日本の文学史に非常に重要な役割をした人であるだけでなく、複合霊の分身として私自身の中にもちゃんと存在していたということを悟らせてくれたのであり、また北海道に一種の地縛霊として土地の人々にやつ当たりをして色々の災害をもたらしていたアイヌの守護霊達を解放させて天上界に帰らせる道案内までするようになるとはその時、私は夢想だにしなかったことなのである。
 またN氏は、千数百年前に柿本人麻呂の晩年の愛人であったと思われる依羅娘子の再生したKさんに会われることによって、転生の事実と原理をたしかめたのであった。」

     6

 ルーツについて書いていくうちに、輪廻転生についてのお話になってしまいましたが、再び、本山博先生のお話より・・・・。

「人間は自分が生まれかわる以前の人生、つまり前世で体験した出来事を引きついでいるのである。
 自分の左目を短刀でえぐりとった男は、左眼がはれて、しかも眼をえぐられることを恐れる男として再生した。貧しいけれど豊かな心を持った男は、資産家の息子として生まれかわった。
 このように、前生と今生との間には一定の因果関係がある。この原因にあたるものを「カルマ」とよんでいる。カルマという言葉はサンスクリット語で「行為」という意味である。つまり、あなたの前生でのカルマが現在のあなたの人生を支配する原因となっており、またいまあなたが毎日送っているこの人生での行為や体験が新しくカルマとなって、将来生まれかわったときのあなたを規定するのである。」

    * * * * * * * *

 そう、私は、やはり人はみな幾度か生まれ変わってこの世に誕生してくるのであり、自分の魂は、いったいいつからこの世に誕生して来たのか、自分のルーツはどのようになっているのかなと・・・・。
 私のふるさとからは、多くの弥生時代の土器や古墳時代の埴輪などが出土されたことを知ると、もしかしたら、私自身、弥生・古墳時代に生きたことがあり、それから幾度か生まれ変わり、ふたたび、この愛するふるさと佐久に生きているのかなんて思ったりもします・・・・。

 2017年(平成29年)に書いた詩の紹介です。

『文明について』

テレビ
自動車
飛行機
スマートフォンなど
便利な世の中です

でも便利になるにつれて
人間の身体は退化して
さまざまな 病気が
でてきて 病院は
患者であふれて
います

人間の心は
高度な文明をもった
古代人も現代人も
それほど変わらない
かも知れません

高度な文明も幾度か
おきては滅びて行って
いるといいます
生きて行くって 幸せって
何なんだろう

ゴールデンウィークも
終わり 静かな
昼下がりです



・『ルーツについて』でしたが・・・・。思えば、日本人って北欧の人のような顔立ちの人もいれば南洋諸島の人のような顔立ちの人もいたり・・・・。宗教にしても仏教だけでなく、キリスト教の人もいればイスラム教の人もいます。安氏いわく、北斗七星系の人がいればオリオン星系、シリウス星系の人もいるということかも・・・・。
 それぞれのルーツが少し違ったとして、宗教が違うことによる宗教的迫害、人種・民族的迫害など、いつまでもあるということは人間としての進化が遅れているのでしょうか。人間としてのルーツは、皆、一つの元から出て来たのではと思うのですが。きょうという一日が穏やかな日でありますように・・・・。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「幸せ」カテゴリーもっと見る