賢治童話と私・きょうは、『よだかの星』を紹介いたします。
『よだかの星』
よだかは、実にみにくい鳥です。で、はじまる『よだかの星』。よだかは、美しいかはせみや、宝石のような蜂すずめの兄さんなのに、顔は、味噌をつけたようで、口は裂けて、見ためは、やはりみにくかったのです。でも、こころは、とてもやさしかったのです。
それを、ある日、鷹がよだかのうちへやってきて、「おい、居るかい。まだお前は名前をかへないのか。・・・・・もし、あさっての朝までに、お前がさうしなかったら、もうすぐ、つかみ殺すぞ。」と、脅されてしまったのです。
よだかは、もうたまらなくなりました。
よだかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
お日さまに、お願いいたしました。
「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。やけて死んでもかまひません。私のやうなみにくいからだでもやけるときには小さなひかりを出すでせう。どうか私を連れてって下さい。」
また、西のそらのあの美しいオリオンの星の方に、まっすぐに飛びながら叫びました。
「お星さん。西の青じろいお星さん。どうか私をあなたのところへ連れてって下さい。やけて死んでもかまひません。」
それでも、みんなに相手にはされません。
よだかはもうすっかり力を落してしまって、はねを閉じて、地に落ちて行きました。そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、よだかは俄かにのろしのようにそらへとびあがりました。そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲うときするように、ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。
それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。その声はまるで鷹でした。野原や林にねむっていたほかのとりは、みんな目をさまして、ぶるぶるふるえながら、いぶかしそうにほしぞらを見あげました。
夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。
寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようです。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました。
それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています。
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・『よだかの星』は賢治童話のなかでの賢治の死にたいする考え方というか思いを象徴しているように思う私です。
内にコスモスを秘め、銀河系と交感する野の詩人と言われる宮沢賢治作品は多くの人に愛されているのでしょう。小さな子供から年を重ねた大人まで。自分自身、読むたびに新鮮な空気を感じます。
次の賢治作品紹介お楽しみに・・・・。