輪廻転生なんていうと、そんなことは信じられないという人もいると思いますが、日本人は意外と輪廻転生の考え方に違和感を持っていないのでは。
テレビドラマやマンガの世界でも、主人公がこの世に生まれ変わってきた話とか、死んであの世に行ってまた戻って来たなんて話があったりして。
また、輪廻転生と関連してというか、殺人を犯してあの世にいった人、自殺をしてあの世にいった人はその後、どのような進路になるのか、ふと、知りたくもなりますが・・・・。あの世のことは神のみ知るということでしょうか。それでも、それらに関した話は若かりし頃、よく読んでいた自分です。リタイアして自由な時間が増えて、若かりし頃の続きというか改めて、想像の翼を広げて、輪廻転生に関する物語などを紹介して行きたいと思います。
安東民著 『鶏を恐れる少年』
はるかなる昔、国と時代は確かでなかった。朝廷で権勢を握ったある好悪な臣下が悪だくみをして、忠実な臣下たちをワナにかけ、大いなる獄事を起したことがあった。獄事を起した首謀者は功臣として認められ、生前は富貴の限りをつくしたけれども、死んで再生する過程で大きなムカデになったのであった。過ぎたる前世には人間であったという記憶をもって生まれたムカデであった。ムカデとして石の間に隠れ住まなければならない生活は悲惨そのものであったのはもちろんのことである。
しかし体はムカデでも、心は人間としての記憶をもっているムカデは、死ぬのが少しも怖くなかったのであった。死ぬことで再生の道をたどれるという事実を知っているためであった。自分の過ぎた世に犯した罪を贖罪するためにも、汚れた虫の体が薬材の一部として使われるのならば、これ以上幸せはないと考えたのであった。それでムカデは自分から進んで山人達が行き交う道端に出て、自ら命を投げ出したのであった。
何百年にもわたって、同じような再生がくり返されたであろうか?今ではかつて、人間であったという記憶もカスミのようにはるかな夢物語になった気分であった。はるかな昔から自分はムカデであったのであり、ただ人間であったという夢を見たのではないか・・・という考えが、時たま頭の中をかすめるのであった。
そうしたある晩、月が明るい夜であった。岩の棲み家から這い出て来たムカデは、道端に立っている大きな木の枝に看板がかかげられているのを見たのである。
この群の代官様が原因不明の重病を患っているということ、名医が曰く、一尺をこえる大きなムカデを材料にした漢薬材が必要であること、このような大きなムカデを捉えて差し出す人には、賞として十両のお金をくださるという内容の看板であった。
ムカデは自分の体が優に一尺をこえているのを確認して、今度こそは絶好の機会であると、ムカデは村に向かって一晩じゅう夜道を這って山を下りたのであった。村の入り口に到達した時には、すでに、夜は白々と明けはじめていた。ムカデは一番近くに見える農家に向かって這い進んだ。ところが、人々の目につく前に、鶏がムカデを見つけたのであった。
「駄目だ。お前に食べられるわけにはいかないのだ。オレは代官様のお命を救わなければならないのだ」
と声を限りに叫んだけれども、それは無駄なことであった。鶏の鋭いクチバシについばまれて一尺をこえるムカデの体は三つにちぎれたのであった。真に耐え難い苦しみであった。
意識が朦朧となる中で、大きなムカデは自分のほうに向かって走り来る人の足音を聞いたのであった。自分の家の鶏がけたたましく鳴くのを聞きつけて、何の事かと外に走り出てきた農夫は、一尺をこえるムカデを一息に飲み込むことができずに苦しんでいる鶏を発見した。立札を読んでいた農夫は、鶏をしめ殺してムカデを吐かせたのである。農夫がささげたムカデのためか、代官は無事に死堺をこえて生きかえった。
その次、ムカデが気がついてみると、彼は赤ちゃんの体をもっていたのである!彼の喜びがどのようなものであったかは、いまさら説明するまでもないと思う。今後は、どんなことがあっても、虫になるような行動をしてはならないと固く決心したのは勿論のことであった。
幼い赤ちゃんが、声も立てずにしきりに涙を流すのを見て、母親は不思議に思ったという。
「それじゃ、私の息子が前の世にはムカデだったという話ですか?」
「必ずそうであるというのではありません。そのような場面が息子さんと関連されて浮かんだだけであり、この幻想が間違いない事実であったと証明するのは勿論、できないわけです。息子さんが鶏を恐れるのは、鶏に食べられることによって、善行をする機会を失って、再びムカデとして生まれ変わるのではないかと恐れた前世での記憶が無意識の中にきざみ込まれていたためではないでしょうか?」
「全く童話みたいなお話しですね。とにかく、この子がノイローゼから解放されたのは確からしいから、感謝します」
と、お母さんはいわれた。
その後、しばらくして、この学生が完全に健康になり学校に通うようになったという話を、私(安東民)は快く聞いたのであった。
・このお話は、超能力者であった安東民氏が実際に経験した話なのか、想像の話なのか・・・・。安氏いわく、この宇宙を支配する因果律がどんなに厳格なものであるかを知らせてくれるのではないかと。実際、私も、この世にこうして生きているということは不思議なことで、尚且つ、魂の輪廻転生を考えるとき、私たちは生きていることの意味を改めて思うのではないでしょうか・・・・。