第七十九章 任契(契を司る者に任す)
大なる怨みに和(むく)うは 必 ず余怨有り。安んぞ以て善と為すべ
けんや。
是を以て、聖人は左契を執りて人を責めず。
有徳は契を 司 り、無徳は徹を 司 る。
天道は親しみ無し、常に善人に与(くみ)す。
過酷な政治を行って民の怨を受け、その怨をやわらげようとして、税を軽くしたり、税の取りたてをゆるめたりしても、怨は消えるものではないのである。
一度重い税をかけられ、激しく取り立てられると、民は食う物や着る物までが足りなくなって、飢えや寒さに苦しみ、親子兄弟が共に暮らすことができず、はなればなれになるものさえ生ずるからである。
以上のようなわけであるから、聖人は約束をしたことを引合すための左契を取るが、債権者の持つべき右契は持たないのである。これは、催促をして、人からものを取り立てるということを忠実に行えば、相手が不作であったり、病気であったりしたときは、相手を困らせ、怨みを受けることになるからである。
有徳者は人を困らせるような催促は決してしないようにするために、契約したときには債務者の持つ左契をとって、相手が、契約を実行しようとして、来たときにのみ、それを合わせるように使うのである。
左契を執りの、左契は、割符の左半分である。昔は貸借の契約をなす場合、二つに割った割符の右半分、即ち右契は、貸した方、即ち債権者である方が執り、借りた方は左半分、即ち左契を執ったのである。左契を執りは、債務者が持つ方を執ることである。
無徳は徹を司るの、徹には、明らか、通す、とげる、剥ぎ取る等の意あり、無徳は徹を司るは、徳のない為政者は、わりつけた税は必ず取り立てることをいう。