第七十六章 戒強(強を戒める)
人の生くることは 柔弱 なればなり。其の死することは 堅強
なればなり。
万物草木の 生 ずることは 柔脆 なればなり。其の死すること
は枯槁(ここう)なればなり。
故に、堅強 なる者は死の 徒 にして、柔弱 なる者は生の 徒
(ともがら)なり。
是を以て、兵強ければ勝たず。木強ければ共にす。
強大 なるは下に処り、 柔弱 なるは上に処る。
人の生れたときは全身柔軟であって、骨さえ柔らかである。
心のかたくなのところがなくて、自由に変えることができる。
泣いていても、直ぐ笑うようになるし、おこっていても、直ぐにこにこと、機嫌をよくすることができるのである。
しかし、人は生長し、年を取るに従って柔軟さがなくなって、身体が硬くなり、死ねば身体は全く固くなって、手足を曲げることも難しくなってしまうのである。
また、心に潤いとか、自由さというものが少なくなると、怒りや、憎しみや、悲しみの心が生じたときに、これを無くすることは容易にできなくなるのである。
以上述べたようなわけで、兵が強がっているときは身体も強張り、柔軟さがなくなるから武技も上手になれず、敵に計られやすくなるのである。
強大なるもの、人の上に立つ者は、その大きな使命を果たすために、柔弱謙譲の徳を守らなければならないことが明らかである。