今回、『ゴッホの手紙』エミル・ベルナール編 硲伊之助訳 岩波文庫を読み、改めて、37歳で亡くなったヴィンセント・ヴァン・ゴッホの凄さに驚きました。その若すぎる死はゴッホをある意味神格化してしまいそうですが、『ゴッホの手紙』を読んでいくと、生身の人間ゴッホの素直な生きること・描くことの真実に胸打たれた私です。以前、『太陽の画家ゴッホ』として、数回にわたりブログに書いたのですが、改めて、ゴッホについて紹介いたします。
『ゴッホの手紙』(ベルナール宛)より。
第二信 1883年3月 アルル
約束通り筆を執ってみたが、まずこの土地の空気は澄んでいて、明快な色の印象は日本を想わすものがある。水は綺麗なエメラルド色の斑紋を描き、われわれが縮緬紙の版画でみるような豊かな青を風景に添える。淡いオレンジ色の落日は、土を青く感じさす。毎日太陽は黄色く輝いている。しかし僕はこの地方の夏の素晴らしさを全く知らないのだ。女の服装は綺麗で、殊に日曜日の並木道では素朴でとてもうまい色の組合せをみる。だから、夏になればもっと陽気になるだろう。
この手紙のはじめに、僕が今ものにしようと取り掛っている習作の小さな見取図を入れておいた。大きな黄色い太陽が妙な恰好の吊橋の側面を浮彫りにしたところを、水夫達が恋人を連れて町の方へと登って行くんだ。同じ吊橋とひとかたまりの洗濯婦を描いたもう一枚の習作もある。
「はね橋」
・添えられたゴッホの素描がありますが、私なりに関連した油絵を探してみました。以下、同じように関連すると思われる一枚の絵を添えてみます。
「アルルのはね橋」 1888年3月
第五信 1888年5月下旬
君は何を描いているかい?僕は、静物を一枚描いた。瀬戸引きの金物の青いコーヒー沸しに古代青の茶碗と白の市松模様のミルク入れに、白地にオレンジ色と青の図案がある茶碗、緑と茶と桃色の花と葉がかいてあるマジョリカ青の壺、これが全部青いテーブル掛けの上にのせてあり、黄色い背景で、テーブル掛の上にはこのほか、オレンジ二個とレモン三個が置いてある。
「コーヒー沸し」
「静物」 1889年
第九信
今日もまた仕事で、つらい一日だった。
若し君が僕の絵を見たら何て云うだろう。セザンヌのような、注意深くって引込思案な筆の使い方じゃないから。
だが、彼が描いたのと同じクローの田園風景を現在描いているから―前の場所とは少し違うが―色彩的には幾分共通なところがあると思う。
ときどき、非常に早く仕事をした。これは僕の短所かしら、ほかに方法もない。
例えば三十号の≪夏の夜≫は、たった一回きりで描いてしまった。
落ちついた筆触よりもわれわれが求めているのは思想の強靭さなのだ。
「夏の夜」
「ローヌ川の星月夜」 1888年9月
・次回に続く・・・・。