不思議活性

「箱男」と「砂の女」


 
 ぼくは箱男だったかも知らない。1973年4月の新潮社の新刊案内に「箱男」があったのである。1973年(昭和48年)はどのような年であったか、拾い集めてみました。
 第1次オイルショック、ベトナム和平協定、インフレ・狂乱物価、ドバイ日航機ハイジャック事件、ブルース・リーが死去、金大中事件、巨人軍V9、田中改造内閣発足(1973年11月)などありました。
 日本に激震が走った、第1次オイルショック(昭和48年10月~昭和49年8月)ですが、1973年( 昭和48年)の晩秋、日本全国のスーパー店頭からトイレットペーパーや洗剤が消えました。1973年10月、アラブ諸国とイスラエルとの間で「第四次中東戦争」が始まりました。 この時、アラブの石油輸出国は、原油の生産量を減らすとともに、イスラエルを支持する国々への輸出禁止を決定しました。1974年には原油価格が4倍に上昇し、石油輸入国に大きな打撃を与えたのです。 

 箱男であった?ぼくは、東京での成人式前の一人暮らしでした。1973年4月の新潮社の新刊案内には、1970年(昭和45年)11月に逝った三島由紀夫の全集の紹介もありました。昭和45年は、ぼくは高校二年生で授業中に社会科の先生が三島由紀夫の死を教えてくれました。まもなく社会人となったぼくでしたが、世の中のことはほとんど何も知らなかったと言える一人の箱男でした。


 小説「箱男」阿部公房より。

 ところで君は、貝殻草の話を聞いたことがあるだろうか。いまぼくが腰を下ろしている、この石積みの斜面の、隙間という隙間を、線香花火のような棘だらけの葉で埋めているのが、どうやらその草らしい。
 貝殻草のにおいを嗅ぐと、魚になった夢を見るという。

 箱男はさまざまな夢を見るのですが、都市には異端の臭いがたちこめている。人は自由な参加の機会を求め、永遠の不在証明を夢みるのだ。そこで、ダンボールの箱にもぐり込む者が現れたりする。かぶったとたんに、誰でもない存在になってしまえるのだ。だが、誰でもないということは、同時に誰でもありうることだろう。不在証明は手に入れても、かわりに存在証明を手離してしまったことになるわけだ。匿名の夢である。そんな夢に、はたして人はどこまで耐えうるものだろうか。

 はたしてぼくは箱男にはなれなかったのでした。小さな料理店の二階に住み込みのぼくでしたが、転入届をちゃんとしていたぼくには、ちゃんと、市からの成人式の通知が届き、友だちが誰もいない自分でしたが、淋しい成人式に出席したことが今も思い浮ぶのです。


 令和七年。小説「箱男」から50年は立っています。存在・非存在の青春の夢はそのままかもしれません。それが、この歳になって、小説「砂の女」に出会い、再び青春に帰ったようでした。

 小説「砂の女」阿部公房より。

 流砂に埋もれゆく一軒家に閉じこめられた男の逃亡と脱出!

 八月のある日、男が一人、行方不明になった。休暇を利用して、汽車で半日ばかりの海岸に出掛けたきり、消息をたってしまったのだ。捜索願も、新聞広告も、すべて無駄におわった。
 その流砂に埋もれゆく一軒家での一人の女との出会い。その一人の女と主人公仁木との濃密な世界は、まさしく青春の夢であったのでしょうか。

 ここに箱男になれなかった自分がいます。老年とは、もはや若いときのように冒険やスリルや激しい変化を好まない。もうこれでいいのだということ。老年とは欲望が衰える時期だと言います。それでいいいのだと思うのです。
 もう一度人生を始めからやり直し出来たらなんては思いません。ぼくは、自分が通りすぎてきた青春。その一度だけで十分だと、しみじみ感じる老年になったのです。

 老年は人生についての総勘定をする時期だといいます。まさしく、ぼく自身、もう一度若返って長いマラソンレースをしようとは思いません。老年は、人生をゆっくりと散歩する時期なのでしょう。散歩はいつどこで打ち切ってもよいのですから。箱男。それは若き日のにっちもさっちもいかなかったぼくの青春の一コマの夢だったのかも・・・・。




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