今日の札幌の天気晴れ~朝から青空が見えます。
でも、夕方から朝にかけて気温が急に下がり寒いです。
室内23度暖房が少し欲しいと感じる今日この頃。
主人はいつものように夜中の2時3時に起きて車椅子で朝まで寝ているが、
私は5時ごろ起きてそーっと主人の様子を見ると、
夏掛けを肩まで引き上げて車椅子で寝ている。
主人を起こしベットで寝るように促すと素直にベットに横になった。
もう秋だもの夏掛けはないな~~と思うが主人は此れが良いという。
夕べからシングルの毛布を1枚プラス・・・
今頃の季節は体温調節が難しい。
毛布1枚増やした事で、ほんわかと温かい。
夏掛けプラス毛布1枚を主人に掛けると、
ああ暖かいと言いながら気持ち良さそうに直ぐに寝入る。
朝5時から2度寝が出来ないまま私も夏掛けプラス毛布にもぐる、
急に舅,姑、実父、母の事が頭を廻る。
みんな遠いあの世に行っているが、
長い年月だんだんあの時の介護で苦労した事が薄れてきている。
でも長いトンネルの中に入った様な感じで抜け出せないのは確か。
この4人の介護はどれ1つ同じ事は無かった・・・
舅は静かな人だったが、姑の性格はきつい人で食道癌を患って苦しんでいた。、
介護をしながらいつも私は砂を噛んでいるような味気のない介護に明け暮れていた。
実の父が胃がんで6か月の入院であっけなく逝ってしまい、
実の母は父の葬式の日から認知症が出る。
笑い話にもならない早業だった。
姉は居たが道外にいるため看る気はなしというより義兄が看る気なしと言う事、
施設に入れる気はさらさらなかった私。
私が母を看取るまで介護をしようと決めたが、
怒涛の様な毎日徘徊する母の後を追いかける私。
その母を連れて姑の看病、姑は母を連れて来るなと言うが、
家に置いておくと失踪おまわりさんのお世話になってしまう。
なにがなんでも連れて歩いた。
たった1つの私の趣味水彩画を描く事。
近くの公園にお弁当、おやつ持参で母を助手席に乗せ行くのがただ1つの楽しみだったが、
此処でもあんまりのんびりも出来なかったかな・・・
母がお弁当食べている間に私は急いでスケッチだけをする。
ふと母の方を見ると母は一生懸命嬉しそうに芝生の草を抜いている、
私はあわてて周りを見渡して誰もいない事を良い事に、
母の抜いてしまった芝をそこら辺に撒いた記憶が、
今は懐かしく思いだす。
母が認知症に成り9年目が過ぎた頃に、
粗相をしてしまった母の着替を膝を付いてして居る時に、
突然頭の上で母が【お世話になります】と言う。
この日を境に私は母の娘でなくなってしまった。
母の頭の中にはずーと私は居なかったのかも知れない。
姑を見送り1人残った母を心残りが無いように看る事を再度決意する。
その為に家族の犠牲が沢山出た。
息子たちは母のご機嫌取りに専念・・・
単身赴任先から戻ってきた主人は毎日不機嫌。
一番大変だったのは娘である。
私の子宮癌が見つかり急遽入院。
その間は娘が仕事を休み大変な苦労をさせた。
娘も今では嫁ぎ先の認知症が出始めた姑を看ている。
何事にも負けない娘は強いと思う。
現在は私は半身不随になった主人を看ているが、
長い長いトンネルをまだ抜け出せないでいる自分。
だけど3か月ごとに5日間泊りに来てくれる娘一家が来た時だけ、
長いトンネル生活から一瞬抜け出せる。
これから先も【お世話になります】と、
頭が下がる思いです。
今日は回想録で終わります
でも、夕方から朝にかけて気温が急に下がり寒いです。
室内23度暖房が少し欲しいと感じる今日この頃。
主人はいつものように夜中の2時3時に起きて車椅子で朝まで寝ているが、
私は5時ごろ起きてそーっと主人の様子を見ると、
夏掛けを肩まで引き上げて車椅子で寝ている。
主人を起こしベットで寝るように促すと素直にベットに横になった。
もう秋だもの夏掛けはないな~~と思うが主人は此れが良いという。
夕べからシングルの毛布を1枚プラス・・・
今頃の季節は体温調節が難しい。
毛布1枚増やした事で、ほんわかと温かい。
夏掛けプラス毛布1枚を主人に掛けると、
ああ暖かいと言いながら気持ち良さそうに直ぐに寝入る。
朝5時から2度寝が出来ないまま私も夏掛けプラス毛布にもぐる、
急に舅,姑、実父、母の事が頭を廻る。
みんな遠いあの世に行っているが、
長い年月だんだんあの時の介護で苦労した事が薄れてきている。
でも長いトンネルの中に入った様な感じで抜け出せないのは確か。
この4人の介護はどれ1つ同じ事は無かった・・・
舅は静かな人だったが、姑の性格はきつい人で食道癌を患って苦しんでいた。、
介護をしながらいつも私は砂を噛んでいるような味気のない介護に明け暮れていた。
実の父が胃がんで6か月の入院であっけなく逝ってしまい、
実の母は父の葬式の日から認知症が出る。
笑い話にもならない早業だった。
姉は居たが道外にいるため看る気はなしというより義兄が看る気なしと言う事、
施設に入れる気はさらさらなかった私。
私が母を看取るまで介護をしようと決めたが、
怒涛の様な毎日徘徊する母の後を追いかける私。
その母を連れて姑の看病、姑は母を連れて来るなと言うが、
家に置いておくと失踪おまわりさんのお世話になってしまう。
なにがなんでも連れて歩いた。
たった1つの私の趣味水彩画を描く事。
近くの公園にお弁当、おやつ持参で母を助手席に乗せ行くのがただ1つの楽しみだったが、
此処でもあんまりのんびりも出来なかったかな・・・
母がお弁当食べている間に私は急いでスケッチだけをする。
ふと母の方を見ると母は一生懸命嬉しそうに芝生の草を抜いている、
私はあわてて周りを見渡して誰もいない事を良い事に、
母の抜いてしまった芝をそこら辺に撒いた記憶が、
今は懐かしく思いだす。
母が認知症に成り9年目が過ぎた頃に、
粗相をしてしまった母の着替を膝を付いてして居る時に、
突然頭の上で母が【お世話になります】と言う。
この日を境に私は母の娘でなくなってしまった。
母の頭の中にはずーと私は居なかったのかも知れない。
姑を見送り1人残った母を心残りが無いように看る事を再度決意する。
その為に家族の犠牲が沢山出た。
息子たちは母のご機嫌取りに専念・・・
単身赴任先から戻ってきた主人は毎日不機嫌。
一番大変だったのは娘である。
私の子宮癌が見つかり急遽入院。
その間は娘が仕事を休み大変な苦労をさせた。
娘も今では嫁ぎ先の認知症が出始めた姑を看ている。
何事にも負けない娘は強いと思う。
現在は私は半身不随になった主人を看ているが、
長い長いトンネルをまだ抜け出せないでいる自分。
だけど3か月ごとに5日間泊りに来てくれる娘一家が来た時だけ、
長いトンネル生活から一瞬抜け出せる。
これから先も【お世話になります】と、
頭が下がる思いです。
今日は回想録で終わります
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