koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

巨星墜つ・・・

2013年01月20日 21時56分52秒 | スポーツ

日曜夜ですので,本来は大河ドラマ「八重の桜」の感想を書くところなのですが,元横綱大鵬幸喜氏の訃報に接し,これは書かずばなるまい・・・と思っているところです。
但し,御存知のように私は住もうに関しては(も)全くの素人ですので,勝手な思いをのべることに終始すると思われます。
ま,独りよがりの駄文は私の私たる所以ですので,しょうもないと看過していただければありがたいです。


私が生まれた頃には,既に大鵬は横綱になっていました。
同時期の横綱としては,柏鵬時代と並び称される柏戸が居たのは勿論,北の富士,琴櫻,玉の海(大関までは玉乃島。現役横綱のまま急逝した)といった関取たちが居ました。
輪島の入幕は,大鵬の晩年と記憶していますので,70年前後だったのでしょう・・・。
本日付の朝日には,例の「巨人・大鵬・卵焼き」と称されたことを大鵬が嫌がっていて,長嶋や王はチームとして活躍したが,自分は文字通り孤軍奮闘だったとか,金で選手を集めたチームが勝つのは宜しくないと言ったとか,まことしやかに書かれていました。
ま,書いたのは,必要以上に巨人叩きの記事を書く西村欣也でしょうから,当然でしょうが・・・。


それにしても,60年代~70年代にかけての大鵬は,V9時代の巨人同様とてつもなく強かったです。
黙っていても優勝していた点でも共通しています。
今なら個人的には同郷の柏戸を応援したと思いますが,当時は圧倒的に大鵬が好きでした。
勝ちっぷりは圧倒的に柏戸が良いのですが,大鵬の取り組みには柔軟性があったような気がします。
言うなれば剛の柏戸に対して,柔の大鵬と言っても良いのかも知れません。
このあたりは,後の若貴兄弟を思わせます・・・。
通算の対戦成績は,柏戸16勝大鵬21勝。
横綱昇進までは柏戸が勝ち越していましたが,最後は5連敗だったようです。
但し,千秋楽での対戦は柏戸4勝大鵬3勝だったようで,実力伯仲だったということでしょう・・・。


また1つ昭和を象徴する何かを失った・・・という気がしてなりません。
白鵬時代と巨人のV9時代は,完全に我が国の経済高度成長時代と被りますし,この時代に少年時代前半を過ごすことができた私は,幸運だったとも言えるのかも知れません。
大鵬の最後の記憶は,引退となった昭和46(1971)年の5月場所5日目,新進気鋭だった先代貴乃花との取組で,小柄な貴乃花を鞠のように転がしたものの,一瞬早く自分の足が土俵を割り,尻餅をつくという一番です。
1つの時代の終焉を幼心にも感じた当時の私でしたが,今またそれ以上の喪失感を味わうと共に,昭和が遠ざかっていくことを痛感せざるを得ません。
合掌・・・。
日記@BlogRanking


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