又今年もこの日が巡ってきた。
もはや10代後半から嬉しくない日の一つと化してはいるのであるが,多くの方々にお祝いの言葉をいただくと,やはり喜ばしい日であることを再認識したりもする・・・。
この日は,SNSをやり出した11年前からお気に入りの一曲を紹介してきたのであるが,毎年のラインナップを挙げると以下の通りとなる。
05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年 交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)
15年 序曲「謝肉祭」(ドヴォルザーク)
最初の年は,爛漫たる春を静かに祝う平穏な曲想の一曲で始まったのであるが,2010年
など自虐でしかない選曲だし,12年のピアノ四重奏もどす暗い情念が蠢くような曲想で,これまた自虐。
13年の「ローエングリン」に到っては,波乱の予兆でしかない・・・。
毎年,選曲には勝手ながら迷うのであるが,今年は迷わず決めた。
ピアノソナタ第3番ロ短調op.58~終曲(F.ショパン)。
本日3月1日は,ショパンの誕生日だそうだ(他に,芥川龍之介と加藤茶)。
私自身,決して熱心な聴き手ではなかったし,ピアノ協奏曲第1番の緩抒楽章ロマンツェやアンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ(但しオケ伴付)ぐらいしか自らの意志で好んで聴くことはなかったのだが,このソナタの終曲は例外だ。
先立つ第2ソナタが葬送行進曲付きで有名であるが,どうも割り切れ無さというか完成されぬもどかしさを感じさせるのに対し,この第3ソナタは違う。
何よりも第1楽章冒頭から,えも言えぬパッションの発露と,デモーニッシュな感性が聴き手の心を捉えて離さない。
この終曲は,強烈な和声の連打で始まる。
青白く燃えるパッションは,二度と帰ることの無かった祖国ポーランドへの思いなのか,恋仲にあったとされるジョルジュ・サンドへの思慕なのか,今となっては知る由も無い・・・。
この曲に関しては,絶対マウリツィオ・ポリーニの演奏に止めを刺す。
ファンには悪いが,ポリーニの後で聴くアシュケナージは腑抜けにしか聞こえない。
最後のBdurの和音まで,クリスタルガラスのような硬質なタッチと抜けるような高音域の冴えが見事で,一瞬たりとも弛緩する瞬間が無い・・・。
・・・ということで,本年も又齢を重ねた・・・。
またしても自虐とも言うべき波乱に満ちた曲を貼ってしまったが,充実した1年にするべく努力したいものだ・・・。
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