元イラク大統領で,イラク戦争のあった2003年12月に米軍によって拘留されていたサダム・フセインの死刑がイラク高等法廷で決定した。
予想はしていたのだが,こうしていざ判決が出てみると戸惑いを禁じ得ない。
というのは,これを機に
「悪いことをしたのだから,断罪されて当然」
という「単純論」がまかり通るのでは,という危機感が感じられるからだ。
誤解の無いように前もって述べておくが,私は決してサダム・フセイン政権の支持者でもなければ,スンニー派の回教徒でもバース党員でもない(当たり前だ)。
ただ,国連決議を無視して断行されたイラク戦争における米英を中核する多国籍軍(勿論我が国も含めて)の軍事介入に対しての疑問を未だに拭えないでいるだけである。
さらに,フセインを断罪したイラク高等法廷なるものの存在についても疑問を感じざるを得ない。
旧フセイン政権の犯罪を裁くため03年12月に米英占領当局とイラク統治評議会によって「特別法廷」として設置され、後に名称が「高等法廷」に変更されたもので,イラクの国内法に基づいてのものではあるが,米英の色合いの濃さが今尚感じられてならないのは私だけであろうか。
米英占領下で設置されたために,フセイン元大統領や弁護団は法廷の正当性に異議を唱えているそうだが,もっともなことと思う。
それ以上に,勝者が敗者を裁く,といったことが果たしてあって良いのだろうか。
旧ユーゴのミロシェヴィチ元大統領を断罪した旧ユーゴ国際戦犯法廷とは訳が違うのである。
そうした意味でも,私はかつての極東軍事裁判(つまり東京裁判)との近似性をついつい感じている。
・・・と書くと,これまた
「(日本は)悪いことしたのだから,裁かれて当然」
といった「単純論」を言われそうだが,国際級の紛争というものは,そんな勧善懲悪で片付けられるほど単純な代物ではなく,国家創設以来の歴史的背景や宗教上の対立,大国や近隣諸国の利権,等々が複雑に絡み合ったものであり,一筋縄ではいかぬ内容である。
イラク戦争は,そもそもが中東の利権を巡って米英が一方的に他国に干渉・介入した理不尽なものである(我が国がその片棒を担いだのも情けないを通り越しているが,当時も今も米英の行動を支持する人々は多いと思われる・・・)。
それ故に,イラク→フセイン=悪,などという単純な図式を鵜呑みにしたり,単純に米英を賞賛してはいけないと思う。
勿論,フセインのシーア派虐殺に対する罪やクルド人迫害に関する罪は紛れもないものだろう。
だったら,イラク人に裁かせるべきであるが,イラクという国家自体が宗教・民族対立で戦後は統制がとれぬ状況であるのも確かであろう。
ただ,間違いなく言えるのは,今更サダム・フセインの首を飛ばせば済むといったレヴェルではなく,スンニー派やアルカイダ等イスラム過激派の跳梁とテロを一層助長するだけ,ということだけである。
国家の利権のみが先行すると負債はすべて国民に来る。
暗澹たる気持ちにならざるを得ないが,今の私にできることは,せめて国際情勢を正しく分析する目を養うことぐらいなのかもしれない。
かつて,ソ連が北の脅威となっていた時代,我が国が巻き込まれる戦争は絶対起きないと言われていたのだが,それが机上の空論であることを昨今の情勢が示している。
そうした時代に対応して生きていくためにも,正しい歴史認識と国際情勢の把握だけはしなくてはなるまい・・・。
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