笑顔君はやる気さえ出れば歩くんだな
ってことで療育センターの通所を1年で退所して、
市内の知的障害児通園施設へ
母子通園することになった。
歩けない子と3歳未満は母子通所が原則だった。
でも、日程君が普通の子だと思っていたから
決心したんだけど、分かっていたら退所しないで
日程君にもっといろいろな道を選択できたかもしれない。
後悔しても仕方が無いがこの頃から日程君はおかしくなった。
週2回だけ笑顔君は通所していた。
帰ってくると日程君は、笑顔君にたいして熱烈歓迎で迎えてくれた。
なのに、ある日突然笑顔君は毎日でかけるようになると言う環境の変化が
日程君に大きな影響を与えたのかもしれない。
私と日程君との母子関係が希薄にになった。
知的障害児として入ったつもり
だったのだが、施設側は肢体不自由児としてみていたらしい。
入園の頃は歩けなくても後から入ってくる子たちが、
歩けるようになると母子分離が始まって単独通所に、
笑顔君は一向に歩けるようになる気配は無かった。
母の休息の時間は笑顔君の食事介助をして、
自分が控え室でお弁当を食べるほんの20~30分だけだった。
他に母子通園は筋ジス兄弟、歩けるけど頭の手術を受けたため
なにかあったら責任が取れないからと言われた子だった。
それで、みんなで市に陳情してみた。
回答は
ここは、知的障害の施設です。
あなた方身体の方は前の園長先生のご好意で入っているのですと言われました。
いったい笑顔君は何者なんだろう
結局母子分離が叶うことなく卒園することになる。
日程君もこの頃には「自閉的傾向」と言われていたから笑顔君最後の年には日程君もこの施設に入ることになっていた。
園長先生はやっと国レベルで、そうできないか話し合いが持たれたばかりです。
園としては受け入れるつもりで研修などに行ったが市が「うん」と言わないんだ、
それにあなた達を受け入れるためには今の定員を50から30にしなければならないと言われ
じゃあそうして下さいとは言えなかった。
笑顔君のために日程君のような子が20人入れなくなるなんて
絶対言えない日程君の母としてがーこは言えませんでした。
そして、翌年二人の子どもと母子通園が始まりこの頃から回転性の眩暈に悩まされることになった。

ってことで療育センターの通所を1年で退所して、
市内の知的障害児通園施設へ
母子通園することになった。
歩けない子と3歳未満は母子通所が原則だった。
でも、日程君が普通の子だと思っていたから
決心したんだけど、分かっていたら退所しないで
日程君にもっといろいろな道を選択できたかもしれない。
後悔しても仕方が無いがこの頃から日程君はおかしくなった。
週2回だけ笑顔君は通所していた。
帰ってくると日程君は、笑顔君にたいして熱烈歓迎で迎えてくれた。
なのに、ある日突然笑顔君は毎日でかけるようになると言う環境の変化が
日程君に大きな影響を与えたのかもしれない。
私と日程君との母子関係が希薄にになった。

知的障害児として入ったつもり
だったのだが、施設側は肢体不自由児としてみていたらしい。
入園の頃は歩けなくても後から入ってくる子たちが、
歩けるようになると母子分離が始まって単独通所に、
笑顔君は一向に歩けるようになる気配は無かった。
母の休息の時間は笑顔君の食事介助をして、
自分が控え室でお弁当を食べるほんの20~30分だけだった。
他に母子通園は筋ジス兄弟、歩けるけど頭の手術を受けたため
なにかあったら責任が取れないからと言われた子だった。
それで、みんなで市に陳情してみた。
回答は
ここは、知的障害の施設です。
あなた方身体の方は前の園長先生のご好意で入っているのですと言われました。
いったい笑顔君は何者なんだろう

結局母子分離が叶うことなく卒園することになる。
日程君もこの頃には「自閉的傾向」と言われていたから笑顔君最後の年には日程君もこの施設に入ることになっていた。
園長先生はやっと国レベルで、そうできないか話し合いが持たれたばかりです。
園としては受け入れるつもりで研修などに行ったが市が「うん」と言わないんだ、
それにあなた達を受け入れるためには今の定員を50から30にしなければならないと言われ
じゃあそうして下さいとは言えなかった。
笑顔君のために日程君のような子が20人入れなくなるなんて
絶対言えない日程君の母としてがーこは言えませんでした。
そして、翌年二人の子どもと母子通園が始まりこの頃から回転性の眩暈に悩まされることになった。