☆ing。。。保障と呼ばれる不安定
人生・過去から現在・未来へと伝承されるものを考える。。。
ひとは何かひとつのテーマを考え始めるとき個人差と言うものが生まれる。。。
これは否定しきれない事実でもあり、だからこそ個性、創造性、価値観等々がはっきりと位置づけられてしまうものでもあると感じる。
すり抜ける風~暴風雨であったり、心地よい穏やかな風であったり~その時々を彩る風当たり~
社会の抱える問題、起こる現象、自分と言う視点というパイプ~人生観の中で、個人的概念と言うものに突き当たる。。。と言うべきか?形創られる。
社会と言うものの流行り廃り。。。と言うものは社会現象と化し、又は、宇宙の法則と同様とは言い切れないが、何らかの法則性・流れが確立されるようだ!!!
喉頭癌や声帯という伝達能力に優れたコミュニケーションという必須アイテムを奪われてしまうような事例がいくつも上がってくる現状を、社会現象と捉えるか?はたまた、シンクロにシティーと表現するのか?ただの偶然に過ぎないと無関心を装うか?いくつものカテゴリーに分類される。
流行と言う名を借り、何処かを繁栄させ、何処かを衰弱化させる巧妙な戦略でも潜んでいるのであろうか?
世間で騒がれる食の戦争とやらでは、異物混入という不祥事?予期せぬ現状を目の当たりにする場合もあるのであろうが、突発的に起きた現象なのか?
突き詰めると、人工的な大きな得体の知れないモンスターに支配されていることさえも気づかずに~その流れに飲み込まれてしまっただけ。。。次元の違う場所での出来事として捉え受容し~ちっぽけな個人的疑問の枠に閉じ込めてしまっていた~ツケ~というものが、今この瞬間の優先順位になっている状態さえも、麻痺した感覚(五感)が振り向いてくれない。。。という後回し現象という社会悪が立ちはだかる。
霊気に関しても、霊気難民と言う種の人間が迷い人となる現状もある。
正しい教育をされていないが為の残骸。
良薬もげきやくに早変わり。。。^^;;;と言ったところでしょう。。。
ing。。。現在進行形という意味に繋がっていく。
食い止めるべき事柄、事象は、早期発見早期対応が不可欠でもある。
最近ネット上での売り上げ高の【○○○の天然水】とやらも、どういうわけか?地域の水道水から流れる水は、とにかくまずい。。。^^;
関東の一番の良水~利根川の水よりも売れ筋商品のようだ。。。???
これもちっぽけ。。。で片付けられてしまう個人的疑問と言う引き出しにしまいこまれてしまう~通り過る現実であろう。。。
声嗄れ?喉頭関連に異常をきたすのではないか?と疑念を抱いてしまうような巨大化する根源~見逃されてしまう大事に扱うべき事例へと発展する原因を充分含んだ現状なのかもしれない。
水に化合する事で変化する場合も多々ある。
このような原点から見直しをしなければならない事象を、セキュリティーと言う言葉にも含まれるのだと感じる。
上っ面の言い逃れはもう時代遅れであるということだと認識したほうがよさそうだ!
社会を活性化させる、社会に笑いを提供するエンターテイメント傾向の善者達が、声を奪われてしまうということは、社会にとっての最大のピンチでもあり、大きな損失でもある。
目に見えるもの、見えないものであっても、人の心身周辺に有害な物質が浮遊しているかもしれない。
それがもし人工的・計画的行動であったならば、何よりも先に対処すべきことでもあるが、悲しい事に、水面下・深海で潜伏している、目に見えない悪と言うものには、格差という危機管理能力という高い壁が立ちはだかる。
自分が被害者という立場に置かれない限り、呆れるほど鈍感でもあり冷たい。。。
ある一定の病気・災害・事件に社会を導こうとする誘導者というものが、あちらこちらに点在したならば、結果的に人口を減少させる策略が目的地であったならば、不健康な迷い人が増加するのであろう。
定期的に撲滅キャンペーンなどという行事が行われたとしても、明確な正義を目的地とするものと、ルーチンワーク的なキャンペーンに2分類するならば、的確な言動は生まれない。
少年法という加護に守られたナルシストさんが書く自伝とやらは、初めから出版させない判断。。。というものが、社会の混乱を抑制することも出来る。
理不尽な犯罪においては、面倒がらず~徹底的に早期発見・早期対応が世を救う。。。
いじめの一部始終を充分知りながら、我関せず。。。事を大きくするな!という日本人特有の美意識?、奥ゆかしさ?と言うものを、今だ守り続ける頑固者という人種もいるようだ!
お勉強会という自己啓発セミナーも偽善者の集会か?
社会悪といわれる新興宗教団体のセミナーとやらにもスポンサーが付く地域もある。
イエスマンより、個を高める美意識こそが美徳と言うに等しいのではないか?
都会では規制という制約が堂々と立ちはだかるが、意識の貧困さに支配され、四苦八苦する地方では、偽善者セミナーに対し、会場提供と言う形で協賛し、情報局と下落しきった意識を持つスポンサーもいる。
堂々と居場所を構えた宗教団体は、自分の居場所で信者さん達との交流を深めれば良い!
なにもメディアを通し宣伝活動をする事もないだろう。それ自体がおかしいだろう?
協賛スポンサーさんたちは、やはりメディアを賑わす面々であったりもする。
何か?大きな問題を抱え、救済者を求めている人種なのかもしれない。。。
又は所変われば、懲らしめるなどと発言するリーダー?もいる。
活字離れなども~考える。。。と言う視点で見ると問題でもあるが、逆に本屋で読みたい本散策をしようとしても、店員が立ちはだかり、一定の時間を過ぎると、立ち読み禁止!とばかりの無言の圧力歩行が始まる。
読みたい本と出会えた^^!などという、喜びも奪われる現状が存在する。
さっさと欲しい本を買って帰れ!とばかりの行動も・・・ing。。。という現在進行形である。
本との初々しい出会いを求め書店に向かうものもいる!という原点を忘れないで欲しい。。。^^;
だからネットで購入。。。というシステムに負けてしまうのではないか?
ネットであれば、時間をかけようが文句を言われる筋合いも無く、時間制限と言う圧力も無い。
何を信じたら良いのか?何が正しいのか?うっかり気を抜いてはいけない社会の構築なのか?
このような発展系が、病を生むのか?原因は不明ではあるが、健康とは何か?個々に違うはずだ!
自分にとっての健康を突き詰めて生きたいものだ!
ささやかな疑問~独り言でした^^;
t