☆不思議な現象
エネルギーというものは、目には見えませんので、何処をどう通り、どう動いているのかなど、特に気にもしなければ知る由もないのですが、時々不思議だと感じることがあります。
人は?意識する、しないに関わらず、常に何らかの想いや念を発しているようです。
社会の状況がネガティブになればなるほど、人が発するエネルギーも、陰に傾きます。
自分の波動が負に陥れば陥るほど、助かりたい?好ましい状態に戻りたい?と、強く願うようです。
人はどのような状態であったとしても、良くなっていきたい願望を失うことはないのです。
その願望が、欲にまみれたものであっても、純粋なものであっても、今よりも良くなりたい。。。周囲の人よりも一歩先を歩きたい。。。という気持ちは尽きないようです。
邪気、邪念を発する人や場所とは、できれば関わりたくはありませんが、通常の生活をしていれば、どうしても避けられない場合が多いのだと思います。
特に邪のエネルギーは強力ですので、このようなエネルギーが飛び交っている空間は、気持ちの良いものではありません。
ましてや、精神的にかなり弱っている状態の人などは、誰か?すがりつける対象を探し、行くあてもなく彷徨っています。
ある時、嫌な空気だと感じた空間に身を置いてしまったが為に生じる、拾ってしまう。。。貰ってしまう。。。という現象は、マイナスな人の念や、エネルギーと同調した為に起こっているのでしょう。
このような無意識の状態で念を発する人たちもいれば、意識しながら人の不成功を望んだり、不幸を願ったりする、人の心を亡くした人たちもいます。
プラスのエネルギーで光り輝く存在を探し、そこから栄養を吸い取り、自分のものにしてしまおうと、意識、無意識に関わらず、自分よりも状態の良さそうな人を探し、その人の腕に必死でぶら下り、掴もうとする、他力本願で生き延びようとする人たちも多いようです。
このような人に狙われてしまったら、後はエネルギーが繋がらないよう防御するか、負のエネルギーをそのまま跳ね返すか、光で溶かしてしまうか。。。しかありません。
ですがこのような事は、レイキやその他特殊能力を持つ人でなければ、中々出来る事ではありません。
通常ですと、強力なネガティブエネルギーに負けてしまい、相手の背負っている重いカルマまでも背負わされる事もありそうです。
ただ、人から生気を吸い取ろうとしている人たちも、吸い取るまでは良いのですが、自分を守る事には極端に意識が薄く、欲しいだけ貰ってしまおうという意識の中での行動ですから、時には何でもかんでも貰ってしまう事もあるようです。
人のエネルギーに繋がる。。。という事は、繋がり方や意識を一歩間違えると、大変な事にもなりかねません。
最初は羨ましい?と思っただけであっても、何かおこぼれを頂戴したい。。。と、軽い気持ちであったとしても、いつしかその対象に異常に執着心を向ける自分に気づいた時には、少しその場から離れたほうが良さそうです。
または、被害妄想や人間関係の行き違いなどから、相手に悪意を向ける場面は、日常茶飯事と言ってもいいくらい。。。
他に目的もなく、人生に生き甲斐を見出せない状態で、日常的空虚感を感じる人たちなどは、つまらない事に執着したがります。
本来ならば、人生を豊かに生きる。。。という次元で考えると、非常に無駄でエネルギーを使う対象ではないような所に、エネルギーを使い、精魂込め、必要のない目標を定めてしまう。。。というのはとても悲しい事なのですが、豊かなものと同調する心を失った状態では、仕方のない事なのかもしれません。
その間違ったエネルギーが、邪気となり、周囲の人たちを苦しめてしまうようです。
このような無防備な行動は、時には失敗も経験するようです。
悪意を向けた対象が自分よりも、はるかに重いものたちを抱えていた場合。。。
その対象にせっせと、悪意を向け続け、意識を繋げ続ける事で、両者に共鳴が起こります。
そうした時に、相手との情報交換のような、響きあう現象が起こります。
お互いの抱えていたものが、どちらの持ち物だったのか?解らなくなってしまいそうです。
誰かに悪意を向け続けた結末は、相手の負のカルマまでも背負う羽目になってしまうことも。。。
吸い取るつもりが、吸い取られ背負わされ。。。という、事にもなりかねません。
他人に悪意をむけると、自分に返ってくる。。。という意味を知る事となります。
私のところに来てくださるお客様の中に、私に意識を向け、レイキを感じたいと思っている方たちも多いようですが、これも少し恐いと思う時がありました。
私自身、鑑定中以外?必要を迫られた時以外は、他人と繋がろうと意識する事などないのですが、ある時?同時期に定期的に来てくださった方たちの間に、響きあう現象が多発していたのです。
私。。。という場所を通して、誰かと誰かが、情報交換をしていて、誰かの痛みを誰かが感じる。。。
数人の間で、痛みや感情?の交換作業が行なわれているのです。
興味深いシンクロの多発現象。。。
私。。。というレイキエネルギーの対象となる存在に繋がっていたい。。。いう意識が起こした現象だと感じます。
たとえそれが前向きな意識であったとしても、無防備に人に必要以上に意識を向け続けるのは良くないのかもしれません。
執着という言葉などは、大変嫌われる言葉ではありますが、何でも度を越してしまうと、全てがこの言葉のように、邪の世界の一員となってしまうのかもしれません。
ただこの現象は、それぞれの人たちが、私を通過して起こったようにも感じられますが、私は通常はレイキのオーラで膜ができており、すっぽりと卵の殻にでも包まれたかのような状態になっているはずです。
だからといって、レイキが通らないという事ではなく、邪気を呼びにくくなっている。。。という事です。
状況を振り返ると、私に手を伸ばした人たちが、盲目の状態で、完全に私だと思い込んで掴んだ手は、他の人の手であって、その人たちは錯覚の中で響き合っていた。。。という事のようにも感じられます。
卵の殻をするりと抜けて、通り抜けていった。。。そして伸ばした先には、掴まる事ができる手が用意されていた。。。
必要以上に相手に繋がろうとする意識は、健康的な意識ではありません。
時には邪気と判断されて、対称には届かず、そのままスルーしてしまうかもしれません。
海におぼれてしまった状態の時、浮いている浮き輪を必死で掴もうとする?他人のエネルギーシステムにすがりつく事で、欲しいものが得られる場合はラッキーですが、余分なものまで引き寄せてしまったら。。。同じような人たちと、見えない世界で仲良くする羽目にもなりかねません。
自分では良い事だと思っている行動も、時にはそうでない場合もあるようです。
よい行いをしている筈なのに、どうも現状が悪化する。。。と感じる時は、見えないところで繋がっている誰かの存在があるのかもしれません。
同じ事を考えている者同士が引き寄せあうのは確実です。
ただ、見えない世界でだけは、避けたいものです。
エネルギーというものは、目には見えませんので、何処をどう通り、どう動いているのかなど、特に気にもしなければ知る由もないのですが、時々不思議だと感じることがあります。
人は?意識する、しないに関わらず、常に何らかの想いや念を発しているようです。
社会の状況がネガティブになればなるほど、人が発するエネルギーも、陰に傾きます。
自分の波動が負に陥れば陥るほど、助かりたい?好ましい状態に戻りたい?と、強く願うようです。
人はどのような状態であったとしても、良くなっていきたい願望を失うことはないのです。
その願望が、欲にまみれたものであっても、純粋なものであっても、今よりも良くなりたい。。。周囲の人よりも一歩先を歩きたい。。。という気持ちは尽きないようです。
邪気、邪念を発する人や場所とは、できれば関わりたくはありませんが、通常の生活をしていれば、どうしても避けられない場合が多いのだと思います。
特に邪のエネルギーは強力ですので、このようなエネルギーが飛び交っている空間は、気持ちの良いものではありません。
ましてや、精神的にかなり弱っている状態の人などは、誰か?すがりつける対象を探し、行くあてもなく彷徨っています。
ある時、嫌な空気だと感じた空間に身を置いてしまったが為に生じる、拾ってしまう。。。貰ってしまう。。。という現象は、マイナスな人の念や、エネルギーと同調した為に起こっているのでしょう。
このような無意識の状態で念を発する人たちもいれば、意識しながら人の不成功を望んだり、不幸を願ったりする、人の心を亡くした人たちもいます。
プラスのエネルギーで光り輝く存在を探し、そこから栄養を吸い取り、自分のものにしてしまおうと、意識、無意識に関わらず、自分よりも状態の良さそうな人を探し、その人の腕に必死でぶら下り、掴もうとする、他力本願で生き延びようとする人たちも多いようです。
このような人に狙われてしまったら、後はエネルギーが繋がらないよう防御するか、負のエネルギーをそのまま跳ね返すか、光で溶かしてしまうか。。。しかありません。
ですがこのような事は、レイキやその他特殊能力を持つ人でなければ、中々出来る事ではありません。
通常ですと、強力なネガティブエネルギーに負けてしまい、相手の背負っている重いカルマまでも背負わされる事もありそうです。
ただ、人から生気を吸い取ろうとしている人たちも、吸い取るまでは良いのですが、自分を守る事には極端に意識が薄く、欲しいだけ貰ってしまおうという意識の中での行動ですから、時には何でもかんでも貰ってしまう事もあるようです。
人のエネルギーに繋がる。。。という事は、繋がり方や意識を一歩間違えると、大変な事にもなりかねません。
最初は羨ましい?と思っただけであっても、何かおこぼれを頂戴したい。。。と、軽い気持ちであったとしても、いつしかその対象に異常に執着心を向ける自分に気づいた時には、少しその場から離れたほうが良さそうです。
または、被害妄想や人間関係の行き違いなどから、相手に悪意を向ける場面は、日常茶飯事と言ってもいいくらい。。。
他に目的もなく、人生に生き甲斐を見出せない状態で、日常的空虚感を感じる人たちなどは、つまらない事に執着したがります。
本来ならば、人生を豊かに生きる。。。という次元で考えると、非常に無駄でエネルギーを使う対象ではないような所に、エネルギーを使い、精魂込め、必要のない目標を定めてしまう。。。というのはとても悲しい事なのですが、豊かなものと同調する心を失った状態では、仕方のない事なのかもしれません。
その間違ったエネルギーが、邪気となり、周囲の人たちを苦しめてしまうようです。
このような無防備な行動は、時には失敗も経験するようです。
悪意を向けた対象が自分よりも、はるかに重いものたちを抱えていた場合。。。
その対象にせっせと、悪意を向け続け、意識を繋げ続ける事で、両者に共鳴が起こります。
そうした時に、相手との情報交換のような、響きあう現象が起こります。
お互いの抱えていたものが、どちらの持ち物だったのか?解らなくなってしまいそうです。
誰かに悪意を向け続けた結末は、相手の負のカルマまでも背負う羽目になってしまうことも。。。
吸い取るつもりが、吸い取られ背負わされ。。。という、事にもなりかねません。
他人に悪意をむけると、自分に返ってくる。。。という意味を知る事となります。
私のところに来てくださるお客様の中に、私に意識を向け、レイキを感じたいと思っている方たちも多いようですが、これも少し恐いと思う時がありました。
私自身、鑑定中以外?必要を迫られた時以外は、他人と繋がろうと意識する事などないのですが、ある時?同時期に定期的に来てくださった方たちの間に、響きあう現象が多発していたのです。
私。。。という場所を通して、誰かと誰かが、情報交換をしていて、誰かの痛みを誰かが感じる。。。
数人の間で、痛みや感情?の交換作業が行なわれているのです。
興味深いシンクロの多発現象。。。
私。。。というレイキエネルギーの対象となる存在に繋がっていたい。。。いう意識が起こした現象だと感じます。
たとえそれが前向きな意識であったとしても、無防備に人に必要以上に意識を向け続けるのは良くないのかもしれません。
執着という言葉などは、大変嫌われる言葉ではありますが、何でも度を越してしまうと、全てがこの言葉のように、邪の世界の一員となってしまうのかもしれません。
ただこの現象は、それぞれの人たちが、私を通過して起こったようにも感じられますが、私は通常はレイキのオーラで膜ができており、すっぽりと卵の殻にでも包まれたかのような状態になっているはずです。
だからといって、レイキが通らないという事ではなく、邪気を呼びにくくなっている。。。という事です。
状況を振り返ると、私に手を伸ばした人たちが、盲目の状態で、完全に私だと思い込んで掴んだ手は、他の人の手であって、その人たちは錯覚の中で響き合っていた。。。という事のようにも感じられます。
卵の殻をするりと抜けて、通り抜けていった。。。そして伸ばした先には、掴まる事ができる手が用意されていた。。。
必要以上に相手に繋がろうとする意識は、健康的な意識ではありません。
時には邪気と判断されて、対称には届かず、そのままスルーしてしまうかもしれません。
海におぼれてしまった状態の時、浮いている浮き輪を必死で掴もうとする?他人のエネルギーシステムにすがりつく事で、欲しいものが得られる場合はラッキーですが、余分なものまで引き寄せてしまったら。。。同じような人たちと、見えない世界で仲良くする羽目にもなりかねません。
自分では良い事だと思っている行動も、時にはそうでない場合もあるようです。
よい行いをしている筈なのに、どうも現状が悪化する。。。と感じる時は、見えないところで繋がっている誰かの存在があるのかもしれません。
同じ事を考えている者同士が引き寄せあうのは確実です。
ただ、見えない世界でだけは、避けたいものです。