三日目午後は、長崎から佐賀に移動し、吉野ケ里遺跡を見学。
東口エントランスに到着。
時刻は3時過ぎ、今日は5時閉園らしいので、2時間弱で全部回れるかな。
長い橋で川を渡り、環濠入口へ。
この鳥居の先が、遺跡のエリアらしい。
弥生中期には、稲作が盛んになると共に、周辺の村同士の土地を巡る争いなどが多くなったそうだ。
城柵に堀、そして逆さに建っている尖った杭と、村の防御は物々しい雰囲気。
ムラの中でも有力者層の住んでいた場所、南内郭入り口。
隣にある展示室へ。
出土した土器類等々。
甕棺も沢山置いてあった。
警備厳重な櫓門。
復元された櫓と竪穴式住居。
これは大人(だいじん)という有力者の住居らしい。
中では、当時の生活を再現した人形が。
入り口は狭く、腰をかなり屈めないと入れないが、内部は結構広い。
これが王の住居らしい。
王様と王妃様だろうか。
櫓に登り、南内郭を見るが、その向こう、倉が立ち並ぶエリアの方が、えらく広大じゃんか。
北内郭方面を見る。
北内郭入り口。
ここは住居ではなく、政治を行う中心地らしい。
ここが政(まつりごと)の行われていた建物か。
二階。
王と大人らの会議だろうか。
三階には、神を降ろす儀式を行う巫女さんが。
これでご神託を得ていたと考えられている。
北内郭にある、巫女の住居。
いわゆる村人の前には、ほとんどその姿を現さなかったらしい。
巫女の寝室を隔てる、神秘のヴェール。
こちらも櫓に登り、北内郭を一望。
北側には、墳丘墓。
有力者の墓がある。
奥が北墳丘墓。
その手前は、従者らの甕棺が埋められていた。
倉と市のエリアへ。
こちらの倉には、色々な道具類が。
歩き詰めで疲れたので、休憩所へ。
中は結構涼しい。
自販機でコーヒーを頂く。
こちらは食料品の保存用の倉らしい。
中には穀物類。
奥の鐘楼は、市場の開会、閉会などの時間を知らせるものだったらしい。
南のムラ。
一般の人々が暮らしていたエリア。
奥は祭壇と推定されている。
と、もうじき5時になってしまうので、退場することに。
奥には古代植物園なんかもあったのだが、2時間弱ではとても回れないほど広大。
もうちょっと時間が必要だったなあ。
本日の宿は、どうしようかギリギリまで迷っていたのだが、今晩から明日の朝までは雨が降る可能性大。
結局、キャンプはやめて佐賀市内のホテルへ。
まあこれも、風の向くまま気の向くまま、って奴だね。
ホテルは朝食付き、夕食は格安のチケットを販売しているとかで、夕飯は牛ステーキ定食を頂く。
550円。安すぎる。
佐賀牛ではありえないのでオージーかUSAビーフだろうけど、歯応えがあって結構美味いよ。
お値段以上の満足。