ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旅の豆知識「近代教育の遺産」

2017年07月30日 | 旅の豆知識
 近年、日本の近代史に関心を向ける人が多くなってきていますが、『テーマのある旅』として、日本の近代化の跡を追いかけてみるのも、また面白いものです。その中で今日は、近代教育の展開について見てみたいと思います。
 明治維新によって、いくつかの改革が行われましたが、その中に「学制」の制定がありました。1872年(明治5)に太政官より発せられ、フランスの学制にならって学区制をとっていて、全国を8つの大学区に分け、1大学区を32の中学区に、さらに1中学区を210に小学区にわけて、53,760の小学校を置くことを定めました。その後、1879年(明治12)の教育令に受け継がれて、学校の設置が順次進められて行きました。これらによる国民教育の普及によって、就学率は向上し、識字率も高まっていきました。これによって、近代国家の形成に大きな役割をはたしたと言われています。
 日本中に、近代教育の遺産が残されていて、見学できるものも多いのです。小学校、旧制中学、旧制高校、大学などいろいろな近代教育に関わる建物が保存され、国の重要文化財に指定されているところも多く、内部は教育資料館となっていて見学できるところもありますので、訪れてみることをお勧めします。

〇『学制』とは?
 幕末明治維新期の1872年9月4日(明治5年8月2日)に、明治政府から発布された、日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令です。その序文として「學事獎勵ニ關スル被仰出書」が出され、教育理念が示されました。その内容は、四民平等の原則に立って、封建時代の儒教的教育理念を否定し、個人主義、実学主義を教育の原理としたものです。そして、国民皆学を目ざし、立身出世の財本としての学問の普及を理念として、全国を8大学区、1大学区を32中学区、1中学区を210小学区に編成、大学区に大学、中学区に中学、小学区に小学校、各1校ずつを設置しようとし、文部省の中央集権的管理を目ざしました。義務教育は8年と定められていましたが、費用は住民の負担にしたため、学制に反対する一揆が起こり、1879年(明治12)に廃止になり、教育令に切り換えられたのです。

☆『學事獎勵ニ關スル被仰出書』(全文)

學事獎勵ニ關スル被仰出書(學制序文)

太政官布告第二百十四號(明治五壬申年八月二日)

朕人々自ラ其身ヲ立テ、其産ヲ治メ、其業ヲ昌ニシテ、以テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ他ナシ、身ヲ脩メ、智ヲ開キ、才藝ヲ長スルニヨルナリ。而テ其身ヲ脩メ、智ヲ開キ、才藝ヲ長スルハ學ニアラサレハ能ハス。是レ學校ノ設アル所以ニシテ日用常行、言語、書算ヲ初メ、士官・農商・百工・技藝及ヒ法律・政治・天文・醫療等ニ至ル迄、凡人ノ營ムトコロノ事、學アラサルハナシ。人能ク其才ノアル所ニ應シ、勉勵シテ之ニ從事シ、而シテ後初テ生ヲ治メ、産ヲ興シ、業ヲ昌ニスルヲ得ヘシ。サレハ學問ハ身ヲ立ルノ財本共云ヘキ者ニシテ、人タルモノ誰カ學ハスシテ可ナランヤ。夫ノ道路ニ迷ヒ、飢餓ニ陷リ、家ヲ破リ、身ヲ喪ノ徒ノ如キハ、畢竟不學ヨリシテカヽル過チヲ生スルナリ。從來學校ノ設アリテヨリ年ヲ歴ルコト久シト雖トモ、或ハ其道ヲ得サルヨリシテ人其方向ヲ誤リ、學問ハ士人以上ノ事トシ、農工商及ヒ婦女子ニ至ツテハ、之ヲ度外ニヲキ學問ノ何物タルヲ辨セス。又士人以上ノ稀ニ學フ者モ、動モスレハ國家ノ爲ニスト唱ヘ、身ヲ立ルノ基タルヲ知ラスシテ、或ハ詞章記誦ノ末ニ趨リ、空理虚談ノ途ニ陷リ、其論高尚ニ似タリト雖トモ、之ヲ身ニ行ヒ事ニ施スコト能ハサルモノ少カラス。是即チ沿襲ノ習弊ニシテ文明普ネカラス。才藝ノ長セスシテ、貧乏破産喪家ノ徒多キ所以ナリ。是故ニ人タルモノハ學ハスンハ有ヘカラス。之ヲ學フニハ宜シク其旨ヲ誤ルヘカラス。之ニ依テ、今般文部省ニ於テ學制ヲ定メ、追々敎則ヲモ改正シ、布告ニ及フヘキニツキ、自今以後、一般ノ人民 華士族卒農工商及婦女子 必ス邑ニ不學ノ戸ナク、家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス。人ノ父兄タル者宜シク此意ヲ體認シ、其愛育ノ情ヲ厚クシ、其子弟ヲシテ必ス學ニ從事セシメサルヘカラサルモノナリ。 高上ノ學ニ至テハ其人ノ材能ニ任カスト雖トモ幼童ノ子弟ハ男女ノ別ナク小學ニ從事セシメサルモノハ其父兄ノ越度タルヘキ事
但從來沿襲ノ弊學問ハ士人以上ノ事トシ、國家ノ爲ニスト唱フルヲ以テ、學費及其衣食ノ用ニ至ル迄多ク官ニ依頼シ、之ヲ給スルニ非サレハ學ハサル事ト思ヒ、一生ヲ自棄スルモノ少カラス。是皆惑ヘルノ甚シキモノナリ。自今以後此等ノ弊ヲ改メ、一般ノ人民他事ヲ抛チ自ラ奮テ必ス學ニ從事セシムヘキ樣心得ヘキ事
右之通被仰出候條、地方官ニ於テ邊隅小民ニ至ル迄不洩樣、便宜解譯ヲ加ヘ、精細申諭文部省規則ニ隨ヒ、學問普及致候樣、方法ヲ設可施行事。

                    「法令全書」より
 *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

<現代語訳>
学事奨励に関する仰せ出だされ書

人々が自分自身でその身を立て、その生計を立て、その家業を盛んにして、そのようにしてその一生を成就することができるものはというと、それは他でもない、自分の行いや心を整え正し、知識を広め、才能と技芸を伸ばすことによるものである。そうして、その、自分の行いや心を整え正し、知識を広め、才能と技芸を伸ばすことは、学ばなければ不可能である。これが学校を設置する理由であり、日常普段の行動、言語・読み書き・算数を始め、役人・農民・商人・いろいろな職人・技芸に関わる人、ならびに法律・政治・天文・医療等に至るまで、だいたい人の営むところで学ぶ事によらないものはない。人間はよくその才能のあるところに応じて勉励して学問に従事し、その後に初めて自分の暮らしの道を立て、資産を増やし、家業を盛んにすることができるであろう。従って、学問は立身のための資本ともいうべきものであって、人間たるものは、誰が学問をしないでよいということがあろうか、いやない。その、路頭に迷い、飢餓にはまり、家を破産させ、身を滅ぼすような人たちは、要するに学ばなかったことによって、このような過ちをもたらしたのである。これまで学校が設置されてから長い年月が経過しているとはいっても、あるいはその方法が正しくないことによって人はその方向を誤り、学問は武士階級以上の人がすることと考え、農業・工業・商業に就く人、及び女性や子供に至っては、学問を対象外のものとし、学問がどういうものであるか考えていない。また、武士階級以上の人でまれに学問する者があっても、場合によると学問は国家のためにするのだと唱え、学問が身を立てる基礎であることを知らないで、ある者は詩歌や文章を暗唱するなどの瑣末なことに走ったり、現実とかけ離れた役に立たない理論や事実に基づかない話に陥り、その言っている論理は知性や品性の程度が高いように見えるけれども、これを自分自身が行ったり、実施したりすることができないものが、少なくない。これはつまり、長い間従ってきた古くからの悪い習わしであって、文明が普及せず、才能と技芸が上達しないために、貧乏や破産、家を失う者といった連中が多い理由である。こういうわけで、人間は学問をしなければならないのである。これを学ぶためには、ぜひともその趣旨を誤ってはならない。こういう理由で、このたび文部省で学制を定め、順々に教則を改正し布告していくことになるだろうから、今から後は、一般の人民(華族・士族・卒族・農民・職人・商人及び女性や子供)は、必ず村に子供を学校に行かせない家がなく、家には学校に行かない人がいないようにしたい。人の父兄である者は、よくこの趣旨を認識し、その子弟を慈しみ育てる気持ちを厚くし、その子弟を必ず学校に通わせるようにしなければならない。上級の学校については、その人の才能に任せるが、幼い子弟は男女の別なく、小学校に通わせないことは、その父兄の落ちどであることになること。

ただし、これまでの長期間の悪習となっている学問は武士階級以上の人のことであり、そして学問は国家のためにすることだと唱えることにより、学費及びその衣類・食事の費用に至るまで、多くを官に依拠して、これを給付してくれるのでなければ学問はしないと思い、一生自分の身を粗末にして顧みない者が少なくない。これは皆どうしたらよいか戸惑っていることの甚しいものである。今から以後は、これらの弊害を改め、一般の人民は他の事を投げうって自分から奮闘して必ず学問に従事させるように心得るべきであること。

右の通り仰せ出だされましたので、地方官において、辺境の庶民に至るまで漏らすことのないよう、その時々に応じ、意義を説明してやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及していくように、方法を考えて施行すべきであること。

☆「近代教育の遺産」のお勧め
 
(1)「農業教育資料館」<岩手県盛岡市>
 この建物は、我が国最初の高等農林学校として、明治時代後期の1902年(明治35)に創立された盛岡高等農林学校の本館として、1912年(大正元)12月に建てられました。明治期の形を伝える国立専門学校の中心施設として現存する数少ない貴重な遺構なので、1994年(平成6)に国の重要文化財に指定されています。館内には、盛岡高等農林学校創立以来の農学部における農学教育や研究に関する資料と宮澤賢治在学中の資料の一部が展示公開されています。

(2)「小諸市立小諸義塾記念館」<長野県小諸市>
 小諸義塾は、キリスト教牧師であった木村熊二が小山太郎らの要請の応えて1893年(明治26)11月に開設した私塾です。1906年(明治39)に閉鎖されるまでキリスト教による近代教育を実践しました。塾長は木村熊二で、教師には小説家として有名になった島崎藤村らがいました。この建物は、小諸義塾本館校舎を移築復元したもので、内部には、当時の教育に関する資料が展示されています。

(3)旧開智学校<長野県松本市>
 ここは、明治時代前期の1876年(明治9)に竣工した洋風校舎で、文明開化時代の小学校建築を代表する建物として、1961年(昭和36)に国の重要文化財になっています。内部は、教育博物館として江戸から現在までの各種教育資料が展示されています。明治時代の教育を知る上でも重要な資料を見ることができます。

(4)「旧制高等学校記念館」<長野県松本市>
 ここは、1993年(平成5)、あがたの森公園内に開館した松本市立の博物館で、全国の旧制高等学校に関する貴重な資料を収集して、展示しています。前身は隣接して建つ旧制松本高等学校校舎内に1981年(昭和56)に開設された「旧制松本高等学校記念館」で、その校舎は現在「あがたの森文化会館」として活用されていて、2007年(平成19)に国の重要文化財に指定されています。

(5)「旧岩科学校校舎」<静岡県賀茂郡松崎町>
 ここは、明治時代前期の1880年(明治13年)に完成をみた、洋風デザインの印象的な建物で、1992年(平成4)に改修工事をして建設当初の姿に復元されています。貴重な明治時代の学校建築として、国の重要文化財になっていて、内部には、明治時代以降の教育に関する資料が展示され、人形によって教育現場が再現されています。

(6)「旧見附学校」<静岡県磐田市>
 静岡県磐田市見付にある学校跡で、磐田市のシンボルともなっています。この校舎は、明治時代前期の1874年(明治7)に着工し、翌年完成して、開校式が行われました。1883年(明治16)には、3階部分を増築し、2層の楼をその上に造る改築工事が行われて、現在の外観になったのです。現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎として、貴重なものなので、北側にある磐田文庫と共に、1969年(昭和44)に国の史跡に指定されました。館内は、教育資料館として、教育関係の資料を中心に展示し、授業風景も人形によって、再現しています。

☆国の重要文化財に指定された近代学校建築一覧

<北海道>
・遺愛学院(旧遺愛女学校)本館 (北海道)
・旧札幌農学校演武場(時計台) (北海道)
・北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場・事務所 (北海道)
・北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場・種牛舎 (北海道)
・北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場・牧牛舎 (北海道)
・北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場・産室・追込所及び耕馬舎 (北海道)
・北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場・穀物庫 (北海道)
・北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場・収穫室及び脱ぷ室 (北海道)
・北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場・秤量場 (北海道)
・北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場・釜場 (北海道)
・北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場・製乳所 (北海道)
・北海道大学農学部植物園・博物館・博物館本館 (北海道)
・北海道大学農学部植物園・博物館・博物館事務所 (北海道)
・北海道大学農学部植物園・博物館・博物館倉庫 (北海道)
・北海道大学農学部植物園・博物館・植物園門衛所 (北海道)

<東北>
・弘前学院外人宣教師館 (青森県)
・岩手大学農学部(旧盛岡高等農林学校)旧本館 (岩手県)
・岩手大学農学部(旧盛岡高等農林学校)門番所 (岩手県)
・旧登米高等尋常小学校校舎 (宮城県)
・旧山形師範学校本館 (山形県)
・旧米沢高等工業学校本館 (山形県)
・旧福島県尋常中学校本館 (福島県)

<関東>
・旧茨城県立太田中学校講堂 (茨城県)
・旧茨城県立土浦中学校本館 (茨城県)
・旧学習院初等科正堂 (千葉県)
・学習院旧正門 (東京都)
・旧東京医学校本館 (東京都)
・旧東京音楽学校奏楽堂 (東京都)
・慶應義塾図書館 (東京都)
・慶応義塾三田演説館 (東京都)
・自由学園明日館中央棟 (東京都)
・自由学園明日館東教室棟 (東京都)
・自由学園明日館西教室棟 (東京都)
・自由学園明日館講堂 (東京都)
・早稲田大学大隈記念講堂 (東京都)
・明治学院インブリー館 (東京都)

<中部>
・旧富山県立農学校本館(富山県立福野高等学校巌浄閣) (富山県)
・旧第四高等中学校本館 (石川県)
・旧睦沢学校校舎 (山梨県)
・旧開智学校校舎 (長野県)
・旧松本高等学校・本館 (長野県)
・旧松本高等学校・講堂 (長野県)
・旧中込学校校舎 (長野県)
・旧岩科学校校舎 (静岡県)

<近畿>
・同志社(旧英学校、神学校及び波理須理科学校)彰栄館 (京都府)
・同志社(旧英学校、神学校及び波理須理科学校)ハリス理化学館 (京都府)
・同志社(旧英学校、神学校及び波理須理科学校)有終館 (京都府)
・同志社(旧英学校、神学校及び波理須理科学校)礼拝堂 (京都府)
・同志社(旧英学校、神学校及び波理須理科学校)クラーク記念館 (京都府)
・龍谷大学本館 (京都府)
・龍谷大学南黌 (京都府)
・龍谷大学北黌 (京都府)
・龍谷大学旧守衛所 (京都府)
・愛珠幼稚園園舎 (大阪府)
・奈良女子大学(旧奈良女子高等師範学校)旧本館 (奈良県)
・奈良女子大学(旧奈良女子高等師範学校)守衛室 (奈良県)

<中国>
・岡山県立津山高等学校(旧岡山県津山中学校)本館 (岡山県)
・旧旭東幼稚園園舎 (岡山県)
・旧遷喬尋常小学校校舎 (岡山県)

<四国>
・旧開明学校校舎 (愛媛県)

<九州>
・旧第五高等中学校・本館 (熊本県)
・旧第五高等中学校・化学実験場 ( (熊本県)
・旧第五高等中学校・表門 (熊本県)
・熊本大学工学部(旧熊本高等工業学校)旧機械実験工場 (熊本県)

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