日本中を旅しているとつくづく平和っていいなあ~。だからこそ、自由に旅が出来るのだと思う。先日、アフガニスタンを旅していた日本人の教諭2人が拉致殺害される事件があったが、イラクなどでも同様な事件が何度か起こっている、戦闘状態にある国や治安が悪化している所では、旅するのも命がけなのだ。
ところで、日本列島にも各所に60年前の第2次世界大戦の傷跡が残されている。旅先で、そういうところに立ち寄ることも結構あるのだが、沖縄へ行ったときには、沖縄本島の南部戦跡にあるひめゆりの塔で、看護で従軍した女学生の悲惨な体験を生き残ったひめゆり部隊の方から聞いて涙した。摩文仁の丘の平和祈念公園では、慰霊碑に刻まれた膨大な戦没者数に驚愕したのだ。
鹿児島県を旅したときは、知覧の「特攻平和会館」で、その壁に張り巡らされた特攻隊員の顔写真を正視することが出来ずに涙ぐんだ。10代、20代の前途ある青年がいかに多く敵艦への自爆攻撃を敢行して死んでいったのかと...。それは、「加世田市平和祈念館」でも同じ思いだった。
また、広島や長崎を旅したときは、原爆によって、一瞬の内に何万、何十万の人が亡くなり、都市が壊滅したようすを知って、戦慄した。それは、戦後60年を経た今日でも原爆症に苦しむ人々を残している。
その他にも、東京大空襲をはじめ日本各地が爆撃され、多くの一般市民が犠牲になると共に、焦土とされた爪痕が所々に残されているのだ。
旅の途上で、このような所を訪れる度に、戦争の悲惨さを胸に刻み、平和の尊さを感じている。そして、第2次世界大戦後60年間、日本で戦争がなかったことのありがたさが身に染みるのだが、それは、日本国憲法第9条の戦争放棄や戦力不保持、交戦権否認の原則があったればこそと思っている。
しかし、今この憲法を変えようとする動きが起こっている。8月1日に発表された自民党の『憲法改正草案の一次案』を読んだのだが、憲法第9条2項の戦力不保持を改め、自衛軍を保持できるとした上で、「自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。」としていて、海外へ派兵しての戦争へも参加できる内容となっている。しかも、民主党の『憲法提言中間報告』では、「国連安保理もしくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動」に限定しているのに比べて、「国際的に協調して行われる活動」という規定はあいまいで、今回のイラク戦争のように国連決議がなくて、アメリカとイギリスが強行したようなケースも含まれると考えられるのだ。
でも、このイラク戦争は、「イラクが大量破壊兵器を持っていて、危険性が高まっている」ことを口実に始められたはずなのに、それは発見されなかった。戦争で多くの人々が犠牲になっているにもかかわらず、そのことに対する責任は明確にされず、ブッシュ大統領もブレア首相も辞任していない。このような道理がないと思われる戦争にまで、日本が加わらなければならないのだろうか...。小泉首相は真っ先にイラク戦争を支持しておきながら、大量破壊兵器が発見されなかった責任については口をつぐんだままで、いまだに自衛隊をサモアに駐留させている。
しかも、イラク戦争は、アメリカやイギリスなどによって、戦闘終結宣言がなされた以後の米英軍犠牲者の方が多く、イラク住民も多くが殺されていて、いまだに戦闘状態が継続していると見ている向きも多い。その中で、ことし7月のイギリスサミット時の地下鉄・バス爆破事件が起きたとも考えられている。マスコミでは、同時多発テロなどと書いているけれども、イラク戦争が継続している中での後方攪乱と見る向きもあるのだ。
要するに、戦争すると言うことは、その戦闘地域だけではなくて、その後方の施設や支援国への攻撃の危険性を常にはらんでいるということだと思うのだ。日本が、イラクへ自衛隊を派遣したときもその危険性を考えて、日本国内の列車や空港などでも厳重な警戒が実施され、国内を旅していたときに何度もチェックを受けた記憶がある。
やっぱり戦後60年間戦争に参加せずに、平和を守ってきたことを大切にしなければならないと思う。憲法9条を変えずに、戦争に参加しないで、平和を守る日本を続けていきたいと思う。その方が、安心して、自由に旅が出来ると考えるのだが...。
ところで、日本列島にも各所に60年前の第2次世界大戦の傷跡が残されている。旅先で、そういうところに立ち寄ることも結構あるのだが、沖縄へ行ったときには、沖縄本島の南部戦跡にあるひめゆりの塔で、看護で従軍した女学生の悲惨な体験を生き残ったひめゆり部隊の方から聞いて涙した。摩文仁の丘の平和祈念公園では、慰霊碑に刻まれた膨大な戦没者数に驚愕したのだ。
鹿児島県を旅したときは、知覧の「特攻平和会館」で、その壁に張り巡らされた特攻隊員の顔写真を正視することが出来ずに涙ぐんだ。10代、20代の前途ある青年がいかに多く敵艦への自爆攻撃を敢行して死んでいったのかと...。それは、「加世田市平和祈念館」でも同じ思いだった。
また、広島や長崎を旅したときは、原爆によって、一瞬の内に何万、何十万の人が亡くなり、都市が壊滅したようすを知って、戦慄した。それは、戦後60年を経た今日でも原爆症に苦しむ人々を残している。
その他にも、東京大空襲をはじめ日本各地が爆撃され、多くの一般市民が犠牲になると共に、焦土とされた爪痕が所々に残されているのだ。
旅の途上で、このような所を訪れる度に、戦争の悲惨さを胸に刻み、平和の尊さを感じている。そして、第2次世界大戦後60年間、日本で戦争がなかったことのありがたさが身に染みるのだが、それは、日本国憲法第9条の戦争放棄や戦力不保持、交戦権否認の原則があったればこそと思っている。
しかし、今この憲法を変えようとする動きが起こっている。8月1日に発表された自民党の『憲法改正草案の一次案』を読んだのだが、憲法第9条2項の戦力不保持を改め、自衛軍を保持できるとした上で、「自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。」としていて、海外へ派兵しての戦争へも参加できる内容となっている。しかも、民主党の『憲法提言中間報告』では、「国連安保理もしくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動」に限定しているのに比べて、「国際的に協調して行われる活動」という規定はあいまいで、今回のイラク戦争のように国連決議がなくて、アメリカとイギリスが強行したようなケースも含まれると考えられるのだ。
でも、このイラク戦争は、「イラクが大量破壊兵器を持っていて、危険性が高まっている」ことを口実に始められたはずなのに、それは発見されなかった。戦争で多くの人々が犠牲になっているにもかかわらず、そのことに対する責任は明確にされず、ブッシュ大統領もブレア首相も辞任していない。このような道理がないと思われる戦争にまで、日本が加わらなければならないのだろうか...。小泉首相は真っ先にイラク戦争を支持しておきながら、大量破壊兵器が発見されなかった責任については口をつぐんだままで、いまだに自衛隊をサモアに駐留させている。
しかも、イラク戦争は、アメリカやイギリスなどによって、戦闘終結宣言がなされた以後の米英軍犠牲者の方が多く、イラク住民も多くが殺されていて、いまだに戦闘状態が継続していると見ている向きも多い。その中で、ことし7月のイギリスサミット時の地下鉄・バス爆破事件が起きたとも考えられている。マスコミでは、同時多発テロなどと書いているけれども、イラク戦争が継続している中での後方攪乱と見る向きもあるのだ。
要するに、戦争すると言うことは、その戦闘地域だけではなくて、その後方の施設や支援国への攻撃の危険性を常にはらんでいるということだと思うのだ。日本が、イラクへ自衛隊を派遣したときもその危険性を考えて、日本国内の列車や空港などでも厳重な警戒が実施され、国内を旅していたときに何度もチェックを受けた記憶がある。
やっぱり戦後60年間戦争に参加せずに、平和を守ってきたことを大切にしなければならないと思う。憲法9条を変えずに、戦争に参加しないで、平和を守る日本を続けていきたいと思う。その方が、安心して、自由に旅が出来ると考えるのだが...。