飛鳥時代の前半に花開いた文化で、仏教が伝来した6世紀半ばから大化の改新があった7世紀前半までの文化です。その特徴は、①中国六朝文化の影響を受けていること、②仏教を基調としていること、③都のあった飛鳥地方を中心に畿内とその周辺で花開いたこと、などとされてきました。仏教に関する建築、彫刻、絵画、工芸などに著しい発達がみられ、その代表として、法隆寺の建築物、仏像、絵画などがあげられ、石舞台古墳をはじめとして、多くの古墳も造営されています。
〇飛鳥文化を巡る旅6題
旅先で飛鳥文化の関係地を訪れ、良かった所を6つ、北から順に紹介します。
(1) 広隆寺<京都府京都市右京区太秦>
京都市右京区太秦にある真言宗の寺院で、山号を蜂岡山といいます。推古天皇の時代の603年に、秦河勝が聖徳太子のために造立したと伝えられ、聖徳太子建立七大寺の一とされています。当寺一帯は古くから渡来人の秦氏が住んでいた地域で、その氏寺となっていました。しかし、創建当初の位置は、現在地から北東数kmの地点とされ、現地には平安遷都時あるいはそれ以前に移ったとのことです。その後、818年(弘仁9)と1150年(久安6)に焼失しましたが、そのつど再建されました。国宝彫刻の部第一号の飛鳥時代の弥勒菩薩半跏像を有することで知られていますが、それ以外に、桂宮院本堂(国宝)、講堂(国指定重要文化財)などの建造物、国宝や国重要文化財に指定された数多くの仏像や書跡、絵画、彫刻、美術工芸品があり、文化財の宝庫となっています。
(2) 法隆寺<奈良県生駒郡斑鳩町>
奈良県生駒郡斑鳩町にあるこの寺は、飛鳥時代の7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設で、聖徳太子ゆかりの寺院です。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から607年(推古天皇15)とされています。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられ、境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群です。そこには、金剛力士立像、金堂の釈迦三尊、五重塔の塑像群、夢殿の救世観音、大宝蔵殿の百済観音、玉虫厨子など、38件もの国宝と151件の国の重要文化財があるのです。また、1993年(平成5)には、「法隆寺地域の仏教建造物」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
(3) 中宮寺<奈良県生駒郡斑鳩町>
奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の尼寺で、山号は法興山といいます。聖徳太子建立七ヵ寺の一つで、聖徳太子の生母である穴穂部間人皇女(用明天皇皇后)没後、その宮を寺に改めたと伝えられています。7世紀初頭の創建と考えられますが、鎌倉時代に衰えたものの、室町時代末に再興されました。現存の建造物はほとんどが江戸時代以降のものですが、所蔵の弥勒菩薩半跏像と天寿国繍帳は、飛鳥時代のもので国宝に指定されています。
(4) 飛鳥寺<奈良県高市郡明日香村>
奈良県高市郡明日香村にある蘇我氏の氏寺で、飛鳥時代の6世紀末から7世紀初めに蘇我馬子の発願で建てられた日本最古の本格的仏教寺院です。創建時の伽藍は失われ、現在の建物はずいぶん小さくなっていますが、塔や金堂の礎石だけは残されています。本尊は日本最古の仏像で、「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来(国指定重要文化財)で、鞍作止利の作といわれています。西方の近くの田んぼの中に、蘇我入鹿の首塚と伝えられる五輪塔が立っています。飛鳥時代の蘇我氏を偲ぶには最適なところです。
(5) 石舞台古墳<奈良県高市郡明日香村>
奈良県高市郡明日香村にある飛鳥時代の古墳です。元々は方墳で、盛り土があったと思われますが、現在では、それが失われ、巨石で築かれた横穴式石室(石室の長さ 7.7m、幅 3.4m、高さ 4.8m)が露出した状態となっていて、舞台状の外観を呈しているのでこの名が生まれました。埋葬者は、蘇我馬子と伝えられ、1935年(昭和10)に国の史跡になり、1952年(昭和27)には、特別史跡に指定、現在は、国営飛鳥歴史公園の一部として整備されています。
(6) 四天王寺<大阪府大阪市天王寺区>
大阪市天王寺区にある和宗の総本山となっている寺院です。推古天皇の時代の593年に造営が開始されたと伝えられ、聖徳太子建立の七大寺の一つとされています。中門・塔・金堂・講堂が直線的に並ぶいわゆる四天王寺様式の伽藍配置として知られ、飛鳥時代の様式を伝えています。しかし、836年(承和3)以降たびたび焼失していて、現在の建物は、第二次大戦後復元されました。本尊は救世観音菩薩で、寺宝に扇面法華経冊子などがあります。
☆飛鳥文化の主要な文化財一覧
<仏教寺院>
・四天王寺…聖徳太子の発願により593年(推古天皇元年)に建て始められた、日本最古の本格的仏教寺院の1つですが、建物は何度も焼失して再建されている。
・飛鳥寺(法興寺)…崇峻朝の588年(崇峻天皇元年)に着工され、596年(推古天皇4年)に完成、蘇我馬子が造営の中心になったものですが、現存建物は再建されたものです。
・百済大寺…舒明天皇により639年(舒明天皇11年)に建立され、舒明の没後、妻の皇極天皇、子の天智天皇によって継承された、最初の天皇家発願の仏教寺院ですが、移転し遺構だけとなっています。。
・法隆寺(斑鳩寺)…用明天皇により発願され、その遺志を継いだ聖徳太子と推古天皇により607年(推古天皇15年)に創建されたが、670年(天智天皇9年)に焼失し、現存する西院伽藍はその後の再建であるものの、日本最古の木造建築です。
・中宮寺…聖徳太子創建と伝えられますが、現存建物は再建されたものです。
・広隆寺(蜂岡寺、秦公寺)…秦氏の氏寺として建てられましたが、現存建物は再建されたものです。
・善光寺(定額山 善光寺)…皇極天皇元年(642年)に三国渡来の一光三尊阿弥陀如来が現在の地に遷座、皇極天皇3年(644年)皇極天皇の勅願により本堂を創建したものの、現存建物は再建されたものです。
<彫刻>
・飛鳥寺釈迦如来像(飛鳥大仏)…鞍作止利の作(頭部と指の一部が現存)
・法隆寺金堂釈迦三尊像…鞍作止利の作
・法隆寺夢殿救世観音像
・法隆寺百済観音像
・広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像
・中宮寺半跏思惟像(弥勒菩薩・寺伝は如意輪観音)
<その他の遺物>
・繍仏三経義疏(御物)…聖徳太子の著作・自筆といわれている。
・天寿国繍帳(中宮寺蔵)…聖徳太子の死去を悼んで妃の橘大郎女が作らせたという。
・玉虫厨子(法隆寺蔵)…仏教工芸品で装飾に玉虫の羽を使用していることからこの名がある。
〇飛鳥文化を巡る旅6題
旅先で飛鳥文化の関係地を訪れ、良かった所を6つ、北から順に紹介します。
(1) 広隆寺<京都府京都市右京区太秦>
京都市右京区太秦にある真言宗の寺院で、山号を蜂岡山といいます。推古天皇の時代の603年に、秦河勝が聖徳太子のために造立したと伝えられ、聖徳太子建立七大寺の一とされています。当寺一帯は古くから渡来人の秦氏が住んでいた地域で、その氏寺となっていました。しかし、創建当初の位置は、現在地から北東数kmの地点とされ、現地には平安遷都時あるいはそれ以前に移ったとのことです。その後、818年(弘仁9)と1150年(久安6)に焼失しましたが、そのつど再建されました。国宝彫刻の部第一号の飛鳥時代の弥勒菩薩半跏像を有することで知られていますが、それ以外に、桂宮院本堂(国宝)、講堂(国指定重要文化財)などの建造物、国宝や国重要文化財に指定された数多くの仏像や書跡、絵画、彫刻、美術工芸品があり、文化財の宝庫となっています。
(2) 法隆寺<奈良県生駒郡斑鳩町>
奈良県生駒郡斑鳩町にあるこの寺は、飛鳥時代の7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設で、聖徳太子ゆかりの寺院です。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から607年(推古天皇15)とされています。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられ、境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群です。そこには、金剛力士立像、金堂の釈迦三尊、五重塔の塑像群、夢殿の救世観音、大宝蔵殿の百済観音、玉虫厨子など、38件もの国宝と151件の国の重要文化財があるのです。また、1993年(平成5)には、「法隆寺地域の仏教建造物」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
(3) 中宮寺<奈良県生駒郡斑鳩町>
奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の尼寺で、山号は法興山といいます。聖徳太子建立七ヵ寺の一つで、聖徳太子の生母である穴穂部間人皇女(用明天皇皇后)没後、その宮を寺に改めたと伝えられています。7世紀初頭の創建と考えられますが、鎌倉時代に衰えたものの、室町時代末に再興されました。現存の建造物はほとんどが江戸時代以降のものですが、所蔵の弥勒菩薩半跏像と天寿国繍帳は、飛鳥時代のもので国宝に指定されています。
(4) 飛鳥寺<奈良県高市郡明日香村>
奈良県高市郡明日香村にある蘇我氏の氏寺で、飛鳥時代の6世紀末から7世紀初めに蘇我馬子の発願で建てられた日本最古の本格的仏教寺院です。創建時の伽藍は失われ、現在の建物はずいぶん小さくなっていますが、塔や金堂の礎石だけは残されています。本尊は日本最古の仏像で、「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来(国指定重要文化財)で、鞍作止利の作といわれています。西方の近くの田んぼの中に、蘇我入鹿の首塚と伝えられる五輪塔が立っています。飛鳥時代の蘇我氏を偲ぶには最適なところです。
(5) 石舞台古墳<奈良県高市郡明日香村>
奈良県高市郡明日香村にある飛鳥時代の古墳です。元々は方墳で、盛り土があったと思われますが、現在では、それが失われ、巨石で築かれた横穴式石室(石室の長さ 7.7m、幅 3.4m、高さ 4.8m)が露出した状態となっていて、舞台状の外観を呈しているのでこの名が生まれました。埋葬者は、蘇我馬子と伝えられ、1935年(昭和10)に国の史跡になり、1952年(昭和27)には、特別史跡に指定、現在は、国営飛鳥歴史公園の一部として整備されています。
(6) 四天王寺<大阪府大阪市天王寺区>
大阪市天王寺区にある和宗の総本山となっている寺院です。推古天皇の時代の593年に造営が開始されたと伝えられ、聖徳太子建立の七大寺の一つとされています。中門・塔・金堂・講堂が直線的に並ぶいわゆる四天王寺様式の伽藍配置として知られ、飛鳥時代の様式を伝えています。しかし、836年(承和3)以降たびたび焼失していて、現在の建物は、第二次大戦後復元されました。本尊は救世観音菩薩で、寺宝に扇面法華経冊子などがあります。
☆飛鳥文化の主要な文化財一覧
<仏教寺院>
・四天王寺…聖徳太子の発願により593年(推古天皇元年)に建て始められた、日本最古の本格的仏教寺院の1つですが、建物は何度も焼失して再建されている。
・飛鳥寺(法興寺)…崇峻朝の588年(崇峻天皇元年)に着工され、596年(推古天皇4年)に完成、蘇我馬子が造営の中心になったものですが、現存建物は再建されたものです。
・百済大寺…舒明天皇により639年(舒明天皇11年)に建立され、舒明の没後、妻の皇極天皇、子の天智天皇によって継承された、最初の天皇家発願の仏教寺院ですが、移転し遺構だけとなっています。。
・法隆寺(斑鳩寺)…用明天皇により発願され、その遺志を継いだ聖徳太子と推古天皇により607年(推古天皇15年)に創建されたが、670年(天智天皇9年)に焼失し、現存する西院伽藍はその後の再建であるものの、日本最古の木造建築です。
・中宮寺…聖徳太子創建と伝えられますが、現存建物は再建されたものです。
・広隆寺(蜂岡寺、秦公寺)…秦氏の氏寺として建てられましたが、現存建物は再建されたものです。
・善光寺(定額山 善光寺)…皇極天皇元年(642年)に三国渡来の一光三尊阿弥陀如来が現在の地に遷座、皇極天皇3年(644年)皇極天皇の勅願により本堂を創建したものの、現存建物は再建されたものです。
<彫刻>
・飛鳥寺釈迦如来像(飛鳥大仏)…鞍作止利の作(頭部と指の一部が現存)
・法隆寺金堂釈迦三尊像…鞍作止利の作
・法隆寺夢殿救世観音像
・法隆寺百済観音像
・広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像
・中宮寺半跏思惟像(弥勒菩薩・寺伝は如意輪観音)
<その他の遺物>
・繍仏三経義疏(御物)…聖徳太子の著作・自筆といわれている。
・天寿国繍帳(中宮寺蔵)…聖徳太子の死去を悼んで妃の橘大郎女が作らせたという。
・玉虫厨子(法隆寺蔵)…仏教工芸品で装飾に玉虫の羽を使用していることからこの名がある。
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