報告ときどきピアノ

証言の必要増しながら、アローンな立場とわかり⋯

(介入により開始日や順序ほか異なってきてます)

教育現場へのテロ(追記をご覧願います14日10:51 )

2024-02-13 22:31:34 | 日記

[~2/14 10:51 追記]

 私が小学生の頃、日本の教科書は、一律、全国、また時が経っても、同じものだと、思っていましたら、ひとの小学校中学年の社会が私の習った内容ではないので誰かにきくと、その時期は地域のことだから、地域ごとに違うのだろう と言われ、もうひとつ納得いかぬまま、でも、そうなの・・と思って、あとはいっしょなのだろうと。
次に誰もが覚えているであろう小学校一年生の国語の最初の頃のを言ってみて、「そうだね、なつかしい」と言ってもらったのが、1,2回程度、その後、成人してからまったく通じないがあって・・あれ?なんか愕然としました。
中学生の頃だったか、教科書の出版社が2,3あって選択されているんだとの情報で、そんなのでよいのだろうかと不安になる。学年の近い妹の美術(図画工作)の教科書だけはなぜか見る機会があるけど、同じ学校でも随分違ってる。
そんな付和雷同でいいのか?と、言葉にはしていないが、ただただ、妙な不安を覚えました。
共通認識は入試対策ごと程度になり、不登校でも構わなくなってしまう一因かもしれない。(同じ不登校でも、理由はさまざまだろうけど。)
ちなみに、教科書も、大事にとっておいてのつもりが、結局なにも残っていない。。。(目の前で焼かれなくても、これ、焚書じゃない!って思ったこと、これまで多数。)

という、私自身のあれ?あれ??が前置きで、
昨年、ある若い方にきいてみると、日本国憲法は高校で1度とりあげただけといいます。
私が小6から大学の講義できくまで、少なくとも3回は反復してしっかり聞いたのとは、まるで違うけれど、問題はそれだけじゃなかったのです。

昨日 今日までに、法学の講義のことが、もっと思い出されてきました。
いつから、改竄で主文がとっぱらわれたのか・・・私の把握する限り、早くとも私が講義を受けてしまってから  のはずだったわけですが・・・
こんなことがありました。

私がこちらで、ごく基本的なことでありながら一応、講釈をたれるのは、
生きた日本国憲法を、教授がしっかりと話し、理解して聴くことができたから。
でも、何度かある講義の終盤になって、大勢の学生が教壇に教授が現れるのを、異常に長い間待ったことがあったのです。そのときだったと思います。入ってきた人か教授か、
「いま、大変なことが起きました。 ・・こう言ってたことを(皆さん)覚えておいてください。とんでもない一大事です」と。(つい、昨日まで忘れかけてました
ちょうど憲法の大事な説明はすっかり聞き終えてたし、もう小学生の頃から心得があるから念押し+のことだったし。私は大丈夫だけど、いったいどうしたのだろうと・・・
残りの講義で教授は、・・歩き方がとにかく変(よたついているというか)、話す内容はかろうじて大丈夫のようだが、話し方に生気が無かったし、怒りとつっかえつっかえがないまぜになったような。
同じ授業に出ていた友達にそのときのことを話題にしようとしたら、(思い返そうとしていて)「・・・私、ワイシャツのポケットから見えてた(バスの)ひまわり回数券しか覚えてない。」と言う。
はぐらかし?って思ったけど、そんなふうでもない・・今からしたら、本当にそうだったのです。
思い出せば思い出すほど、 このことだ!

私は、科目としての「社会」は得意意識がないけれど、改めて思い出してみると、小学校4,5,6年で、それぞれ「社会」が専門の先生でした。小6の先生は、犯人側からやられてしまったのです。教材映写機確認中にいきなり映し出された異物映像を通りかかりの女が大袈裟にとりたて教育現場を追われたと高校のとき情報がはいりました。(このような投入的事件組立ては、特徴的です。)
これは、日本国憲法など教育(及び私のアリバイ)への、打撃の大きい卑怯テロだったのです。

大学の特色もあって、全国的に見れば、あのように わかりやすい念押しで学んだ人が少ないうえに、意識的に覚えていけそうな人には記憶抜き取り(催眠術)がはいり、
遅くとも1986年前後からは正しい書物を失ったり、音声改竄などで、憲法教育は、殆ど成り立っていないはず。

なんとかならなかったものか・・・だけど、厳しすぎたのだろう。

そうか、これだったんだ・・・。 

追記:上記で「~大変なこと~」と、言った人物はやはり、教授のほうではなく若い男のほうでした。思い返すに教授が出てくるのとあまり被っていなかったし、教授自身に その男と関りがあるようなそぶりがなかったのです。
この、そのときだけ姿を見せ、別に名乗るわけではないのに席についている人などをサッと手なづけてしまう・・・他でもありました。
ただ この時は、教授以外の人が現れて何かを・・と言っても、授業を待つ学生はそんなに関心を示していない場面でした。

私がこのことを書いたのは、改竄が影響力を持ってきた時期をおおまかに示したかっただけです。

日本国憲法は永久の最高法規。
日本国憲法の発布と同時に
日本国憲法(人が人として生きるために必ず守らなくてはならない事)そのものが
効力(発布時の日本国憲法と異にすることが永久に禁じられる)を有します。

第二次世界大戦をようやく鎮火したそのときに、今と違って現実を見極められすべてのことで秀でた方々が全精力を込められた人の法。
二度と同じ歴史をたどろうとすれば、もう再生はないとの警告を含んでいた発布でもあるのです。

発布のそのときから、変わることのない法という日本発生の国の憲法、
日本だけでなく人類の最後の砦です。

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