浪曲師 真山隼人のブログ

浪曲師 真山隼人です。よろしくお願いします。鈴鹿市シティセールス特命大使

十年

2020年02月26日 | 浪曲
どうも、真山隼人です。

こまめにブログを更新するといったやつはどこのどいつだといいたくなる今日この頃
ゆるやかにやっていきたいなとのんびり考えてます。

サボってしまいごめんなさい… これからは気が向いたときに書きたいと思います。


ブログについて考えていた際にふと、ああもうすぐ浪曲生活丸十年だなあとしみじみ思いました。
この十年いろんなことがありました。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと…。
とても濃い十年だったなと思いますが、20歳を過ぎてから調子に乗って酒を飲みすぎたせいか、ちょっとずつアホになってきています。
ご馳走していただく美酒はすばらしく記憶も明朗で上品なものですが、一人で飲む粗悪酒がいけなかったのでしょう。
ちょっとずつ節制しなければと思うふりだけして賢くなったように自分に言い聞かせながら浮世を楽しんでます。
もともとのアホにプラスしてさらにアホになってしまい救いようがないかもしれません。
この記憶のあるうちに、覚書としてこの十年を振り返ってみたいなあと思い、何回かに分けてここに書くことにしました。
興味のある方は暇なときにお読みください。 


さて、生い立ちから…

平成7年に三重県鈴鹿市白子町という海しかない町で生まれた隼人は、親の育て方がよかったのかすくすくと育っていき、小学~中学~高校~大学と難なく進学し、順調にし大手企業に就職、結婚。一男一女に恵まれる。

なんて、人生だったらつまらなかっただろうなあ…。


平成7年に三重県鈴鹿市白子という何もない街でうまれた隼人は、幼少の頃より伊賀流忍者を志し、親を困らせる正真正銘の変わり者だった。

↑そうそうこれこれ、これが本当です。
一つ違うとすればいまだに忍者にはなりたいと思っておりますが…この体型じゃあねえ…(笑)

そんなこんなで変わり者とレッテルを貼られながらも特にいじめられることもなくのほほんと暮らしていた小学生時代、放課後は英会話、空手、水泳、英語と習わせられており、まるで金持ちのお嬢様のような生活を送っておりました。
今考えるとこの習い事で役立っているのは水泳だけだなあと。いまだにすいすいと1キロぐらいは泳げると思います。
ただ、この頃からでしょうか…三味線か箏をやりたいと思い始めるようになったのは…。そんなよくわからない願いが聞き入れてもらえるはずもなく、学校に習い事にとハードな生活における一つの癒しの時間は風呂上がりのラジオでした。

風呂上がりにラジオを聴くっていうのもどんな生活だって話ですが、特に好きだった番組が「ラジオ深夜便」「新話の泉」「日曜名作座」「上方演芸会」「真打競演」「ラジオ名人寄席」という…。
いやNHKばっかじゃん。というか全部NHKじゃん。

いろんな雑学やら知識やらは「ラジオ深夜便」を聴いて身につけたといっても過言ではないくらいのヘビーリスナーだった。
ほぼ、寝不足。いやもう毎日寝不足ですよ、深夜便のおかげで。これだけNHKとともに生きた小学生も珍しいんじゃないかな…。

もうそうなってくると話芸にハマる日々。特にお気に入りだったのが六代目三遊亭圓生師匠!あのカッコよさにあこがれて4年生ぐらいでしょうかズッとマネしてたのは。中でも「御神酒徳利」「おかふい」「火事息子」「札所の霊験」がお気に入りでヘビーローテーションの日々。
圓生師匠が生きていらっしゃったら弟子入り願いに行ってたんじゃないかと考えた事も…(すぐ破門されたでしょうけどね)

ラジオを聞かなきゃ眠られないと、生活の一部になっていったある日。例のごとくNHKを聴いていると…

「浪曲はいわば大人の子守歌、心のふるさととでももうしましょう…」

落語じゃないのか…浪曲か、消そう  と思っていたところを消さずになんとなく聞いてみるなれば。


なんだこれは!語りだけじゃなく節まで入って三味線にあわせるのか!!!
おもしろいじゃないかーーーーーーーーーーー!!!!!


もう一発で感動しました。あんな感動未だにないですよ。
あの感情が直接伝わってくる(BY町田康さん)感じ。じわーッと感動しまして、すっかり虜になってしまいました。


いままで浪曲って単語では聞いたことあったけど、浪曲自身は聞いたことがなかったんですね、一体どんな演芸なのか!

早速調べて驚きました
↓↓↓


何なんだ!このセットは!

この布は何なんだ!何でこんなにところ狭しと並べるんだ! こんな机どうやって調達するんだ!
というか座ってやらないんだと(笑)

やってるネタも面白いものに混じって、ヤクザ物とか戦争物とか今こんなのやっていいの?と子供ながらに思うものもあったりと

全てが未知の領域で調べていけばいくほど、この浮世離れした浪曲(界?)が好きに。


さあ、そうなってくると今度は「生で見たい!」
三重県在住の田舎者ですので、そうそう大阪へは行けない。近場でやってないかと調べていると。



近くのスーパーで宣伝してるじゃないですか!

↑その時のチラシ。今思えば初めて入手した浪曲グッズかも。

なんと一挙に東西の名人が7人も見られる!しかも自宅から1時間チョイの名古屋で!
これは夢の祭典じゃありませんか。こんな祭典滅多に無いことだ(実際この時期ここだけだった)

早速つれていってもらおうと、親に交渉してみると

「平日だからだめ!!」と。

「そういわねえでさあ、あと十年したらこのメンバーは見られないよ、今しかないんだ」←今思えば結構不謹慎だなあ。

「だめ!!!」


見事に玉砕しました…。
だいぶ長いこと恨んでました、なんでこのメンバーのすごさが分からないかなあというのと、なんで平日開催やねん!と。

五月一朗と真山一郎のそろい踏みなんてそうそう見られるもんじゃないですよ。というか今でもかなうなら生で見たい。


それから毎年春になるとスーパーに浪曲大会(浪曲における大会はだいかいと読みます。)のチラシが置かれ、直談判、玉砕の流れ。


もうこうなったら仕方がない。11歳のときにあることを決意するのでした。

「そうだ…学校をサボって観に行こう。」

これしかないと。これしかなかったんです。ごめんなさいサボっちゃって。もう時効ですよね?深く追求しないで!


小学生が親の許可なく学校をサボることは、義経が安宅関所を弁慶にぶたれずに通る以上に難関です。
約一か月念入りにあーでもないこーでもないと考え…。


いよいよ決戦当日!

震える心を押し沈め、駅近くの公衆電話より

「隼人の母ですが、体調不良のため今日は休ませていただきます。折り返しの電話は結構でございましてよ、ほほほほ。」

声色を使って、ごまかしたのだ!!!


これはさすがに嘘だろと思われるかもしれないですが、当時母親あてにかかってきた化粧品セールス相手に声色で話すという
楽しい遊びをずっとしていたため、難なくごまかせたのだ(と思う)

どうだまいったかとニヤニヤしながら、汗でびちょびちょの手をハンカチで拭い、駅のロッカーにランドセルをぶち込み愛知県へと急ぐところで


丁度時間となりました。このまた続きはまた後日~。


いやあ全然十年前にたどり着かないぞ。

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2 コメント

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今井様 (真山隼人)
2020-02-27 18:08:11
お読みいただきありがとうございます。
いやあ、自分でも何でこうなっちゃったのかなあと思う次第です。つい自分が変わり者と忘れてしまいます。
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Unknown (今井祐介)
2020-02-26 07:02:40
大変面白く読ませて戴きました。
私も人のこと言えない似たような変わり者で…気持ちよくわかりますが、小学生でそこまでは。
高校生の頃は親公認で補習を休んだり、部活の試合休んだり、似たようなことしてましたよ‼️
お陰でどうしようもない変わり者が誕生致しました…
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