日本古代史を探る

「一の俣湯の華観音(自説)観音寺跡遺跡」に潜む古代ミステリーの調査研究に伴う雑感記と「せざん美術館」の紹介です。

三柱山遺跡(安心院)を見て来た

2023-06-19 10:46:39 | 古代史
 ドライブには絶好の曇天日

 「遠出にはいい日ね。」

   と妻が言う

 「出掛けたい」

   と言うことか・・

 妻は私が古代史の研究を
 していることは知ってい
 るので、即座に

 「行ってみたい所がある。」

   と、妻に告げる

 「何処?」

   と妻が聞く

 「前から気になっていた所、
 ちょっと遠いけど」

 「何処?」

  と妻

 「宇佐の安心院」

  と答える

 「宇佐?遠いけど行ける?」

  と妻



 「大丈夫、ナビがあるから」
  
  と、いつもよりすんなり
 決まったのに、やや拍子抜け
 する

 気が付けば、妻を乗せた車は
 「道の駅豊前おこしかけ」の
 駐車場に到着。

 「早いが、昼食べるか?」
 
 「そうね、着かんかったら食
 べられんから、食べるか」

    と妻決断

 先の食堂らしき所に向かう

 一番左のラーメンがある食堂
 で、妻は「豊前ラーメン」
 我は「焼き肉定食」を注文。

 20分経って、ブザーが鳴っ
 た。

 妻と顔を見合せ、ため息を
 一つつき、カウンターに取
 りに行く。

 「お待たせしました。」

   とご高齢の店員さん
  
 「いえいえ。」
 (しっかり待たせて頂きました)

 甘めの肉が九州らしい。

 妻は無言でラーメンを食す

 早めの昼食を終え、情報コ
 ーナーで観光パンフを漁り
 車は一路目的地

 宇佐の深い山々の間を安心院
 方面へ入ると、観光地らしい
 ホテル前に着き、ナビも目的
 到着のアナウンス


 「この辺の山なんやけどなあ」

 「そんなの無いよ。」

   と妻、不安げに一言

 


 「目的地をホテルにしたから、
 後は、目で探さんといけん

 「は?」

   と妻、再度不安げに

 「いやいや、仕方ないよ」

   と必死に説明

 ホテルの道脇に停車

 いつも通り、妻を残して 
 スマホとコンパスだけ握り
 車を降りる

 「早く戻って来てよ」

   と妻

 よく見ると、停めた車の山蔭
 の山が目的地か?

 何やら、少し古い別荘が数戸
 山すそに張り付いているが

 頂上は見えそうで見えない
     

 その左に、未舗装の林道が見
 える。

 5分歩くと、ブドウ畑が見えて
 きた。

 ちょうど目的の山縁を回るよ
 うな道。

 ブドウ農家の裏地辺りで、
 山側シャッタ―を数回きって
 おく





 林道を退き返す。

 一度車道に出る。
 車内の妻が見えた。

 車道をホテル方向に下る

 町の研修施設らしき所から
 目的の山の一部が見えたの
 でシャッターを2枚きる





 山と言うより単に林のよう

 更に、飲食店らしき所から
 1枚



 飲食店前から山を回るような
 別荘の直ぐ下の道を歩くと、
 山側面に、座布団1枚分の穴が
 あった。
 奥は暗いが、水の出口にして
 は空間が広過ぎる
 穴の直ぐ前に、丁度穴を塞い
 でいたかの様な石がはみ出し
 している

 一応シャッターをきっておく





 少し進むと、竹ササで道が塞
 がれ、前進を断念し、始めの
 林道入口に戻る

 林道入口の直ぐ上に、人一人
 が通れる山道

 山道入口近くの直ぐ左に、何
 やら歌を彫った石がある



 更に進むと右に又歌を彫った
 石、安心院町の観光用か



 直径1m弱の石があちこちに
 ある

 どの石もずんぐり丸く、尖っ
 た自然石は全く見あたらない

 山は自然とも人工とも言える

 更に進み、一段と雑草の背丈
 も目の高さになる

 思いきって右前の山頂をめざ
 すと、セメントで3畳分ほど
 平らに貼った場所に着く

 拝所か何かがあったか



 もう少し進むとかなり大きい
 岩が3つ寄せてある所に着く

 何かの目印か



 岩の上に「危険」のロープが
 張ってある

 その上が多分山頂だ
 背丈を越す草が目前の視界を
 塞ぐ

 数個の岩と「危険」表示に
 シャッターを切り、山頂方面
 に一応手を合わせて山を下る



 観光用の階段は造ってあるが
 人が通った形跡はない

 階段を下ると別荘内の小さな
 公園に出た

 傍に凝灰岩があり、ノミを使
 ったような爪跡状の窪み

 シャッターを切る



 別荘内を下り最初の林道入口
 に出る

 小石を含んだ山肌の層があ
 る
 
 シャッターを切っておく



 車道に出たので右を見ると
 車内の妻の顔があった

 現実に戻った気もし、何故か
 ホットため息を一つ

 「お待たせ」

 「行けた?」

   と妻

 「行けた、行けた」

   と少し大袈裟に返事

 何も知識がなければ、単なる
 小山といった所であるが、
 ある程度の経験を踏んだ者な
 ら直ぐにピンとくる

 人工の山だと


 うちの卑弥呼の協力も限界に
 近いと感じ、
 山を後にした

 帰路は、一度道を間違えたが
 スーパーで夕食の寿司パック
 とお茶を2つ買い
 家路を急ぐのであった

 見慣れた町に近づく傍ら、

 あっと言う間の一日の思い出

 に浸ってみるのであった。
 

 

 






 
 







 


 




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35 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感謝!2 (katumoku10)
2023-06-29 15:32:31
写真を順に貼っていただいたので、雰囲気がよく分かります。今度是非行ってみたいです。どうもありがとうございました( ^)o(^ )
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Unknown (百畑キクリ)
2023-06-29 13:31:08
ブログ再編集しました
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-29 12:59:24
写真16  ノミ傷の石
参考まで
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Unknown (katumoku10)
2023-06-29 11:11:08
暖かいお言葉、心から感謝致します!
1m四方の石はずんぐりでしたか!
そうすると石ブタではないですね!
どこに消えたのか🫤
下の駐車場にもずんぐりした石がいくつもありましが、ストーンサークルのように縄文系の祭祀に使ったものではないかと思いますので、ずんぐり石も磐座として置いたものかしら😯
やっぱり遺骸や副葬品を移し、主体部を破壊したのかも知れませんね😐
あれこれ推理するのが楽しいですよ🤤
また、よろしくお願いします!
どうもありがとうございました🫡
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-29 08:59:29
案内図では、滑り台が設置してあったんですね。コンクリはその基礎かも。
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Unknown (百畑キクリ)
2023-06-29 08:48:03
写真12・墳頂辺り
16・ノミを打った様な石 が有ります
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-29 08:39:43
3個の石・板では無く、ずんぐりど四角(石垣の石に近い)でしたが、石棺の一部かも?
古墳の経緯から、棺部は破壊の可能性もありますよね

遠慮なくブログに使って下さい
少しでも力になれたら嬉しいですね
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Re:Unknown (katumoku10)
2023-06-28 21:12:31
おおお、これはよくわかるイラストです!
有難うございました。
まず、コンクリは古い施設案内MAPにあった長いコースターが丁度その辺りから始まるようです。その基礎だったようです。
座布団大の穴も基礎なのかも知れませんが
細長い石は分かりませんね?
大分フォト観光ガイド>キャンプ場に古い案内図がありますので、ご確認ください(^_-)-☆
https://oita.jp-o.net/naka_usa/f_ajimu/f_ajimu.htm

それで二・三個ある1m四方の石の厚みはやはり10cmとか15cmでしょうか?だとすると石棺の蓋ではないでしょうか?三個だとすると石棺のサイズは長さ3m幅1mの巨大石棺墓になりますね。二個でも長さ2mですから、吉野ヶ里の石棺墓の長さと同程度です。幅はこちらの方が大きいでしょう!恐らく墳頂部に石棺があったのではないでしょうか?柵は多分その石を囲っているのではないでしょうか?そうであれば墳頂の石棺が残っているかもしれません。ないのであれば人為的に壊して移動させた可能性がありますね。
いや、図中の番号は写真の番号ですね!
写真⑫は墳頂部を撮影したものでしょうか?

大変貴重な情報をありがとうございます。
今回の調査結果をできればもう少し確認してブログにしたいのですが、御許可いただけますでしょうか?
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Unknown (百畑キクリ)
2023-06-28 20:42:11
公園用にしては飾りけが無く、3個固めてあったと記憶、写真の石の上に空が見えるから墳頂は近いと、残念だが墳頂は行かず、コン
クリからほ柵は見えず、立草で見えなかったかも、
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Re:Unknown (katumoku10)
2023-06-28 19:41:29
え?1m四方の石?その奥が墳頂?
柵はその大きな石と墳頂部も囲っているのですか?
コンクリート打ちした部分はどこですか?
コンパスは南西を指しているようですね(*´Д`)
墳頂付近でいいですから、位置関係の略図を書いて教えてくれませんか?
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Unknown (百畑キクリ)
2023-06-28 09:49:34
「危険」の柵の奥にあ1m四方の石、その奥が墳頂らしい。
写真参考まで
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Unknown (katumoku10)
2023-06-27 16:54:27
色々と教えて頂き有難うございました♪
またよろしくお願い致します🤗
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-27 15:13:03
墳頂への道は、西のコテージ入口から左に入りました。始めの写真の歌碑石の道になります。
穴は下でなく奥へ延びる感じでした。この石以外は見あたらなかった。小石が草むら中にあったかも。
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Unknown (katumoku10)
2023-06-27 11:10:00
この石は細長いようで、石棺のどの部分なのかよくわからないですね!厚みがあるので蓋なのかどうか?でも蓋ならもっと幅はあるとは思いますね!石は他にはないのでしょうか?

じゃあ頂上へは西の方の道ですかね🤔
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Unknown (百畑キクリ)
2023-06-27 10:47:30
穴の前から東への道が塞がれた所の写真は有ります
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-27 10:44:09
真賀里上の座布団穴の石(平たくなく丁度穴を塞ぐための様な)
穴は石棺ですか?
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Unknown (katumoku10)
2023-06-27 09:46:24
そうでしたか🤔
ありがとうございます♪
この石は石棺のどの部分でしょうか?
石の写真はまだまだあるのですか?
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-27 09:17:44
穴の上に、鉄手すりがありましたが、墳頂への道か不明です
コテージの公園に続くかも
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Unknown (百畑キクリ)
2023-06-27 09:12:47
続いて、穴の石の写真です
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Re:Unknown (katumoku10)
2023-06-26 20:49:23
おっしゃるとおり、体育館の西の喫茶・軽食 真賀里のすぐ北側ですから、磁石が示す通り、墳頂部からほぼ南ですね。グーグル・マップで確認していますよ(^_-)-☆

でもキクリさんは好くその場所を見つけましたね!驚きです。動物的な嗅覚の持ち主?頂上に行くルートなのですかね?
どうもありがとうございました( ^)o(^ ) 
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-26 20:41:23
再訂正。磁石がほぼ南ですから
やはり南です
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-26 20:33:07
@katumoku10 訂正。写真の座布団の穴は東の山裾 になります
返信する
Re:Unknown (katumoku10)
2023-06-26 16:33:48
ご面倒をおかけします(;^ω^)
拙ブログ「【吉野ヶ里遺跡】邪馬台国の条件とは?」(2023年6月4日)に載せた図「女王の居城の平面図(推定)」に巨大円墳の南裾に第8石棺群の記号がありますので、たぶん墳頂部を掘って出てきた石棺の石を集積した場所ではないかと思います。その石は今どこにあるのか分かりませんが。石の形状や数などが分かるとどれくらいの石棺なのか推定できそうですが。

ということであるならば、②ではないかと思います。でも長さ120cmでは石の厚みもありますから、コンクリートの部分は石棺の長さの一部なのかも知れませんね。どうしてコンクリ打ちしたのか、その辺の事情がどうなっているのかを知りたいですね。どうもありがとうございました( ^)o(^ )

また、米神山の方もよろしくお願いいたしますね(#^.^#)
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-26 15:52:47
「古墳の南すそ」ですが、町の体育館の左隣の建物(飲食店?)の後ろの
「座布団」くらいの穴と石、の写真にしますので
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Re:Unknown (katumoku10)
2023-06-26 11:48:41
お手数をおかけします。
>長さ1、2m
120cmということなら、残念ながら主体部ではないようですね。
そうすると③ということになりますが、
なんなんでしょうかね?家族旅行村の方にお聞きすれば分かるかも知れませんね。

卑弥呼の石棺は第8石棺群と報告書にあった中のひとつかも知れませんが、報告書では古墳の南の裾に記号が残されているだけで、工事の際に偶然発見したとあったと思います。人骨や副葬品がなかったとお思われます。これは大国主と台与が墓参に訪れて、盆地を挟み南側の妻垣神社奥宮の一柱謄宮で鎮魂・祭祀を行ったときに移動したのかも知れません。魏から貰った鏡ですが、台与が引き継いだと思います。平原王墓に副葬されたものではないかと思います。

まだ、写真をお持ちのようなので、差支えなければ後ろにでも付録で貼っていただけると助かります。どうぞよろしくお願いいたします(;^ω^)
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-26 09:38:59
マイブログに沿った写真があるので、指定されれば張替ます
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-26 09:30:16
長さ1、2m 厚さ10cm強
写真の様にコンクリから東が道です
墳頂に何故作らなかったんでしょう
返信する
Re:Unknown (katumoku10)
2023-06-25 20:51:37
貴重な情報をありがとうございます。

ということは、正確な墳頂部ではないですが、そこそこ主体部があった場所と言えそうですね。
写真を拝見すると幅約1m弱くらいでしょうか?
長さはどのくらいでしょうか?

向きはほぼ東西ですね。太陽が昇るのを意識したようにも見えますので、主体部の可能性が高いと思います。

ではなぜコンクリート打ちされているのか?理由があるはずですよね(^_-)-☆
いくつか考えられますが、
①その場所を掘ると何かがあるので封印するか、あるいは
②そこに主体部があったことを保存するためなのか?あるいは
③まったく主体部と関係ない行為だったのか?ですね。
どなたがいつ行ったのかですが、コンクリですから現代でしょう。家族旅行村建設に当たり行われたはずですね。また、思い出されたらで結構ですので、お教えください。どうもいろいろと申し訳ありません(^^;)
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-25 20:15:44
写真右上が頂上辺りなので、頂上から高さ1、2m下になります
返信する
Re:Unknown (katumoku10)
2023-06-25 13:46:21
有難うございます。
この場所は墳頂部と考えていいのでしょうか?
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-25 08:34:38
セメント部の写真にしたので、参考になれば
返信する
Re:Unknown (katumoku10)
2023-06-24 22:25:21
わ~!ちょっとゾクッとしました!お宅の卑弥呼さんに霊が乗り移ったのかも知れませんね(;´Д`)
除霊するなら佐田京石のストーンサークルが協力そうですので、お願いするとか!?(^_-)-☆

三柱山古墳をもう一度StreetViewを確認したら歌碑が一つだけありましたが、よく読めませんでした。それから、ご報告のあった墳頂のコンクリ打ちの部分の写真も消えています。なんか前に見たものではなくなっていますので、とても残念です(*´Д`)

実は、ここだけの話ですが、この地区には卑弥呼に関する伝承を消したい、あるいは別の話で誤魔化したい一族つまり藤原氏系だと思いますが、おられるようです。具体的にはここでは述べられませんが、メッセージ機能を設定していただければお教えできます(^_-)-☆

あ、それから米神山に登られるとのこと、楽しみです。中腹の月の神谷とその上の巨石群に南西に向けられた石棒が多数ありますので、もしもお時間があれば石棒の分布図などスケッチして残していただけると嬉しいです。

80kmも離れた大国主の父狗古智卑狗の墓と推定した山鹿市茶臼塚古墳の方角にどの程度の精度で向けられているのか気になるところです。

それから、ほとんど情報がないのですが、裏側の日の神谷にも石棒があると聞いており、どの方向に向けられているのか興味があります。

わたしも行って確かめてみたいのですが、後期高齢者まであとわずかですので、体力的に自信がないので迷っているところです(*´Д`)

それでは、またブログを楽しみにお待ちしています。お気をつけて行ってください!
どうもありがとうございました(^^;)
返信する
Unknown (百畑キクリ)
2023-06-24 19:46:12
あと、気になるミステリー現象がありました。翌朝妻が「シーツ(寝具)に血を吐いたシミがある」と言いました。妻の衣服は全く汚れが無いのです。シーツは残念ながら洗ってしまいました。血野でピンと来ました。(余談まで)
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Unknown (百畑キクリ)
2023-06-24 19:03:44
歌人名はポイントですね、うっかりしてました。今度は米神山を予定してます。今度ともよろしくお願いいたします。
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感謝! (katumoku10)
2023-06-23 21:01:40
有難うございます。気づくのが遅くなって申し訳ありません。
わたしもまだ登ったことはありません。
GoogleMapのStreetViewで見ただけです。
歌碑はなかったと思います。誰のどんな内容の歌だったのでしょうか?

家族旅行村の冒険の森というイラストにあった場所だと思いますが、やはりさみし気な古墳ですね。というか、古墳とはほとんどの人が気づいていないようです。でも安心院町教育委員会の報告書に、山裾に第8石棺群とありますが、石棺は一つのようですがあったと報告されてますから、古墳で間違いないです。

西側の地名は最近変えられましたが、血野とありましたから、地元の伝承では戦国時代の安心院氏の若殿が殺された場所とありましたが、卑弥呼の百余人の奴婢を殉葬するために虐殺した場所だと推理しています。酸性土壌だったら歯や骨などは完全に溶けていますね。

卑弥呼の遺骸は妻垣神社奥宮一柱謄宮に移されたのかも知れません。現在は、多分宇佐神宮本殿下に置かれたと思います。でも骨などは残ってないと思いますけど。
わたしも、この夏にでも行ってみたいです。またいろいろと教えてください。
有難うございました。(#^.^#)
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