アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

聖人は聖人が知る

2017-01-19 21:07:09 | 説話
 聖徳太子は三つの名があったという。一つが厩戸の豊聡耳、二つ目が聖徳太
子、もう一つは上宮。
 厩戸で生まれたから厩戸皇子と言われ、十人が同時に訴える事を、一言もも
らさず、聞き分けられるので豊聡耳。仏法をひろめて人々を救い、冠位のの制
を定められたので、聖徳と名付られ。天皇の宮殿よりも上の御殿に住んでおら
れたので、上宮の皇と呼ばれた。
 聖徳太子は数々の伝説に彩られておりますが、今回はその一つをお話しした
いと思います。
 聖徳太子が御殿の近くを見まわられた時。村の路端で病気の乞食が臥せって
いた。
 太子はみこしからおりて、乞食にいいろと尋ねられ、着ていた衣服を脱いで
乞食に着せかけ、
「やすらかにお休みなさい」と言われた。

 巡回が終わってその場所に差し掛かると、衣が木の枝にかけられ、乞食は消
えていてた。
 太子が再び衣をお召しなさろうとすると、従者がいさめた。
「けがれた衣です。何故そんなものをお召しになるのです」
「よいのだ。お前には到底分からぬ」

 その乞食が死んだと聞いた太子は、使いを遣わして手厚く葬り、墓を造って
死者を祭った。
 後に使者に様子を見に行かせた所、墓に木簡が立て掛けられており、一首の
歌が認められていた。
 いかるがのとみのおがははのたえばこそわがおほきみのみなをわすれめ
(斑鳩の富の小川の流れが絶えないように、わたしは太子の名を永久に忘れは
いたしません)
 聖人は聖人のみ知る。という話なのでしょうか?

 きっとあの乞食は聖人だったのでしょう。太子はそれを見抜き、色々と話を
交わして何か得る所があったのでしょう。
 現代にも通じる話です。人というのは見かけだけで判断してはいけません
し、病や困った人がいたら、せめて声をかけてあげて下さい。
   2017/01/19   Gorou
 

火麻呂伝

2016-12-12 03:46:27 | 説話
 吉志火麻呂は武蔵国多摩郡鴨野里の人、母は日下部真刀自である。母は生まれつき信心深く善行を心がけていた。

 聖武天皇の御世、火麻呂は大伴氏に命じられて九州防備の防人に徴用された。防人の任期は三年である。
 母は子について入って共に暮らし、妻は国に留まって家を守った。
 九州に赴任した火麻呂は、妻と別れてから恋しくてたまらず、母を殺して喪に服す事で役を免れて妻と暮らそうと思いついた。
 子は母に語った。
「東方の山の中で、七日間の法華講が有ります。母刀自、聞きに行きましょう」
 母は欺されてしまいます。仏陀の悟りを得ようと決意して湯で体を洗い清め、共に山の中に入って行った。
 火麻呂は牛のような目付きで母・真刀自を睨んで、
「汝、地に跪け」と言った。
 母は子の顔を見詰めて、
「どうしてそんなことを言うのか。お前は鬼にでも取り憑かれたのか」と言った。
 それでも、火麻呂は刀を抜いて母を殺そうとした。
 母は直ぐに子の前に跪いて哀願した。
「木を植えるのは、木の実をとり、木陰にかくれるためです。子供を養うのは、子の力を借り、子に養われるためです。たよりにしていた木から雨が漏るように、思いもかけず、おかしな気を起こしたのですか」
 火麻呂はついに聞き入れなかった。
 そこで母は嘆いて、身に着けていた衣を脱いで三カ所に六お気、子の前に跪いて、こう遺言をした。
「わたしの為に包んでおくれ。一つの衣は兄のお前が取りなさい。一つの衣は弟にやりなさい。一つの衣は末の弟にやりなそーさい」
 極悪の子は前に出て母の首を切ろうとした。
 その途端、大地が裂けて火麻呂はその中に落ち込んだ。
 母は直ぐに立ち上がって進み、落ちる子の髪ををつかみ、天を仰ぎ、
「この子は憑きものにつかれてしたので、正気では有りません。どうか罪をお許し下さい」と訴えた。なおも髪を握って子を引き留めようとしたが、子はついに落ちてしまった。
 慈悲深い火麻呂の母真刀自は髪を喪もって家に帰り、子の為に仏事を営み、むその髪を箱に入れて仏像の前に置き、僧を招きお経を詠んで貰った。
 母の慈悲は深い。深いが為に極悪の子にあわれみをかけ、子の為に善行を行ったのである。不幸の罪の報いはすぐにやって来る。極悪の報いは必ずあることがこれで分かる。
     日本霊異記、平凡社版を参照。なお、この話今昔物語にも引用むされいいます。   
       2016年12月12日    Gorou