アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅶ

2016-11-30 08:06:56 | 物語
七 笑美子 

笑美子がミス東京に入ってきたのは去年の四月だった。芸能部長派の桜の妹なので、小桜という源氏名でデビューした。
四十も半ばを過ぎている桜とは二廻りほど年が離れていたから、妹というよりは娘といった方が相応しい年齢だ。あるいは小桜ではなく子桜だったのかも知れない。いかにもピチピチとして、例えれば瑞々しい桃のような娘だったので、ボーイの間などでは常に上位の人気を誇っていた。
 ミス東京とてスタッフとホステスの色恋さたは御法度である。だが建前だけで、幹部たちからして掟を破ること甚だしいし、直にホステスと接触しているボーイの殆どが同棲相手を店の中で見つけていた。
 不思議なことに、指名数を誇るホステスに美人は皆無で、若くいい女の指名順位は決まって三桁である。小桜も又そうだった。いつも姉の桜やその仲間達の席に呼ばれて、ぼんやりと気のない素振りで接客していたのを良く見かけたものだ。
 普段の彼女は明るい声でころころと笑った。笑って桜海老の様に跳ね回るのだ。こんな女が、夏の盛りまで誰の毒牙にもかからなかったのは奇跡としか言いようが無い。よほど姉の桜が目を配っていたに相違ない。

 八月も半ばを過ぎたある日。調光ルームに小桜が遊びに来て、調整卓で悪戯をしながらはしゃいでいた。
「このボタン押してご覧」
 押すとフロアの照明が変わり、ミラーボウルが回った。
 目を大きく見開いて小桜が喜んだ。
「こっちのボタン、押してもいい?」
「いいよ」
「でも、大丈夫?」
 私はフロアを覗き込み、桜とその客がチークを踊っているのを確認しながら、
「いいから、押してご覧」
 そっとボタンを押してみる小桜。
 フロアの照明が更に暗くなり、桜たち二人だけがスポットライトに晒され、小桜は
 手をたたいて喜んでいる。
 いつの間にか照明室は二人だけになっていた。皆気を利かしたのかも知れない。
 私は試しに小桜の手を握って見た。そっと握り返してくる。
「桜と一緒に暮らしているの?」
「ううん、一人よ」
「デートしよう」
「いつ?」
「いつか」
 この頃の私はとても多忙で、はっきりといつなどと約束をする暇など無かった。マッキントッシュ(高級アンプ)を買うために、殆ど毎日麻雀で徹夜をしていたし、土日は朝から競馬場に入り浸った。
「いつか、暇が出来たら」
「そんなのイヤ」
「じゃあここで遊ぼ?」
「ここで?」
 親指を立てて、
「指相撲しよう。僕に勝ったら何でも君の言うことを利く」
「ホント! 何でも?」
「ああ」
 無邪気にも嬉しそうに笑う小桜。
 最初は右手で対戦した。忽ち小桜の親指を押さえ込んで私の勝ちだ。右手をそのままにして、
「今度は左」、可愛い唇を尖らせて小桜が言った。
 腕を交差して左手で戦う。今度は賢明に抵抗してきた。きっと左利きなのだろう。
 真剣な顔で身を捩って善戦する。
 頬がピンクに染まり、大きく開いたドレスの間で乳房が揺れた。
 かなり苦労したが、負ける分けにはいかない。ようやく押さえ込んだ。
「僕の勝ちだね」
「もう一度!」
 息を弾ませて小桜がせがむ。
 私はいきなりその唇を奪った。さしたる抵抗を受けなかった。彼女は普段、あまり化粧をしない方だったが、この日はかなりきつい香水の匂いがした。
「鬼太郎ちゃん、ズルイ!」
「どうして?」
「これじゃ、拒むこと出来ないわ」
 私に握りしめられた両の手に力を込めて言ったので、手を解放し、肩を抱くようにして口づけをした。
「さあ、これで自由、好きなように出来るだろ?」
 頬を膨らませて大きくため息をついた小桜、私を見つめるその眼がキラキラと輝いている。
「好き・・・」
 好きだと言ってくれたのか、好き?と聞いたのか分からなかったが、
「ああ、好きだよ」
 と、言ってみた。
 今度は自分から唇を寄せて来た。
 激しく唇を求め合いながら、右手でドレスの上から乳房を揉んだ。愛撫するその手を、ドレスの胸からこじ入れ、直に乳房に触れた。しっとりと汗ばんだその乳房、ひんやりとした肌触りで心地よく私の掌に吸い付いて来る。
 こうなったら若い男に自制など出来る分けが無い。性急にも、私の手は小桜の下半身を襲い、ドレスの下から入り込んで、下履きの中にまで進入しようとしている。
 眉間に皺を寄せて、小桜は嫌々をする。
「駄目! お願い! 堪忍して」
 小桜の手が私の手を払いのけようとすればするほど、気持ちが高ぶってしまう。
 激しく争う手と手。ここでも私の手が勝った。と思ったその瞬間、激痛が左腕を走った。小桜が思いっきり噛みついたのだ。
 飛び退くようにして左腕を見ると、血が流れていた。小桜はその傷口に口をつけて流れる血をすすり、素早くハンカチを巻いた。
何が何だか分けが分からない。呆然と立ち竦む私の頬を今度は小桜の手のひらが襲った。
「鬼太郎ちゃんなんか嫌い!」
 潤む瞳でキッと睨んだかと思うと、踵を返して走り去った。
 呆気にとられてただただ見送るのみの私。右手の人差し指に血がこびり付いていたので嘗めると、いやに生臭い匂いが鼻を突き刺した。
 これだから女は嫌だ。とうてい理解出来ない。追いかければ隠れてしまうし、逃げればどこまでも追いかけてくるのだ。

 次の日もその次の日も、小桜は店に出てこなかった。そのくせ、次の週顔を合わせると、何事も無かったようにケロリとしていた。私など、照れくさいやら恥ずかしいやらで、まともに小桜の顔を見る事も出来ず、姉の桜の視線を意識的に避けた程だというのに。
 更に奇妙だったのは、暇を見つけては私の側に小桜がやって来るのだ。私がどんな時間に何処で一人になるのか、ちゃんと知っていて、一人になると必ず現れた、大抵オードブルや菓子に飲み物を持ってきた。
 差し入れがジュースの時は一つだけ、一つのグラスに二つのストローを差し込み、額を寄せ合うようにしてジュースを飲まされた。まるで恋人気取りだ。
 金輪際手など出すものか! もうあんな思いをするのは真っ平だ。私は固く己を戒め、堅い決意を心に秘めた。

「あたしお店辞めるの。今夜でおしまい、来月からOLになるのよ」
 八月の終わりの事だった。鳥か何かの唐揚げを頬張りながらこう言って、小桜は小さく畳んだ紙ナプキンを私に握らせた。
「電話してね」
 黙っていると指切りをせがんだ。
 指切りを許すと安心したのか、ひどく嬉しそうに微笑んだ。
「きっとよ」 
絡み合った小指が駒鳥のように別離を惜しんだ。
 ホールからラストワルツが聞こえてきた。
 小桜の後ろ姿を見送りながら、ナプキンを開くと、住所と電話と本名が書いてあった。橋本笑美子、私はこの時、初めて小桜の名前を知った。
    2016年11月30日   Gorou


ニッポンを創った遣唐使

2016-11-30 01:58:53 | 日本古代史
 養老元年、多治比県守を押師(大使より格上)とした第九次遣唐使が派遣されました。大使が大伴山守、副使が藤原宇合(うまかい、藤原式家の祖)という顔ぶれでしたが、この時の留学生が凄いんです。阿部仲麻呂、下道真備(しもつみちの真備、後の吉備真備)、井真成(いのまなり)、僧玄昉、俊英中の俊英、かってない程の優秀な若者達でした。彼らが一つしかない命を擲って文明国家ニッポンを創ったと言っても過言では有りませ。

 一番有名なのが阿倍仲麻呂。

 天の原、ふりさけみれば、春日なる、三笠の山に出でし月かも(古今和歌集)

の和歌が有名ですね。最近、この和歌が紀貫之の創作では無いかと言う研究が発表されました。私もこの説に賛成です。若い頃からどうも出来すぎだと思っていました。藤原清河の漢詩をヒントに、仲麻呂の気持ちになって、望郷の念を紀貫之が歌ったという説なんです。結構リアリティが有りますよね! 

天の原 ふりさけみれば 天の川 霧立ち渡る 君は来ぬらし

 (万葉集 2068)

春日なる 三笠の山に 月も出でぬかも 佐紀山に 咲ける桜の はなの見ゆべし

 (万葉集 1887 旋頭歌 複数の人による唱和)

 この二つの歌はともに万葉集の巻十に載っている和歌です。月も出でぬかも、と、出でし月かも、は同じ意味ですから、二つを組み合わせると、全く同じ歌が出来上がります。

まあ現代だったら盗作で訴えられそうですね。でも和歌の世界はそういうものでもないそうです。

 春日山も三笠山も、特に藤原氏に縁が有りますから、藤原清河が詠んだと伝わっても不思議の無い歌ですし、紀貫之も阿倍仲麻呂が創ったとは言っていません。阿倍仲麻呂が歌ったと伝わっていると書いています。

 阿倍仲麻呂と藤原清河は遂に帰国が出来ずに、唐で客死してしまいます。二人は中華文明のなかで唐の官吏として出世します。特に仲麻呂は玄宗皇帝の寵愛を受けていました。だから中々帰国の許しが出ませんでした。皇帝だけでなく文化人達からも愛されていたようです。王維と李白とも親交が篤く、二人は仲麻呂に漢詩を送っている程で、中華の漢文化の教養に溢れ、容貌も挙措も優雅だったと伝わっています。

 義を慕って名空しくあり 忠を輪(いた)せば考は全(まった)からず

 恩を報ずるに日有るなし 帰国は定めて何年ならん

 この漢詩は、同期の真備や玄昉が天平の遣唐使と伴に帰国するとき、仲麻呂だけが帰国を許されず、望郷の念を謳ったものです。この時、仲麻呂の家人羽栗吉麻呂が混血の息子、翼(つばさ)と翔(かける)を連れて帰国します。二人の混血兄弟は通訳として日本と中国の架け橋として活躍しました。仲麻呂もまた、唐の女性と家庭を築いていたと考える方が自然です。新婚を祝ったと思われる漢詩を送られていますから。

 仲麻呂は十六歳で留学生に選ばれ、貴族の師弟しか入れない太学(たいがく、唐の最高教育機関)で学び、科挙(官吏登用試験)に合格して累進を重ね、皇帝の相談官、皇太子の相談役などを歴任して従二位まで出世をします。文明国家ニッポンを中華に認めさせた点では一番の貢献者です。

 ところで、皆さんは何時頃中国が日本という国名を認めていたか知っていますか?

八世紀に入って直ぐ、我が国は日本という国名を名乗っていますが、730年前後には、少なくとも唐政府は認めていたようです。その事が分かったのはほんの数年前です。2004年、西安の郊外で井真成という名の留学生の墓碑が発見されました。その墓碑に日本と言う国から来たと、はっきり明記されていたんです。日本という国号が刻まれた最古の文献です。
2016年11月30日   Gorou and Sakon

貴族になった船、能登号

2016-11-30 01:48:43 | 日本古代史
貴族になった船、能登号。

 奈良時代後期、淳仁天皇の御代の西暦763年、渤海使船能登号に正五位下の位と錦冠が授けられました。能登号は人であれば貴族の仲間入りをした訳です。ところが、不思議な事に、能登号の船長板振鎌束(いたぶりのかまつかさ)は罪を受け遠島に処されました。
 今回はこの話をしようと思います。

 西暦763年夏、渤海の港(現在の豆満江河口と思われます)で、渤海師節団を送り届けた能登号が日本に帰国する乗客を待っていました。
 乗客は七人、遣唐僧として唐に渡り、以後三十年間唐土を遊行遍歴していた戒融、その弟子か友人の優婆塞、優婆塞というのは得度していない僧侶の事で、遊行僧とか乞食坊主といった意味と考えてください、構成の聖のようなものだと思えばいいかも知れません。そして、渤海に留学していた楽生高内弓(うちゆみ)と妻の高氏、その長男広成、女の赤子と乳母。
 高内弓は、高句麗系の貴族高氏を妻に迎えたから高氏と称していたのか、日本名も高氏だったのかは分かりません。管弦(雅楽)を学んでいたことや長男の広成という名から渡来系の氏族だったに違いありません。

 能登号はどんな船だったのか? 遣唐使船の絵や模型を見たことが有りますか? おおむねあんな感じだと思って下さい。箱船のような船体、船室が二つ、竹で編んだ帆・網代帆を持つ帆柱が二つ、最近網代帆の上に小さな布帆が有ったことが分かりました。走行方向を補佐したと考えられます。風が無い時は艪を使いました。

 さて、三十年間も唐土を遊行していた戒融がなぜ日本に帰国しようとしていたのでしょうか? 戒融については、筑紫の僧侶としか伝わっていません。おそらく観世音寺で戒を受けた人で、遣唐僧に選ばれたのですから相当優秀か、有力者の推薦が有ったと思われます。戒融は唐土に渡って直ぐ、洛陽から出奔してしまいます。玄宗皇帝から紫の袈裟を賜った玄昉より、民間布教と社会事業に尽くした行基を認めていたようです。井上靖の天平の甍を読んだ方なら、戒融の名を覚えているのでは? 日本に帰国した普照の元に渤海経由で送られて来た甍の送り主が戒融です。今考えると、井上氏は送られてくる天平の甍から、悟りを開いた戒融がやがて帰国する事を暗示させたかったのかも知れません。
 当時の中国というのは、天災も人災も日本などとはスケールが違いました。
飢饉が始まると、草も木も、家畜は勿論、ネズミや、時には人さえ食べ尽くしたと云われています。生き抜くために子供を交換したと伝わっています。三十年の遍歴で、戒融は地獄を見、悟りを開いたと思ったのでは無いでしょうか?
戒融は空海が伝える事になる真言密教の教典と知識を持って帰国しようとしていたのかも知れません。
 戒融の事は全く記録に残っていないのですから想像したり推量するしか術が有りません。もう少し知りたいと思ったら『天平の甍』か『白虎と青龍』を読んでみて下さい。戒融の事は日出ずる国の人々の第四部で詳しく描こうと思っていますが、残念ながら三年から五年位先になってしまいそうです。

 七人の乗客を乗せた能登号は渤海を出航しました。おそらく能登福浦港を目指したと思います。能登号は能登荒木郷で建造された船でしょうね。余談になりますが、荒木というのは元々は新来から変化した地名です。新羅から来たという意味です。新来から荒来、あるいは荒木になり、現在は富来町になっています。奥能登の入り口に当たり、山を隔てた東側の七尾湾に面しては熊来郷(現中島町)が有ります。因みに熊来は高麗来から変化した地名です。
 能登号は荒木郷で建造されたまあ新羅船ですね、船長の板振鎌束は名前から検証すると、船大工だったのでないでしょうか。

 能登号の水夫たちは恐れと不安を抱いていました。「あの優婆塞は日に米粒を数粒口にするだけで生きている」、優婆塞は仏教僧では無く道士だったのかも知れません。「異国の女を三人も乗せて無事に航海できるだろうか」。
 船師(船長)と水夫の不安と恐れは現実のものとなりました。台風に襲われたのです。能登号は暴風雨に弄ばれるだけで為す術が有りません。水夫達の恐怖は遂に悲劇を産んでしまいました。優婆塞三人の異国の女性、妻の高氏と嬰児と乳母は捕らえられて荒れ狂う海に生贄として擲たれてしまいました。なんという地獄絵図なのでしょうか! 戒融は必死に祈ったに違い有りません。が、祈りは全く通じ無かったのです。戒融は唐土で経験した惨劇を超える悲劇を体験してしまったのです。

 能登号は惨劇を荒海に残して、八月、隠岐に漂着しました。
 こんな分けで能登号は官位を賜り、船師板振鎌束は罪を受けたのです。
 生き残った高内弓、広成親子と戒融のその後は、歴史は何も語っては呉れません。ただ、後年、唐政府から戒融の、渤海政府からは高内弓達の安否を問われたと伝わっていますが、我が政庁がどう答えたかは伝わっていません。

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅵ

2016-11-29 10:15:53 | 物語
六 ニューフジヤホテル

 熱海に来て初めての週末。
 その日、私は大塚から突然呼び出された。ニューフジヤの照明係りが病で倒れた為、助人に駆り出されたのだ。

 三浦芙美子ショーが始まった。ニューフジヤの舞台も客席も広く豪華だ、グレートホテルの客席が畳敷きだったのに較べ、ここのそれはテーブル席で、フランス料理がコースで出た。
 緞帳が上がると、芸者姿の三浦芙美子が板付きで居る。調光ルームからはまるで豆粒のようにしか見えない。その小さな豆粒をアークライトで抜くのだ。メインのライトが芙美子の顔から抜いて、スッと全身に広げて行く。
 日本人の技術は大変なものだ。欧米では、ライトは臍の辺り、丁度人の中心から抜いて行くが、なぜか日本では顔から抜く。中心から抜く方が随分楽だった、ライトを動かさずに羽を均等に広げて行けば良い。較べて、顔から抜くには、ライトを微妙に下方にずらしながら広げなくてはならない。熟練のライトマンのそれはもはや芸術と言っても良いくらいだ。
 メインのライトが芙美子を照らした、その後は私の番だ。芙美子の共演者は下手から登場する。勿論私は素人に近いから、メインのように出来る訳もなく、微かに羽を開いて対象者を待っていた、まあカンニングのようなモノだ。

 ショーが無事に終わり、私はニューフジヤを出た。右肩が軽いやけどでヒリヒリした。アークライトの高熱が、タオルとシャツを通して私の肩を焼いたのだ。
 パラパラと雨が降ってきた。肩に浸みて痛みが増した。増した後快感に変わった。
 大した雨でもなかったので構わずに歩いた。 
 少し歩いたところで、
「鬼太郎! 鬼太郎じゃないか」
 と、呼び止められたので振り返った。
「お前、今こんな所に居るのか」
 ミス東京の芸能課長・飯田さん、そして同僚だった新谷の二人だった。社員と社交の慰安旅行でニューフジヤに泊まっているという。強引に麻雀に誘われて渋々加わった。
 ミス東京時代、週に何度か徹夜で卓を囲んだ大のお得意さんだから仕方が無い。彼らからのご祝儀の方が正規の給料より遙かに多かった。まあ少し返しておいた方がここは無難。と割り切ってついていったのだ。
 
 部屋ではすでに一組が麻雀をしていた。芸能部長と料理長に桜と潮という源氏名のホステスが二人、それがメンバーだ。
 メンバーから外れた者が数人、芸者を相手に酒宴していた。
「まあ一杯」と、チーフの坂井が杯を差し出し、熱海一と云われる芸者の綾香がすかさず杯を満たした。
「この鬼太郎は去年までうちにいたのさ」
 飯田さんが綾香に私を紹介する。
「まあ、粋なお名前持っているのね」
 グッと酒を飲み干した。多分、苦虫を噛み潰したような顔をしていたに違いない。
「似ているだろう? ゲゲゲの鬼太郎に」
「そうかしら?」
「麻雀がプロ級でね、鬼太郎みたいに魔法を使う。・・・ところでいまどうしている?」
 この業界から足を洗うと言って辞めたので、本当の事は言いづらかったが、
「グレートホテルで舞監しています」
「なんだ。じゃあうちを辞めること無かったじゃないか」
 気まずい空気が流れた。
「グレートホテルだったら良く呼ばれるわ」
 綾香が絶妙のタイミングで助け船を出して呉れた。
「何度かお見かけした事が有ります」
「綾香と申します。よろしくお願いします」
「さあ、復讐戦、早速やろうぜ」
 飯田さんが急かすので、新谷と坂井を加えて卓を囲んだ。
 いつの間にか、小桜が私の後ろに座っていた。桜の妹だから小桜、親子ほど歳が離れている、小桜でなく子桜、本当は親子だったのかも知れない。
 麻雀をする時、私は後ろに誰かが座るのを嫌った。いかさまは殆どしない主義だが、万が一の為に、必ず壁際に座る習慣が身にしみていたのだ。
 この夜の麻雀は、最初から負けるつもりだから、誰に見られても構わないのだが、小桜だけは困る。
 
 小桜、去年の夏にミス東京を辞めていたので本名で呼ぼう。笑美子とは少し因縁があった。部屋に入った時、まったく気がつかなかったのは迂闊だ。来るのでは無かった、誰が来ているのか確かめれば良かった。店をやめた笑美子が来ているなんて夢にも思わなかった。
 勝負事というのは不思議なものだ。負けようとすればするほど牌が寄ってきてしまう。結局、最初の半チャンはトップだった。二着が理想で、オーラスまではピッタリとその位置につけていたのだが、トップ目の新谷が勝手に振り込んで、押し出されてトップになってしまったのだ。
 負けた三人が猛烈にファイトをむき出している。私は酒宴のメンバーを見回した。残念ながら麻雀のメンバーは誰もいない。だがその時、ボーイの吉川とホステスの三越が部屋に入ってきた。二人とも大の麻雀好きだ。私はホッと胸をなで下ろした。これで抜け出せる、後はなんとかラスをひけばそれで良い。
 次の半チャンは私が出親で、飯田さんが対面にいる。
 上積に三元牌を一枚置きに積め込んで、サイコロを振る。狙い通り三が出た。偶然ではなく、隅で三を造って中央に置いただけだ。いわゆるオキザイである。この方法で、面倒な修練無しに、賽の目を自在に操れるのだ。
 飯田さんが偶然に五を出した。これで序盤のツモは私の山になるので、飯田さんに緑牌が三枚、中牌が三枚、白牌が二枚行く、しくじらなければ最低小三元は上がるだろう。勢いを付けてやれば、ちょっとトスを上げてやるだけで、間違いなく飯田さんがトップになり、私が狙い通りラスを引けば企みは成功だ。
 出来るだけナキが入らないように慎重に牌を選んで切った。配牌で白が一枚私に来ていたので、後一枚の白を探した。大抵の場合白はガンパイになる確率が高いのだ。最初の半チャンで白のガンを三枚までしっかり憶えたが、後一枚はなかなか見分けられない。この時も見付ける事が出来なかった。
「ポン」
 大きな声で、飯田さんが北家から緑を泣いた。黙っていてもアンコになるのに、これだから素人は困る。仕方が無いので、手に持っていた三万をチイしてツモ順を元に戻した。
 笑美子が変な顔して私を見ているのが分かったが、気にも掛けずにゲームを続けた。
 いつの間にか綾香まで後ろにやって来ているのでやや慌てた。
「綾香さん、麻雀は出来るの?」 
「ほんのお付き合い程度。でも、随分変わった麻雀ね」
「鬼太郎の麻雀はメチャメチャで凡人には理解が出来ない」
 ツモが順調なので、飯田さんの口が滑らかで上機嫌だ。そろそろ天張ったのかも知れない。
「今度教えて戴こうかしら。いくらお付き合いでも、あんなに負けちゃお金が幾らあっても足りゃしないわ」
「止めた方が良いと思うよ。授業料の方が遙かに高くつく」
 無駄口を叩く割に、ツモに異様に力が入っている。テンパイだ。どうせ白と何かのシャボだ、白を切らなければせいぜいハネ満まで。だが、出来れば積もらせるか、他から上がらせたいものだ。
「ローン!」
 不用意に切った私の三万が当たったのだ。
「ヤクマーン! 大・三・元! 鬼太郎、その三万アタリィーッ!」
 私は倒された飯田さんの手牌を呆然と眺めた。中と白が三枚、そして三万の裸単騎待ちだった。
 上がらせる積もりで仕組んだが、こんな単騎に振り込むなんて許せるものか! カッとして熱くなった。むらむらと闘志が沸いてきた。
 次の局、私の序盤の捨て牌はこうだ。
 二ピン・東・西・四ピン・中・東・三ピン
 三ピンはツモ切りに見せながら卓に叩き付けた。これは被った振り、その事を印象づける為の小細工だ。次いで、六万、少し考えて三枚目の北でリーチ。
 あなたならこの手をどう読みますか?
 中級程度の打ち手なら、六万がキー牌だと思い、二五八と四七万が本命、七ピンが六七八か七八九の三色系で対抗、これが麻雀の定石だ。
 プロ級の腕を持っていたら、少なくとも七ピンは無印にする、たとえ当たってもくず手の確率が高い。大物手だったら、二、四と切らずに、四、二と切るからだ。この手は、六万ではなく、三ピンと北がポイントだ。三ピンが手出しなのか被ったのかで、随分読み方が変わる。この場合、手出しなので、配牌で二三四ピンと入っていた確率が高い。現にその時の配牌では一二三四と入っていた。北で考えたのはちょっとしたミスだった。この手は、ずばりチートイツと読むのが正解である。そう読んだ以上、北の地獄待ちで迷ったので、現物以外安全牌は無い。
「こわいねぇ、妖しいよね、前にこんな捨て牌で国士を振り込んだ」
「そんな事有りました? だけど、東が四枚切れていますよ」
 ベタ降りされるのが一番怖い。だから教えた。
 飯田さんは場の東を数えながら、
「ホントだ。国士は無か。・・・しかし、何か妖しげな切り方だね」
 と、慎重に真ん中から三枚右端に移して、その中の一枚、一ピンを切った。
 無言のまま、手牌を倒すや否や、裏ドラを見に行った。裏ドラが二枚、
「リーチ、一発、チートイ、ドラドラ、裏ドラが二つで倍万!」
「嘘だろう、あんこ落としだぜ、畜生ッ!」
 それを機に、猛烈な長打の撃ち合いになった。壮絶なノーガード戦だ。私は本来、打撃戦を得意としていたが、役満のハンデは重く、結局ラスを引いた。お陰でスムーズに卓を離れる事が出来たので、まあ良としなくてはいけない。
「済みません、明日早いものですから。休みの日にゆっくり復讐戦に行きます、又デスマッチしましょう」
「ああ、麻雀はいつでも歓迎するよ。だけど、又うちに帰って来いよ、熱海なんかで燻っていることないだろう」
 大きなお世話だ、と思いながらも、
「有り難う御座います。考えて見ます」
 と、我ながらしおらしい事を言って部屋を出た。

 案の定笑美子がついてきた。偶然なんかじゃない。彼女は私が熱海に居る事を突き止めて会いに来たのだ。いまさら会ってどうするというのか!?
 小走りで追いついて私に並ぶ笑美子。
 構わずに歩を早めた。
「私、私、結婚するかも知れない」
 か細い声で笑美子が囁いて立ち止まった。
 無言でエレベータに乗り込む私。
「申し込まれたの」
 今にも泣きそうな顔で笑美子が言い、縋るように私を見続けた。
 私は聞こえていない振りをしてドアを閉めた。この時の笑美子の顔を私は一生忘れる事が出来ないだろう。出逢った頃の笑美子は、名前のように、笑顔の美しい娘だった。ころころと無邪気に良く笑う明るい娘だった。笑美子から笑顔を奪ったのは何を隠そうこの私なのだ。
 外では激しい雨が降っていた。
 電柱の陰に黒メガネの男が居たので近付いていった。
 タバコをくわえて、
「火、有りませんか?」
 と言った。
 男は無言のまま、ライターでタバコに火をつけて呉れた。
 軽く会釈をして、ホテルのタワーを見上げた。見上げた途端、タバコの火が土砂降りの雨で燻って消えた。
 ニコチンが口に流れ込んで来た。口が曲がるほど苦々しい味と臭いだ。
 客室の窓辺に佇む女性の影が見えた。
 笑美子が私を見続けているのだろうか?
 結婚するかも知れない。どうして女は皆、同じ言葉を言うのだろう。「止めろよ」と言わせて見たいだけなのだ。言えば、哀しいまでに幸福感を味わって、そのあげく、結局結婚するのだ。悲劇のヒロインを演じて見たいだけなのだ。
 だが、一度は愛を感じた女なのだから、それ位の事は言っても罰は当たらない。まして笑美子の場合、不幸にしたのは私なのだ。せめてもの罪滅ぼしに、たった一言、言ってあげるべきなのだ。笑美子の為で無く、自分自身の為にもそうすべきだった。
 喉から胃の中まで耐え難いほど苦々しく、激しい嘔吐が私を襲う。右肩が焼け付くように痛んだ。だが、一番痛んでいたのは、傷ついていたのは私の哀れな心だった。
 貴様など滅んでしまえ! この世から消えるがいい! 死んでしまうがいい! 私はこの時ほど己を呪い、嘔吐を憶える程おぞましく思った事は無い。
  2016年11月29日  Gorou

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅴ

2016-11-29 10:08:19 | 物語
五 太公望

 胡蝶一座の稽古は、朝十時からの二時間ばかりと、午後二時から夕方までの四時間だった。稽古は順調に進み、週末を待たずにほぼ完成した。
 この日も午後の稽古を見に行こうとした時、キッチンの隅で釣り竿を見付けた。
 私は稽古はやめにして、桟橋で釣り糸を垂れる事にした。もはや、稽古で私がすることなど何もないのだ。
 晴れ渡る青空に、紺碧の海、まだ二月だというのにポカポカと春のようだった。

 釣り糸を垂れながら、一応ウキの辺りを眺めてみる。実は、ウキなど見る必要はまったく無いのだ。私の針には餌が付けてないのだから。魚を釣るのではなく、釣りそのものが目的なので餌など必要無い。
 小さい頃からこんな具合にして釣りを愉しむのが好きだった。とてつもなく贅沢な趣味、と私は自認している。実際、こうして海面を眺めやっていると、不思議に心が落ち着き、様々な想念が沸いて来る。
 小魚が海面付近に群れて遊び、春の陽に照らされてキラキラと煌めいている。
 私は海面を心の鏡にして、ミズエを想った。記憶が甦り、私の想念と混じって、その鏡に像を結んだ。ミズエが微笑んでいる。その微笑みが水面に揺れて散った。
 ミズエの面影が、小魚の群の集散とともに、現れたり消えたりするのだ。
 ミズエが現れ、また消えた。再び現れたかと思うと、それはコズエだった。いつの間にかコズエが私の傍らに佇んでいたのだ。
「鬼太郎は釣りが下手ネ。一時間以上経っているわ」
 ミニスカートのコズエが私の左に座った。
「私、手伝ってあげる。きっと釣れるわ」
「それは無理だろう?」
「大丈夫、まかせて」
 海面に向かって垂れるコズエのサンダルが外れそうだ。だが決して落ちなかった。まるで体の一部のように、際どくも足と繋がっているのだ。
「ずっと見ていたの?」
「まさか、あたしじゃないわ」
 その時、奇跡が起きた。
 餌のない釣り竿で、魚がつれたのだ。
 ほんの数メートルしか離れていない所で、ミズエが立って私を見つめていたのだ。
「お早う。・・・稽古は終ったの?」
 ミズエに声を掛けたのだが、
「午後の稽古、今日は休みになったの」 
 コズエが答えた。
 サブリナパンツのミズエ、今日は髪を編み込んで頭の上で束ねている。そんなミズエが躊躇いながらも、おずおずと近付いて来る。
 私は下駄を揃えてミズエの足下に置いた。
「座ったら?」
「有り難う」
 歌と台詞以外でミズエの言葉を聞いたのはそれが初めてだった。
「岸壁に座るのなんてミズエには無理かも」
「どうして?」
「水が怖いの。私たち全然泳げないの」
「コズエは怖くないの?」
「わたしは平気、怖いものなんかないわ。沢山人もいるし」
 コズエが私を覗き込んだ。
「喜太郎泳げるのでしょ」
「ああ、そこそこ、にはね」
コズエがミズエを振り返って言った。
「大丈夫。落ちたって喜太郎が助けて呉れるわ」
 迷っていたミズエが私の右隣にそっと腰を掛けた。そよ風が私の右頬を掠め、梅の花の香りが漂った。まるで佐保神のような、なんて爽やかな娘なのだろう。
 私は、珍しくも長い髪を束ねたミズエの項を見つめた。が、有るかもしれないと期待していたホクロは見当たらなかった。
 ミズエの頬が微かに膨らんで、唇が僅かに開こうとしている。何か私に言いたいのだろうか?
 私はミズエの言葉を待ち望んだ。
「釣れたらいいネ。きっと釣れる。私が祈ってあげるから」
 こう言って、コズエが海中のウキの先を凝視している。
「ムリムリ、餌なんかついてないのだから」
 ミズエの耳元でそっと囁くと、ミズエが驚いたように私を見つめ、コズエはムキになって、更に海を凝視し、何やら呪文を唱えた。
 私はミズエの顔を覗き込むようにして微笑みかけた。
「ホント?・・・本当に餌がついていないの?」
「ホントさ」
「でも、引いているわ。ホラ!」
 ミズエの指さす先でウキがピクピクと動いている。
 慌てて竿をあげると、小さな小生意気なフグが針に掛かっていた。
 指で軽く腹を弾くと、プーッと体が膨らんだ。
「まるで、コズエちゃんみたいだネ」
 クスッと笑ったミズエが大きく頷いた。
「かわいそうだから今度だけは許してあげよう」
 と言ってフグを海に放すと、今度は、フグに例えられたコズエの頬がプーッと膨らみ、私から視線を外した。その項にホクロが三つ、まるで梅の花のように息づいていた。

 その後二人は私のアパートについてきた。
 自慢のオーディオセットの正面に座ったミズエが、マッキントッシュ(オーディオアンプ)のエメラルドグリーンのロゴに魅入っている。
 コズエは立ったまま、遠慮なく部屋中を見回している。
 コズエの視線が隅のバイオリンケースの上に止まった。
「鬼太郎のバイオリンが聴きたい」
「中は空っぽ。・・・ただの飾りさ」
「お願いだから聴かせてよ」
「本当に弾けない」
 コズエの目がキラリト光った。意味ありげに微笑んでいる。
 私はコズエを無視して、バド・パウエルの『クレオパトラの夢』を選んでターンテーブルに乗せた。エアダスターで埃を吹き飛ばし、静電気を除去した後、鹿皮のクロスで丹念に拭い、アームを盤に運ぶ。いい音で聞くための儀式のようなものだ。
 軽快にスイングするパウエルのピアノが飛び出して来た。
 やっとコズエが腰を下ろし、ミズエを少し端に追いやって、私がミズエの為に用意した特等席を独占した。
 バド・パウエルのクレオパトラの夢を聴きながら、
「パウエルは凄いパラノイア、偏執病に掛かっていて、躁の時と、鬱の時の差が酷かった人でね、黒人プレーヤーとしては当然のように麻薬に溺れた。好不調が激しくて、このレコードを吹き込んだ時も酷い状態だったと言われている。だから、ミスタッチがかなり目立つ」
 コズエもミズエも良い耳を持っていた。私の解説に見事に反応した。正直私には良く聞き分ける事が出来なかったのに、ミスタッチを殆ど見つけては顔を見合わせて頷き合っている。
「そんなモノを跳ね返すような、唸るような熱演で、パウエルで一番好きだな、この演奏」
 二人とも初めて聴くジャズの、それも飛び切りの名演にかなり興奮していた。
 この姉妹のように、耳が良く、感性の豊かなリスナーを手に入れるなんて、オトキチ冥利に尽きるというものだ。
 私は次々と秘蔵の愛盤を掛け替え、二人は夢中になって聴いてくれた。
 そして今、グレン・グールドのバッハを聴かせているところだ。

 この日から、ミズエもコズエも、たびたび私のアパートに入り浸った。
 それは良いのだが、意外な付録、小道具係りの健一という若者まで仲間に加わって来たのは余り有り難く無かった。健一は漁師の息子だがグレートホテルでアルバイトをしていた。いつもジーパンに半袖のТシャツ、真冬でもペラペラのジャンパーを羽織るだけだったらしい。
コズエと健一は出来ていた。というより、コズエが健一を子分か家来のように従えている、つまりバシリと言った方が正しいのかも知れない。
  2016年11月29日    Gorou