アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

記憶の旅 五 氷のようなユキコ

2018-04-02 17:32:59 | 物語
 
五 氷のようなユキコ

 いざ行かん、記憶の旅へ。我に続け。

 娘はピンクのコートを翻して坂を上っていく。
 まるでミュージカルのような軽快なステップを踏んでいた。
 ピンクのハイヒール、ピンクのトートバッグ、ピンクのドレスの胸から桜花が舞い上がった。
 僕は不自由な左足を励ましながら、懸命に娘の後を追った。
「おじさん、お茶しない?」
「お兄さん、遊ばない?」
 ユキコと名乗った若い娘は、まるで年増の街娼のごとくすれ違う男に声をかけた。
 一人の青年が反応すると、・・・
「ごめんごめん。今日は駄目なの。また今度ね」

 僕は『ドナウ』という名のラブホテルのエントランスで戸惑っていた。
 娘が僕を振り返って微笑んだ。
「どうしたの? 処女じゃ有るまいし」
 まさか、僕は金の心配をしているのだ、そっと札を数えると六枚有った。休憩だったら十分だ、だが僕の一月の小遣いの六割だ。僕たち池袋センターの入寮者は区が支給してくれる保護費の九割以上を搾取されていた。まったく酷い話だ。
 戸惑う僕を置き去りにして、娘はさっさとフロントで会計を済まして奥に消えた。
 僕が急いで後を追うと。
 娘はエレベータを止めて待っていた。

 雪のような白い肌を持った女、ユキコは氷のような透き通った身体の持ち主だった。
 暖房全開のその部屋のベッドでは心地よかった。ほとばしる汗がスーッと引いていく。
 氷のような身体。だがその中は蕩けるように熱かった。
 そして娘の白い肌が薄紅色に紅潮してゆく。紅潮するほどに甘い芳香が漂ってくる。香水では無かった。たぶん香木だ、伽羅か栴檀に違いない。
 年から(どう見ても二十歳前後に見えた)すると、李の筈が熟れた白桃のように、その蜜が僕を蕩かして行く。
「アアーッ!」
 悩ましくもあえぐ娘。
 僕は限界だった。
「ダメ! まだよ」
 娘の上で動きを止めて堪える僕は大きく深呼吸をした。
 娘は妖しく微笑みながら僕の首に腕を絡ませて引き寄せ、僕の両手を自分の喉に誘った。
 娘の唇が迫って来た。そして耳元で魔女のように囁いた。
「殺して。私を殺して」
 僕は驚いて娘を凝視した。
「お願い、殺して。お願い、違う! 命令よ」
 僕は命じるままに両手に力を込めて娘の喉を締め上げた。
 咽ぶ娘、その顔から血の気が引いて蒼白になっていく。
 狼狽えた僕は、娘の首から手を離した。
 ぐったりとしてピクリとも動かない娘。ああ! 僕は娘を殺してしまったのだろうか?!
 僕は頭を抱えて踞った。
 嗚咽に咽ぶ僕。その頭を誰かか撫でた。
 顔を上げると、娘が僕を見詰めていた。
「どうしたの? 泣きたければ好きなだけ泣くといいわ」
 そして、桜の木の下の魔女が如くに微笑んだ。

 今、娘は軽い寝息をたて、スヤスヤと眠っていた。
 僕は、その傍らで身支度を調えていた。急がなくては退寮になってしまう。
「ユキコさん」
 僕は娘に声をかけた。
 寝返りを打って僕を見る娘。今度は童女のような無邪気な微笑みを送って来た。
「もう行かなくては」
「あら、そう。もっと愉しみましょうよ」
「今日は時間が無いんだ。また、会えるよね?」
「さあ」
 僕はサイドテーブルからメモを取り上げ、携帯の番号を走り書きして娘に差し出した。
「そんなものいらない」
「お願いだ。色々話が聞きたいんだ」
「だったら大丈夫。・・・私は何時だってあなたの中にいるわ」

 なんとか五時前にセンターに帰り着けた。
 僕は、心配していたみんなの眼を避けるようにして下段の住み処に潜り込んだ。
 夕飯を食べないで寝ようとしたが、ダメだった。
 どうしても眠れない。睡眠導入剤を喉に流し込んだが、無駄な抵抗だった。
 いくら考えてもあの娘の記憶が蘇らなかった。
 僕が十年前の三十五の時に知り合ったとしたら。娘は十かそこらの小娘だ。あり得ないと思った。もしかしたら、丸山さんのように僕にも童女嗜好が潜在していたのかも知れない。
 違う! 雪のようなユキコ、氷のようなユキコ。君は本当に実在しているのか?
 ユキコ、ユキコ、ユキコ。その顔と微笑みが僕の中で木霊していく。
 
 この夜も夢を見た。
 長い長い白い砂浜の長い長いベンチ。僕はそこに座って夜の海と星々を見ていた。
 傍らでは二十歳を過ぎたばかりの若い娘が僕によりかかつていた。かすかな寝息を立てている。その肌は雪のように美しく、氷のように透き通っている。抱きしめると崩れ落ちてしまいそうだ。そっと抱きしめるだけで、夏の熱帯夜では心地よかった。 微かに動く気配に、僕はその娘を見た。
 美しい唇が僕の顔に近づいて来た。
 口吻を迫っているのかと思ったら、僕の口を通り過ぎて耳元に来た。
「わたし、知っているのよ」
 魔女のように不気味な声で囁いた。
「あんたは私を殺した」

   GOROU
2018年3月19日

   


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