五
2010年二月末に真は名古屋に行ってある人物のアリバイを探った。
その人物は、1999年三月二十六日から三十日まで名古屋Aホテルに仕事で滞
在していた。二十八日昼過ぎまでのアリバイと二十九日早朝から帰京するまで
のアリバイは完璧だった。
真は彼が新幹線を使わずレンタカーを使って、東京への往復に使ったとみて
調べた。
結果は真の見込み通りだった。帰りの途中、どこかの山中でマリアの衣服と
所持品を焼くか埋めたと推定出来た。その事は、マリアの存在を消そうとして
いた当局に協力する事に成ってしまった。
真はその男が真犯人だと確信した。彼は東大を優秀な成績で卒業し、弁護士事
務所に七年勤務した後裁判官に抜擢されていた。
2010年三月から真は横浜刑務所に服役した。
T電力殺人事件無期懲役でネスタも服役していて、彼と真は直ぐに親しくな
った、作業が同じノックダウン式家具の製造だったからだ。勿論吉溝の企み
だ。
休憩時にも大抵は一緒に過ごした。ネスタはかなり日本語をマスターしてお
り、会話に不自由は無かった。
「吉川さん、俺は無実です。ネパールでは言われています。真実は必ず勝
つ!」
何度聞いたか分からない。ネスタに限らず服役囚は誰もが無実だと言う。晴
れて出所出来る日を憧れていたのだ。
「吉川さんは何をしてここに来た?」
「殺人だ」
「殺し? 誰ですか? 勿論無実でしょう?」
「刑事を射殺した。俺は黒だ。何年服役しても、死刑になっても。償う事など
出来ない」
その時の真の顔が鬼気迫り、懺悔の後悔で溢れていたので、ネスタは暫く距
離を置いた。
半年間、真はネスタを観察し、色々と聞き出した。結論は、矢張り殺人では
白。だが、強姦と強盗では限りなく黒に近いグレーだった。
一応吉溝に報告した。電話と言うわけにも行かないので、極秘裏に桜田門に
呼ばれた。
吉溝は大きな個室で踏ん反り返っていた。
「元気そうで何よりだ。まあ座れ」
真がソファーに座ると、吉溝が前に腰を下ろした。
「それで」
「奴は殺していない。だが強姦して金を盗んだ」
「そうか」
あっさりと言う吉溝、その後黙り続けた・
「なんだよ、それだけか? 真犯人が居るって事だぞ!」
「ああ分かっている。だがな真、結局あの事件はお蔵入りって事だ」
「手掛かりは俺が掴んだ」
女性警官がお茶を持ってきて二人の前に置き、又出て行った。
その間二人は、まるで敵同士のように睨み合って居た。
彼女が部屋から消えるのを確認した吉溝が口を切った。
「忘れたのか。お前の名は吉川真。刑事じゃ無い、大昔の事件の捜査をする権
利も義務も無い」
「お前が都合良く作り上げた虚構だ。俺は絶対に諦めない」
「一市民のお前が証明出来ると思っているのか? 証拠だって何も見つかりゃ
しない。・・・真、あの事件は終わったんだ。誰も真実なんか望んでいない」
現実を突きつけられた真は痛いほどの敗北感を味わった。何処で歯車が狂っ
たのか悔しかった。「俺は諦めない、絶対に」。真は堅く決意した。
その頃、ネスタの冤罪審議は時間の問題になっていた。弁護団は現場アパー
トで複数のDNAが採取されていた事を探り当て、ネバールに飛んで同居人だ
った二人のアリバイ証言を取って来ていた。その二つが決め手になった。
こうしてネスタの再審が決定された。
たった一つの真実。ネスタにとってのたった一つの真実、紗智子を殺害して
いないという真実は法によって守られようとしている。
同年十一月十七日。
横浜刑務所十三工場の受刑者80名が昼食を摂っている。黙々とカツカレー
を食べているネスタ。
受刑者全員の視線がネスタに注がれている。
昼食を食べ終わるネスタ。
受刑者の一人がネスタに拍手を送る。一人、また一人と拍手は増殖され、瞬
く間に、ネスタは拍手と歓声に包まれてしまう。全ての受刑者にとってネスタ
が冤罪を晴らし、無実を勝ち取ったという真実は希望であり夢だったのだ。ネスタ
は英雄だった。が、誰もが限りなく黒に近いグレーだとも思っていた。
一人の刑務官が規律違反を敢えて無視してクルリと体を壁のほうに向けた。
そして、それは悪質な伝染病のように蔓延して、全ての刑務官が壁のほうに向
いた。
ゆっくりと立ち上がるネスタ、肉体と精神の心底、魂の根源から愉悦が噴き
あがり、顔が興奮で真っ赤になってきた。
「真実は必ず勝つ」とつぶやくネスタ。
更に激しいまでに大きくなる拍手と歓声の中で、ネスタは堪らず右拳を突き
上げて叫んだ。
「真実は必ず勝つ! !
ネスタは即日釈放された。
ネスタの、加藤紗智子を殺害しなかったという、たった一つの真実は守られ
たが、紗智子に対する殺意と強盗、強姦、そして紗智子を死に至らしめたもう
一人の男の殺人は永遠の闇の中に葬り去られてしまった。永遠の真実など在りは
しなかったのだ。
2017年1月3日 Gorou
2010年二月末に真は名古屋に行ってある人物のアリバイを探った。
その人物は、1999年三月二十六日から三十日まで名古屋Aホテルに仕事で滞
在していた。二十八日昼過ぎまでのアリバイと二十九日早朝から帰京するまで
のアリバイは完璧だった。
真は彼が新幹線を使わずレンタカーを使って、東京への往復に使ったとみて
調べた。
結果は真の見込み通りだった。帰りの途中、どこかの山中でマリアの衣服と
所持品を焼くか埋めたと推定出来た。その事は、マリアの存在を消そうとして
いた当局に協力する事に成ってしまった。
真はその男が真犯人だと確信した。彼は東大を優秀な成績で卒業し、弁護士事
務所に七年勤務した後裁判官に抜擢されていた。
2010年三月から真は横浜刑務所に服役した。
T電力殺人事件無期懲役でネスタも服役していて、彼と真は直ぐに親しくな
った、作業が同じノックダウン式家具の製造だったからだ。勿論吉溝の企み
だ。
休憩時にも大抵は一緒に過ごした。ネスタはかなり日本語をマスターしてお
り、会話に不自由は無かった。
「吉川さん、俺は無実です。ネパールでは言われています。真実は必ず勝
つ!」
何度聞いたか分からない。ネスタに限らず服役囚は誰もが無実だと言う。晴
れて出所出来る日を憧れていたのだ。
「吉川さんは何をしてここに来た?」
「殺人だ」
「殺し? 誰ですか? 勿論無実でしょう?」
「刑事を射殺した。俺は黒だ。何年服役しても、死刑になっても。償う事など
出来ない」
その時の真の顔が鬼気迫り、懺悔の後悔で溢れていたので、ネスタは暫く距
離を置いた。
半年間、真はネスタを観察し、色々と聞き出した。結論は、矢張り殺人では
白。だが、強姦と強盗では限りなく黒に近いグレーだった。
一応吉溝に報告した。電話と言うわけにも行かないので、極秘裏に桜田門に
呼ばれた。
吉溝は大きな個室で踏ん反り返っていた。
「元気そうで何よりだ。まあ座れ」
真がソファーに座ると、吉溝が前に腰を下ろした。
「それで」
「奴は殺していない。だが強姦して金を盗んだ」
「そうか」
あっさりと言う吉溝、その後黙り続けた・
「なんだよ、それだけか? 真犯人が居るって事だぞ!」
「ああ分かっている。だがな真、結局あの事件はお蔵入りって事だ」
「手掛かりは俺が掴んだ」
女性警官がお茶を持ってきて二人の前に置き、又出て行った。
その間二人は、まるで敵同士のように睨み合って居た。
彼女が部屋から消えるのを確認した吉溝が口を切った。
「忘れたのか。お前の名は吉川真。刑事じゃ無い、大昔の事件の捜査をする権
利も義務も無い」
「お前が都合良く作り上げた虚構だ。俺は絶対に諦めない」
「一市民のお前が証明出来ると思っているのか? 証拠だって何も見つかりゃ
しない。・・・真、あの事件は終わったんだ。誰も真実なんか望んでいない」
現実を突きつけられた真は痛いほどの敗北感を味わった。何処で歯車が狂っ
たのか悔しかった。「俺は諦めない、絶対に」。真は堅く決意した。
その頃、ネスタの冤罪審議は時間の問題になっていた。弁護団は現場アパー
トで複数のDNAが採取されていた事を探り当て、ネバールに飛んで同居人だ
った二人のアリバイ証言を取って来ていた。その二つが決め手になった。
こうしてネスタの再審が決定された。
たった一つの真実。ネスタにとってのたった一つの真実、紗智子を殺害して
いないという真実は法によって守られようとしている。
同年十一月十七日。
横浜刑務所十三工場の受刑者80名が昼食を摂っている。黙々とカツカレー
を食べているネスタ。
受刑者全員の視線がネスタに注がれている。
昼食を食べ終わるネスタ。
受刑者の一人がネスタに拍手を送る。一人、また一人と拍手は増殖され、瞬
く間に、ネスタは拍手と歓声に包まれてしまう。全ての受刑者にとってネスタ
が冤罪を晴らし、無実を勝ち取ったという真実は希望であり夢だったのだ。ネスタ
は英雄だった。が、誰もが限りなく黒に近いグレーだとも思っていた。
一人の刑務官が規律違反を敢えて無視してクルリと体を壁のほうに向けた。
そして、それは悪質な伝染病のように蔓延して、全ての刑務官が壁のほうに向
いた。
ゆっくりと立ち上がるネスタ、肉体と精神の心底、魂の根源から愉悦が噴き
あがり、顔が興奮で真っ赤になってきた。
「真実は必ず勝つ」とつぶやくネスタ。
更に激しいまでに大きくなる拍手と歓声の中で、ネスタは堪らず右拳を突き
上げて叫んだ。
「真実は必ず勝つ! !
ネスタは即日釈放された。
ネスタの、加藤紗智子を殺害しなかったという、たった一つの真実は守られ
たが、紗智子に対する殺意と強盗、強姦、そして紗智子を死に至らしめたもう
一人の男の殺人は永遠の闇の中に葬り去られてしまった。永遠の真実など在りは
しなかったのだ。
2017年1月3日 Gorou