アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

カズオイシグロさん、お目出度う

2017-10-06 08:02:09 | 文化
 私が公言していた通り、今年のノーベル文学賞はカズオイシグロが受賞しました。
 お目出度う御座います。
 親友の村上春樹氏はまたも残念!
 カズオイシグロの代表作の一つ、【私を離さないで】は、春樹氏がイシグロ氏に送ったジャズのカセットがきっかけでした。
 カズオイシグロは中の一曲、ネバー・レット・ミー・アゴーにインスパイアされて私を離さないでを書いたのです。
 私のお気に入りのイシグロ作品は、日の名残、私を離さないで、上海の伯爵夫人(原案と脚本)です。
 因みに私を離さないでは映画化とドラマ化されました。映画は佳作でしたがドラマは完全に失敗作でした。カズオイシグロ作品は英語でのみ理解されるので、和訳や日本ドラマは難しいようですね?!
 最新作の忘れられた巨人、早速取り寄せて読むつもりです。映画化もされたようですので楽しみにしています。
 読後改めてブログを書く予定ですので、宜しくお願い致します。
    2017年10月6日      Gorou

Some day 君たちの夢は叶う

2017-07-27 06:05:33 | 文化
小さな子供達の目はこんなにキラキラと輝くんだ!
 * Some day 君たちの夢は叶う
 私は小さなプログラマー達に心の声で語りかけていた。
 先日、 清瀬第三小学校で実施された小学生向けの能力啓発課外授業での教室。
「先生。うちの子、少し席を外していたので、他の子達に追いつかせて下さい」
 その子の母親が祈るように私を見詰めた。
 私はその子のモニターを見詰めた。
 ポインターが彷徨っていた。
 私は先生でも講師でも無い、ただのオブザーバーとしてその教室にいた。
 この場合、黙って見守るのが正解だ。だが、母親の祈りについ負けた。
 そっと、その子の手を行くべき場所に導いた。
 すかさずクリックする、次のステージでまた迷っている。
 私は指でモニターのその地点を指さした。又クリック、数字遊びの扉が開かれた。
 たった二つのクリックでその子は仲間達に追いついた。
 少し後悔した。私の手助けなど必要無いのだ。きっと、その子は仲間達が独力で辿り着いたように、数字遊びに行き着けた筈だ。
 
 私は、これ以上余計な事をしないように、大人達(先生、講師、PTA)の後ろに隠れて子供達を見守った。
 彼等は夢中になって数字遊びをしている。

 パソコンって? キーボードは? マウスは?
 そんな情報は彼等に必要無い。直感的に何をすれば、目の前のゲームで遊べるかを知っているのだ。
 まず興味を持たせ、遊ばせる。
 パソコンについての情報は他の機会に伝えればいい。

 最後に、子供達に感想が聞かれた。
「面白かったです」
「いつも遊んでいるゲームがプログラムされている事を知りました」
「プログラマーになりたいと思いました」
* 君達はもう立派なプログラマーだ。

 この日出会った百名程の子供達、その向こうでは無数の子供達が目を輝かせている。
 君達は刻の流れと共に、無数の出会いを経験する。そして、プログラマー、スポーツ、学者、夢は目まぐるしく変わるかも知れない。
 それが何であれ。
 Some day、それはきっと叶う。

     2017年7月27日 Gorou

後書きに代えて(三界の夢)

2017-02-28 14:52:37 | 文化
 三界の夢の主役の内に、一人だけ実在していた可能性が高い人物がいます。
 弟の明智光晴です。彼は良く明智秀満と混同為れますが、おそらく同一人物と
思われます。
 史料では秀満として書かれている事が圧倒的ですから、この先は秀満と表記
する事をお許し下さい。
 
 明智秀満は坂本城の落城で戦死したと伝わっていますが、かれには一つの挿
話が残されています。
 坂本城を逃れた秀満は四国に渡って、土佐で坂本と性を代えて鄕士になった
という伝説です。
 その坂本氏の子孫が、・・・もうお分かりですよね。
 そうです、幕末の風雲児・坂本龍馬です。
     2017年2月28日    Gorou

戦国三大武将の役割

2017-02-10 18:48:39 | 文化
 ここでの三大武将は、武田信玄、上杉謙信、織田信長です。
 信玄は足利幕府生粋の名家の生まれで、もし上洛を果たしていたても、足利
将軍を廃したとは考えられません。武田家は源氏ですから、征夷大将軍の資格
は持っていました。
 武田信玄は戦では無類の強さを発揮する軍勢を持っていましたが、天下の政
治をするには決定的な欠陥を持っていました。
 譜代の大名は意外に少なく、殆ど戦国を生き抜く為に信玄に従っていただけ
でした。
 
 上杉謙信。
 上杉家というのは関東管領という思い役目を担っていましたが、優れた人財
が出ないで滅亡目前でしたが、越後の虎と怖れられていた長尾景虎に上杉の家
名と関東管領の役目を、願って継いで貰いました。
 上杉謙信の誕生です。謙信は生涯で何度も名を変えていますので、とても説
明が難しいのです。
 謙信は、そんな分けで足利幕府に如何ほどの忠誠心を持っていたのかは良く
分かりません。
 将軍家からの度々の上洛を請われたにかかわらず、二度ほど数名の家来を率
いて京を訪れただけで、まあ物見遊山でもする気だったのかも知れません。
 最大の脅威、武田家が滅亡した時にも、大規模な上洛軍を編成する気配を見
せません。関東に出兵したり、越前の柴田勝家を攻めたり、七尾城を包囲した
りと、忙しく戦働きをしていましたが、謙信の本音は何処からも見えてきませ
ん。因みに、越前攻めの時、織田の鉄砲部隊を破っています。雨を待ち、森林戦
に持ち込んだのです。鉄砲隊が当時持っていたのは火縄銃で、雨に弱く、大平
原での真っ向勝負の戦では絶大の威力を発揮します。大体、鉄砲より弓の方が
破壊力が有ったという説を聞いたことが有ります。
 謙信の上洛の意思は、突然の死去で謎に包まれたまま消えてしまいました。

 織田信長。
 信玄と謙信とは、比べようも無い田舎の小大名の出です。
 信長の尾張兵は評判の戦下手で、すぐに負けて散ってしまうのです。
 信長は政策で乗り切ります。兵農分離ですね。尾張兵は一年中出撃可能にな
りました。また、楽市楽座を奨励して経済を発展させ、鉄砲などの兵器も充実
させます。
 人材を見分ける能力に長けています。明智光秀、羽柴秀吉、黒田官兵衛、竹
中半兵衛、一人一人挙げては切りの無い程の優れた武将を登用しました。
 信長が一番買っていた武将は誰かというと。羽柴秀吉と明智光秀です。秀吉
はおだてて使い、光秀は叱って使いました。
 また、信長は大変嫉妬深く執念深い性格でした。が、その武将が役に立って
いる時は、素知らぬ顔で使い続け、能力の限界を見せた時は、即座に追放した
り処刑したのでした。
 かって、弟を立てた謀反の後ろ盾だった柴田勝家も我慢して重用していま
す。織田家の筆頭家老を廃した場合のデメリットを懸念しています。勝家には
妹を嫁がせてもいます。
 信長は念願の天下布武を成し遂げますが、本当の日本統一は次代の武将に引き継がれました。
 明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康の三人です。
 因みに、明智光秀か源氏、豊臣秀吉は藤原家の養子を手に入れて太上大臣に
なる資格を得ました。徳川家康の出自は明かでは有りませんが、平家とか藤原
氏とか自称していましたが、有るとき源氏を名乗ります。征夷大将軍の資格が
欲しかったに違いありません。