急の章
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る
額田王に袖を振っているのは大海人皇子です。二人はかって夫婦でした。
子ももうけています。が、その時には額田王は兄の中大兄皇子(天智天皇)の夫人でした。
大海人皇子(天武天皇)は返歌を詠んでいます。
紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも
弘嗣が太刀を翳したのも、仲麻呂が盗み見したのも、阿部への求愛だったに違いありません。
やがて皇太子になり、天皇にも成ろうという阿部に恋も結婚も無縁のものでした。女性が未婚のまま皇太子に、そして天皇になったら、夫も子も持てなかったのです。
薬狩りの翌天平九年(737)、未曾有の災禍が平城を襲った。
太宰府を訪れた新羅使者が持ち込んだと思える赤疱瘡が大流行したのです。
平城で暮らす衆生を始め、公家達も次々に犯されて行きました。
4月、参議藤原房前(57・参議)が薨去。
7月、藤原麻呂(43・参議)と藤原武智麻呂(58・右大臣)が薨去。
8月、藤原宇合(44・参議)が薨去。
なんと、権勢を欲しいままにしていた、藤原四兄弟の全てが死んだのです。
赤疱瘡は宮城の中までは侵入して来ませんでした。
東宮御所の回廊で、愛菜が皇太子に縋り付いて哀訴しています。
「お願いで御座います。母が赤疱瘡に犯されました」
「この東宮に居れば安全です。嵐の中にあなたを放り出す分けにはいきませぬ」
歩き出す皇太子を追って更に縋る愛菜、その顔は涙でグシャグシャになっています。
由利が駆けつけて愛菜を抱きしめます。
「愛菜、梓の大将が東征中ですが、兄の内弓殿が館にいるでは有りませんか」
鳴き崩れる愛菜を抱き起こし、耳元で囁く由利。
「殿下はあなたが可愛いから、その身を案じているのですよ」
立ち止まる皇太子、愛菜と、抱きしめている由利を見詰めた。
「高家には、母上の施薬院から人を走らせました。眞備に命じて、李密翳(ラームヤール)も向かわせて治療に当たらせます。彼の物は赤疱瘡に精通しているそうです。皇居に疫病が入って来ないのは、李密翳の処置が正しいからです」
皇太子はその場で正座して、平城の街の方を望んで合掌しました。
「私たちが出来るのは、ただこうして祈って仏に縋るだけです」
皇太子を中心として、一団の采女と女孺が合掌し、瞑想して経を唱えた。
方々から僧侶達の読経の唱名が聞こえて来た。
この時、平城では、宮城でも市街でも、あらゆる寺院から疫病退散と死者を弔う読経が漂っていた。
梓の夫人は高志の薫子といい、行基の姪に当たりました。高梓の高家は高志から分かれた家でしたから、梓自身も行基と遠縁に当たっています。
薫子は幼い時に痲疹を患い、顔に目立つ程のあばたが有ったため、梓との結婚式に現れたのは妹の文子だった。
梓は幼い日々をこの姉妹と過ごした為、妹文子の夢も知っていた。文子は伯父行基の元で出家する事を強く望んでいた。
更に、梓は姿容だけでなく心の美しい姉薫子を愛していたので、文子との婚儀を白紙にして薫子と夫婦となった。
その薫子が病室で赤疱瘡で臥せっていた。
「内弓、そこからは入っては成りませぬ」
内弓は、病室に続く廊下に座っていたが。母の弱々しくも強い言葉で膝を膝を進める事が出来なかった。
「この家には、わたくしの他にも沢山の病人が居ります」
侍女が粥と薬湯を持って薫子の傍らに侍り、助けて半身を起こさせて、匙で粥をすすらせた。
薫子は皆吐きだしてしまった。
次ぎに薬湯を飲ませようとする侍女を薫子が制止した。
薫子が内弓を見詰めた。
「母上、どうかわたくしと共に興福寺の施薬院か生駒仙坊に行って下さい」
「内弓、わたくしにそんな力は残って居ません」
内弓は目を疑った、美しかった母の顔が、痘痕と疱瘡の区別がつかない程膿疱で酷くなっていた。
「生駒仙坊の叔母、春光尼(文子)を頼りなさい。お薬や食べ物を貰って来なさい」
「母上・・・」
無理に微笑む薫子。
「わたくしは、あなたが帰るまで死にませぬ」
薫子は心の中で生きたいと望んでいた。夫梓の凱旋を、女孺となった愛菜に一目で良いから会いたいと切望していた。
「だから早く行きなさい」
「はい、母上」
内弓は涙を拭いながら立ち上がった。
馬を三条大路に走らせると、まるで地獄さながらの様相だった。
方々の寺院から読経が轟き、あちらこちらから荼毘の炎が上がっていた。
この時代、土葬が政令で定められていたが、赤疱瘡の蔓延を防ぐために死人を火葬にしているのだ。
日本で最初の火葬は奇しくも行基の師・道昭であった。西暦七百年、七十二才で亡くなった道昭の遺志で荼毘に付された。行基も義淵もそれを見ていた。
三条大路にの道端に沢山の病人が倒れ、多数の死人が転がっていた。
その地獄絵図の中で、行基教団の僧侶達が、十人程が一隊となって走り回っていた。
「生で物を食べては成らぬぞ! 薬は生駒仙坊と施薬院の物の他は服用してはいけません」
僧侶達は口々に叫んでいた。
二人の僧侶が薬と韮や葱を満載した荷車を引いていた。
「韮と葱で粥を作って病人に食べさせよ! 薬湯も水で飲ませては成らぬ!」
人々が次々とその荷車に走り寄って、食物と薬を受け取って、また走り去った。
もう一つの荷車は二人が引き、一人が押していた。
その荷車は筵で覆われていたが、その筵が大きく膨らんでいた。
馬を走らせながら、内弓はその筵の荷車を凝視した。筵から人の手足が飛び出していたからだ。
数人の僧侶が一人の女性を抱えて、内弓の行方を遮った。
「お願いが御座ります。この人はまだ生きています。どうか生駒仙坊まで運んで下さい」
「丁度行くところです。承知致しました」
内弓の返事を待たぬ内に、僧侶達は内弓の背中に女を括り付けていた。
それを確認した内弓は馬に一鞭入れ、生駒仙坊へと急いだ。
背中の女は呟くように囁き続けていた。
なれると、ようやく内弓に分かった。
「あなた、やっと迎えに来て呉れたのね、アアーッ嬉しい」
女は内弓を、多分死んだ夫と間違えているのだ。
女が内弓を背後から抱きしめた。その剥き出しの腕から疱の膿が破れて吹き出していた。背中にも膿が入り込んでいた。ヌルヌルとして気持ちが悪かった。
生駒仙坊に内弓が駆け込むと、数人の僧侶が走り寄って背中の女を下ろした。
女が背中から下ろされた内弓は、落馬同然にして地べたに倒れ込んだ。
建屋から荷物を背負った春光尼が出て来て内弓を見下ろした。
「わたしはこれからあなたの館に参ります」
春光尼に馬が引かれてきた。
「今頃は医の心得の有る三人の僧侶がついている頃です」
内弓が自分の馬に乗ろうとすると、
「あなたは後から来なさい。赤疱瘡は膿から感染します。早く湯殿に行って、全身を拭い、薬湯を飲み、衣服を新しい物に着替えてから来るのです」
「分かりました。母と家人を頼みます」
春光尼はもう馬上の人となって走り去っていた。
湯殿では老沙弥が待っていて内弓の身体に熱湯をかけ、丹念に拭って呉れた。
「傷は無いじゃろうな、病巣は傷を好む」
「はい、何処にも傷は負って下りませぬ。有り難う御座います。赤疱瘡はいったい何時になったら収まるのでしよう」
「誰にも分かりはせぬ。神でも仏でも分からぬ事は有るものじゃ」
老沙弥は内弓に薬湯を渡した。
「極めて苦いが、良く効くぞ、全て飲み干すのだ」
言われた通りに飲み干す内弓、余りの苦さに咳き込んだ。
老沙弥が一かさねの衣服を持ってきて内弓に手渡した。
急いで袖を通す内弓、着替えた時には、あの老沙弥は姿を消していた。
内弓は会った事が無かったが、彼のお人こそが行基禅師であった。
内弓が館に駆けつけた時には既に母は息を引き取っていた。
数日後、梓が東夷から凱旋したが、数日の間、まるで抜け殻のようになってしまった。
赤疱瘡は藤原氏に取って恐ろしい災禍でありました。
藤原氏を除きたいと思っていた、時の政庁の首座、橘諸兄にとって千載一遇の機会が訪れたのですが。思惑は悉く外れてしまいました。
藤原氏の二世達は、仲麻呂と豊成の元で益々結束を固め、更なる権力を集め、兵力も強固なものに成りました。
藤原氏では式家の弘嗣だけは仲麻呂達と袂を分かちました。
赤疱瘡の猛威が収まった平城は、嵐の過ぎた秋空のように穏やかで、澄み渡っていました。
東宮の瓢箪池で、阿部はこの年の吉野行脚を思い出していました。
國栖(くにす)らが 春菜摘むらむ 司馬(しま)の野の しばし君を 思ふこのころ
阿部は、赤疱瘡の災害が更なる災禍の先触れのような気がして成らないのです。心の休まる時はありません。
阿倍の心配を他所に、良きことが続きました。
姉の井上内親王の白壁王への降嫁が決まったようです。
年末には、玄昉の祈祷と李密翳の煎薬が効き目を現し、皇太夫人(藤原宮子)が鬱病を克服して聖武天皇と親子の対面を果たしました。
年が明けて、天平十年一月十三日、阿部は晴れて皇太子と成りました。
この年の七月七日、天皇は大蔵の省に出御して相撲を御覧になった。
相撲節会の優勝者は、弘嗣お抱えの巨漢力士が仲麻呂お抱えの長身力士を突き飛ばして圧勝した。
天皇はその場で力士を褒め、絁を五疋給えた。
力士は弘嗣の方を見ると、躊躇無くその絁を謹んで皇太子に捧げた。
絁などの粗く粗末な絹を皇太子が着ける筈も無かったが、阿部はこの贈り物を大層お喜びになった。
夕方、西池宮に場所を移して七夕を祭る事と成った。
「人は皆それぞれのこころを持ち、好む所はおなじではない」
と、御殿の前の梅の木を指さして仰った。
「朕は、去年の春からこの梅の木を観察して、良き詩を作りたいと願ったが、未だに果たしていない。そこで今夜は、梅や桜や七夕に因んだ詩を皆で愉しみたいと思う」
聖武天皇はそこに集う公達を一人一人見回して、早く詠えと促している。
眞備が膝を進めて申し上げた。
「臣(やっこ)眞備がかしこみて申し上げます。先年身罷った山上憶良と赤疱瘡に倒れた人々を偲んで一首」
春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや はる日暮らさむ
諸兄が天皇の御前に膝を進めて一首詠んだ。
天の川 いと川波は 立たねども さもらひかたし 近きこの瀬を
更に、公家たちが膝を進め、それぞれに詠った。
秋の野に 咲きたる花を 指折り、かき数ふれば、七種の花
天の川 浮津の波音、騒くなり 我が待つ君し 舟出すらしも
この場の誰もが万葉屈指の歌人山上憶良を偲んだ。
「眞備、なにやら湿っぽくなって、やるせない。趣向を変えよ」
「はい、臣は美しい七夕の詩を知っております」
「なにじゃ?」
「二星(じせい)に御座りまする」
「良きかな。これへ篳篥と笙を持て」
篳篥が聖武に、笙が光明子に渡された。
この時、皇太子と井上内親王が顔を見あわせ、そっと席をたって、奥に消えた。
「朕が、即興で曲をつけよう」
篳篥と笙を構える天皇と皇后。
「おそれながら、一つ足りませぬ」
「竜笛であろう」
「はい、この場に竜笛の名手を呼んでも構いませぬか」
「許す」
「お許しが出たぞ、鼓吹司高内弓」
呼び上げると直ぐに、竜笛を持った若者が姿を現した。
「中衛府の中将高梓の長子で御座います」
「そうか、内弓とやら近う寄れ」
内弓は天皇の少し前で傅いた。
「それでは朕の声が聞こえぬ。もっと寄れ」
内弓は眞備を振り返って伺いを立てている。
眞備が大きく頷いた。
正面に向き直ると、皇后が優しく微笑んでいた。
内弓が膝を進めると、三人で曲想を打ち合わせ始めた。
舞台下手に立った眞備が皆に呼びかけた。
「だれか、この老人を助けてくれる方はおらぬか」
弘嗣と仲麻呂が立ち上がって眞備の左右に立ち、睨み合った。
三人は舞台に正座をして、天皇達の楽の音を待った。
采女の由利は、何故か篝火の向こうを見詰め続けていた。佐伯五郎が護衛の為に居る筈だったからだ。
皇后の笙が厳かに、帳の降りた西池宮に降り注いだ。
胡蝶の出で立ちの二人の舞姫が舞台に現れた。胡蝶の羽根の代わりに長い領巾を肩にかけていた。
彦星の皇太子が上手から、織姫の井上が下手から舞ながら中央に向かい、七夕の逢瀬を果たそうとしていた。
篳篥が地上に鳴り渡り、竜笛が天と地の間を彷徨うが如く啼いていた。
眞備が低い声で朗唱した。
二星、たまたま逢えり、未だ別諸依依の怨みを叙べざるに
弘嗣と仲麻呂が、高く澄み渡る声で二の句を継いだ。
五夜まさに明けんとす、頻りに涼風颯々の声に驚く
阿部彦星と井上織姫が、天の川で再会を果たし、優雅な舞で喜びをあらわしていた。
この時、この場所だけで、阿倍皇太子にも、井上斎宮にも、眞備、弘嗣、五郎にも、管弦を奏する両陛下にも華厳の世界が実現していた。
奈良時代、人々は夜明けと共に起き、農民は野良へ、官吏は宮城へ向かった。
吉備真備は館から夜明けと共に東宮を目指した。皇太子に四書五経の講義をする為だ。
東の空が朝焼けで真っ赤に燃えていた。
そのかぎろひを見ながら、皇太子阿部をいかに教育していくか考え込んでいた。また、嫌な噂に頭を悩ませていた。
東宮への回廊で橘諸兄と遭遇した。
「橘の大臣(おとど)」
眞備の呼びかけで立ち止まる諸兄。
「眞備先生、何か?」
「妙な噂を聞きました。本当に決まったのですか?」
「ええ、参議の全員で決めました」
「いけません、それだけはいけません!」
いつも冷静沈着な眞備が珍しくも語気を荒げていた。
「たかが小僧一人を追い払うだけです」
「たかが小僧? 野に放てば虎に成ります」
「太宰の小弐に何が出来ましょう」
「太宰の師は唯の飾り。小弐に赴任した弘嗣は、必ず九州を手の内に入れて大軍を養います」
「まさか、朝廷に反乱するとでも」
諸兄の顔が歪んでいた。
「朝廷に仇なすとは思えません。弘嗣殿は粗暴の嫌いは有りまするが、朝廷への誠心を持っています。平城に留まらせ、南家を牽制させるのが、良策かと」
「最早取り消せぬ。勅諚が下りてしまった}
{恐れながら大臣、貴男様の罷免を要求して来ます。平城のもう一匹の虎が呼応したらいかがなさるお積もりか」
膝をついて頭を抱える諸兄、眞備の言葉で事の重大さを悟るが、時既に遅かった。
天平十年(738)十二月四日、従五位下・藤原朝臣弘嗣は太宰府の小弐に任じられた。
その弘嗣を仲麻呂が訪れた。
「貴公は九州を纏めろ、俺は平城の藤原を固める」
「何を企んでいる。仲麻呂、俺は貴様には踊らされぬぞ」
仲麻呂は橘諸兄政権を倒す事を弘嗣に仄めかしていたのだ。
その下旬、阿部皇太子は生駒の紫野で薬草を採取していた。冬の盛りのこの時期、採取出来る薬草には限が有った。
阿部は街道を見詰め続けていた。幼い頃、凜々しく颯爽としていた仲麻呂に憧れ、恋をした。今は、何故か野卑と蔑んでいた弘嗣が恋しいのだ。
平城から太宰府に行くには、三条大路を抜けて暗越街道から難波津、そして難波津から船で九州に渡るのが通常である。
弘嗣は必ずこの街道を通ると、夜明けからこうして待っていたのだ。
昼過ぎに弘嗣一行が姿を現した。
馬上の弘嗣は、紫野に佇む阿部に気が付かない。
「由利、弓を」
由利から受け取った弓で鏑矢を虚空に放った。
鏑矢の飛翔音でようやく阿部に気付く弘嗣、馬を走らせて近づいて来た。
「来ては成りませぬ。弘嗣殿来ては成りませぬ。来たら別れが辛くなりまする」
阿倍の呟きは弘嗣まで届かなかった。
阿部は大きく首を振って弘嗣を制止しようとすると、気付いたのか? 弘嗣が馬を止めた。が、笑顔を浮かべて袖を振った。
幾筋もの涙が阿倍の頬を伝った。
雪が紫野に降ってきた。その雪は忽ちの内に視界を阻んだ。
安部は更に涙する、何故か二度と弘嗣に逢えぬ気がしたからだ。
太宰府に赴任した弘嗣は暫く温和しくしていた。が、眞備の予言通り大軍を
集めていた。
弘嗣が遂に仲麻呂の罠にはまった。
続日本紀に曰く。
天平十二年(740)八月二十九日、太宰小弐・従五位下の藤原朝臣弘嗣が表を奉り、時の政治の得失を指摘し、天地の災異の原因になっていると陳べ、僧正の玄昉 法師と右衛士督・従五位上の下道朝臣眞備追放を言上した。
弘嗣は玄昉を毛嫌いしていたが、眞備には一目置いていた、秘かに敬愛もしていた。只皇太子の師として安部の近くにいる事に嫉妬していたのだ。
弘嗣の本心は橘諸兄の失脚にあった。が、子供のように只をこね、憤っていただけで有った。
更に、
九月三日、弘嗣が兵を動かしたのを反乱とみなし、天皇は勅を下して、大野朝臣東人を大将軍に任命して弘嗣征討軍を太宰府に発した。
皮肉にも大野東人は、弘嗣の父・宇合の副官だった男であった。
この人選の影に潜む物を誰も気が付かない。彼は仲麻呂と通じていた。いや、眞備だけは見抜いていた。
九月五日、東宮に、安部皇太子を囲んで、光明皇后、吉備真備、中衛府大将と成った高梓とが、弘嗣の乱について相談し合っていた。
「あの子は乱暴者ですが、朝廷に弓を引く等出来ない子です。只をこねているだけ」と言いながら、皇后は梓の手を握った。
「弘嗣は梓、そなたの言うことなら聞いてくれる筈、中衛府を率いて太宰府に行ってはくれまいか」
安部は拝むようにして梓を見詰めた。
眞備が意見を具申した。
「大野東人軍が弘嗣を捕獲したなら、必ずやその場で斬首するに違いありません。梓の大将、一刻を争いまする、直ぐにでも出立して下さい」
皇后の手をそっと外した梓が平伏して言上奉った。
「臣高梓、恐みてお役を引き受け致します。明日にでも兵を発しまする」
この時眞備は、弘嗣は乱暴者だが話せば分かる男と見ていた。梓と共に必ずや朝廷の両輪になるとまで確信していた。
翌日の深夜、梓の指揮する中衛府将兵二百が平城から北九州へと出征した。
秘密を守る為に、深夜小人数に分けて平装での出発だった。
朱雀門の楼から見送る、皇后と皇太子と由利。
阿倍は梓に篤い信頼を持っていたので、必ず使命を果たしてくれると信じていたが、ふと不安が脳裏を過ぎり、弘嗣を見送った紫野を思い出した。
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る
由利はまるでこの世の分かれみたいに、副官に任命された佐伯五郎を見詰め続けた。言いようの無い不安で心が苛まされた。
一日(ひとひ)こそ、人も待ちよき、長き日を、かくのみ待たば、有りかつま
しじ
君が行き、日長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ
二人の逢瀬で詠い舞った情景が由利の脳裏に蘇った。
梓軍が二百しか居なかったのは、戦闘行為自体が目的で無かったからだ。
だが、梓の本拠河内などで兵を募り、難波津では五千に成り、軍船で北九州へと急行した。
この年の暮れにかけて、北九州に東人と弘嗣軍と梓軍が互いを求めて徘徊し
た。
いや、徘徊する謎の軍団がもう一つ有った。仲麻呂の密命を受けた壱岐軍が弘嗣軍を擬して動いていた。この軍団の狙いは梓の命だけで有った。
弘嗣は初めて世の中の恐ろしさを知った。式家の御曹司として育った甘えがあった。朝廷に弓を引くなど一時なりとも無かったが、今は賊軍にされ、征討軍が九州に向かっている。
「兄じゃ、是非も無い、もう後へは戻れぬ」
弟綱手の言葉でようやく本気で兵を募り、近畿の藤原氏に檄文を送った。
近畿の藤原氏は誰もが無視し、南家の豊成などは自らを幽閉し、災難から身を守ろうとした。式家までもそれに習って災禍を避けようとした。
仲麻呂だけは、天皇の近衛兵を指揮していた。豊成と仲麻呂を引き離し、仲麻呂を厳しく監視するための、眞備の策だ。この近衛隊には、藤原氏に縁のある者は一人たりとも加えていない。
九月二十二日、官軍と弘嗣軍は戦端を開いたが、弘嗣軍は散々に打ち砕かれて敗走した。
十月九日、弘嗣軍一万と官軍六千が板櫃川を挟んで対峙した。
官軍の隼人達が河岸に出て、隼人言葉で弘嗣軍の隼人兵に投降を叫ぶと、弘嗣軍の隼人隊は矢を射るのを止め、静まりかえった。
官軍の将軍が二騎河岸に出て来て弘嗣を呼ばわった。
「弘嗣見参! 臆したか弘嗣」
騎馬の弘嗣が一人で対岸に立った。
「勅使到来と承る! 誰の事であるか」
官軍の二人がそれぞれに応えた。
「我こそは、内乃兵(うちのつわもの)衛門督佐伯大夫である」
「小童! 我が名を聞いて驚くな! 式部少輔阿倍大夫とは俺の事だ。分かったか!」
「あい分かった」と下馬する弘嗣、丁寧に二度頭を下げた。
「臣弘嗣、恐みて申す。我らは朝廷に弓を引く者では有りません。朝廷に仇なす二人を引き渡すように嘆願しているだけで御座る」
「小童良く聞け! ならば、どうして軍団を率いて押し寄せて来たのであるか!」
弘嗣は佐伯大夫の大音声に悄然として騎乗の人と成り、軍の中に消えた。
その様子を伺っていた弘嗣軍の兵士四五十人程が河に飛び込んで官軍に投降した。
この後、弘嗣とその軍団が姿を消した。
その頃、梓軍も北九州に上陸して弘嗣軍を求めて東奔西走していてたが、その行方がようとして分からなかった。
十月二十日未明、遠賀川河口の梓軍の軍船に一人の兵士が泳いで来た。
弘嗣の密使で有ると言う。
「中衛府大将が官軍に加わっている事を弘嗣将軍は知りません。証が欲しいと言うておられます」
梓の横に侍っていた佐伯五郎が口を挟んだ。
「その前に、弘嗣軍の証が欲しい」
その兵士は黙って刀子を梓に献じた。
松明に翳して確かめる梓。確かに刀子に藤の紋章が飾ってあった。弘嗣の紋章に間違いなかった。
「この書状は、やんごとなきお方の文である。弘嗣殿に渡して頂きたい」
文を押し頂いて懐に収める兵を独木舟が対岸に送った。
夜が明けると、一人の将軍が対岸に佇み、太刀と鎧甲を皆脱ぎ捨て、梓に恭しく礼を捧げた後に、平城の方角を望んだその将軍は匍匐礼で恭順を表した。
独木舟に飛び乗った梓は対岸に向かった。
十艘程の独木舟が後を追った。
佐伯五郎は梓の傍らに立ち竦み、匍匐礼の弘嗣将軍を睨んでいた。
水鳥が一斉に葦の茂みから飛び立った。
かぎろひの創る逆光の為、梓軍は匍匐礼の将軍が笑っていたのを、不覚にも見逃した。
板櫃川の会戦に敗れて敗走した広嗣軍は新羅に逃れようとしたが、十月二十三日捕らえられた。
十一月一日、大野東人は広嗣と綱手の兄弟を唐津で、聖武天皇の勅(斬首せよとは命じていない)を無視して斬首してしまった。
十一月十日、平城の朝は常にも増して赤くかぎろひていた。
皇太子への講義の準備をしていた眞備の元に二つの悲報が届いた。高梓と佐伯五郎の戦死、そして弘嗣兄弟の処刑である。
「おのれ小童、朝廷の両輪と成るべき忠臣を罠にかけおった」
膝を落として蹲る眞備は天地神明に誓った。「必ずや、この眞備が仲麻呂の小童を撃ち砕いてみせましょう」
よろよろと立ち上がった眞備は、気を静めると、皇太子の待つ室へと歩を踏み出した。
東宮の一室で、眞備を待つ皇太子と由利。この朝の講義予定の孟子を必死に読んでいた。
由利が孟子から視線を外して西の方角を望んだ。水鳥の騒ぐ音が聞こえた気がしたからだ。
「五郎殿」
呟く由利に、阿倍も顔を上げた。
「梓の大将はご無事なのでしょうか?」
由利の本心は、勿論梓では無く五郎の無事だ。
「由利は心配しすぎです。きっと今頃は使命を果たして平城を目指して居ります」
阿倍は父・聖武の勅令を知っていたから安心していた。
弘嗣兄弟は平城で詮議にかけられ、さして重くない処罰を受ける物と堅く信じいた。
そこへ、眞備が青い顔で入って来た。
驚く二人。
「先生、何か有ったのですか? まさか病では」
眞備は今朝の悲報を今は言うまいと決意した。
二人の前に正座した眞備は、居住まいを正して、微笑もうとしたが、顔が引き攣っていた。
「今朝は、予定していた孟子ではなく、老子をお教えいたします」
首を傾げる阿倍、老子の名を知らなかったからだ。
由利は父・眞備が真に敬愛をしているのが老子だと知っていたので歓喜で眼を輝かせた。
「急の事で、書を用意出来ませんでした。この眞備の言葉に心を傾けて、良く聞き、良く覚えて下さい」
固唾を飲んで眞備を見詰める二人。
静かに口を開く眞備。
「すぐれた士は、武の心を持たない」
二人とも、心で復唱した。
「すぐれた戦士は怒りの心を発しない。よく敵に勝つ者は、敵を相手にしない」
阿倍皇太子は懸命に考えた。「眞備先生は何をわたくしに教えようとしてい
るのだろう?」
「良く人を使う者は、相手の下に出る。これを不争の徳と言う」
阿倍はようやく気が付いた。やがて天皇になるこの身に、民をすべる心得を諭しているのだと。
東(ひむがし)のかぎろひは益々赤く燃え上がり、西に傾く月が、悲しみに沈
んだ。
「兵をあげて攻めあうとき、悲しみを知る者が勝利を収める」
華厳・完 作・GOROU
参考文献 日本霊異記 続日本紀 万葉集
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る
額田王に袖を振っているのは大海人皇子です。二人はかって夫婦でした。
子ももうけています。が、その時には額田王は兄の中大兄皇子(天智天皇)の夫人でした。
大海人皇子(天武天皇)は返歌を詠んでいます。
紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも
弘嗣が太刀を翳したのも、仲麻呂が盗み見したのも、阿部への求愛だったに違いありません。
やがて皇太子になり、天皇にも成ろうという阿部に恋も結婚も無縁のものでした。女性が未婚のまま皇太子に、そして天皇になったら、夫も子も持てなかったのです。
薬狩りの翌天平九年(737)、未曾有の災禍が平城を襲った。
太宰府を訪れた新羅使者が持ち込んだと思える赤疱瘡が大流行したのです。
平城で暮らす衆生を始め、公家達も次々に犯されて行きました。
4月、参議藤原房前(57・参議)が薨去。
7月、藤原麻呂(43・参議)と藤原武智麻呂(58・右大臣)が薨去。
8月、藤原宇合(44・参議)が薨去。
なんと、権勢を欲しいままにしていた、藤原四兄弟の全てが死んだのです。
赤疱瘡は宮城の中までは侵入して来ませんでした。
東宮御所の回廊で、愛菜が皇太子に縋り付いて哀訴しています。
「お願いで御座います。母が赤疱瘡に犯されました」
「この東宮に居れば安全です。嵐の中にあなたを放り出す分けにはいきませぬ」
歩き出す皇太子を追って更に縋る愛菜、その顔は涙でグシャグシャになっています。
由利が駆けつけて愛菜を抱きしめます。
「愛菜、梓の大将が東征中ですが、兄の内弓殿が館にいるでは有りませんか」
鳴き崩れる愛菜を抱き起こし、耳元で囁く由利。
「殿下はあなたが可愛いから、その身を案じているのですよ」
立ち止まる皇太子、愛菜と、抱きしめている由利を見詰めた。
「高家には、母上の施薬院から人を走らせました。眞備に命じて、李密翳(ラームヤール)も向かわせて治療に当たらせます。彼の物は赤疱瘡に精通しているそうです。皇居に疫病が入って来ないのは、李密翳の処置が正しいからです」
皇太子はその場で正座して、平城の街の方を望んで合掌しました。
「私たちが出来るのは、ただこうして祈って仏に縋るだけです」
皇太子を中心として、一団の采女と女孺が合掌し、瞑想して経を唱えた。
方々から僧侶達の読経の唱名が聞こえて来た。
この時、平城では、宮城でも市街でも、あらゆる寺院から疫病退散と死者を弔う読経が漂っていた。
梓の夫人は高志の薫子といい、行基の姪に当たりました。高梓の高家は高志から分かれた家でしたから、梓自身も行基と遠縁に当たっています。
薫子は幼い時に痲疹を患い、顔に目立つ程のあばたが有ったため、梓との結婚式に現れたのは妹の文子だった。
梓は幼い日々をこの姉妹と過ごした為、妹文子の夢も知っていた。文子は伯父行基の元で出家する事を強く望んでいた。
更に、梓は姿容だけでなく心の美しい姉薫子を愛していたので、文子との婚儀を白紙にして薫子と夫婦となった。
その薫子が病室で赤疱瘡で臥せっていた。
「内弓、そこからは入っては成りませぬ」
内弓は、病室に続く廊下に座っていたが。母の弱々しくも強い言葉で膝を膝を進める事が出来なかった。
「この家には、わたくしの他にも沢山の病人が居ります」
侍女が粥と薬湯を持って薫子の傍らに侍り、助けて半身を起こさせて、匙で粥をすすらせた。
薫子は皆吐きだしてしまった。
次ぎに薬湯を飲ませようとする侍女を薫子が制止した。
薫子が内弓を見詰めた。
「母上、どうかわたくしと共に興福寺の施薬院か生駒仙坊に行って下さい」
「内弓、わたくしにそんな力は残って居ません」
内弓は目を疑った、美しかった母の顔が、痘痕と疱瘡の区別がつかない程膿疱で酷くなっていた。
「生駒仙坊の叔母、春光尼(文子)を頼りなさい。お薬や食べ物を貰って来なさい」
「母上・・・」
無理に微笑む薫子。
「わたくしは、あなたが帰るまで死にませぬ」
薫子は心の中で生きたいと望んでいた。夫梓の凱旋を、女孺となった愛菜に一目で良いから会いたいと切望していた。
「だから早く行きなさい」
「はい、母上」
内弓は涙を拭いながら立ち上がった。
馬を三条大路に走らせると、まるで地獄さながらの様相だった。
方々の寺院から読経が轟き、あちらこちらから荼毘の炎が上がっていた。
この時代、土葬が政令で定められていたが、赤疱瘡の蔓延を防ぐために死人を火葬にしているのだ。
日本で最初の火葬は奇しくも行基の師・道昭であった。西暦七百年、七十二才で亡くなった道昭の遺志で荼毘に付された。行基も義淵もそれを見ていた。
三条大路にの道端に沢山の病人が倒れ、多数の死人が転がっていた。
その地獄絵図の中で、行基教団の僧侶達が、十人程が一隊となって走り回っていた。
「生で物を食べては成らぬぞ! 薬は生駒仙坊と施薬院の物の他は服用してはいけません」
僧侶達は口々に叫んでいた。
二人の僧侶が薬と韮や葱を満載した荷車を引いていた。
「韮と葱で粥を作って病人に食べさせよ! 薬湯も水で飲ませては成らぬ!」
人々が次々とその荷車に走り寄って、食物と薬を受け取って、また走り去った。
もう一つの荷車は二人が引き、一人が押していた。
その荷車は筵で覆われていたが、その筵が大きく膨らんでいた。
馬を走らせながら、内弓はその筵の荷車を凝視した。筵から人の手足が飛び出していたからだ。
数人の僧侶が一人の女性を抱えて、内弓の行方を遮った。
「お願いが御座ります。この人はまだ生きています。どうか生駒仙坊まで運んで下さい」
「丁度行くところです。承知致しました」
内弓の返事を待たぬ内に、僧侶達は内弓の背中に女を括り付けていた。
それを確認した内弓は馬に一鞭入れ、生駒仙坊へと急いだ。
背中の女は呟くように囁き続けていた。
なれると、ようやく内弓に分かった。
「あなた、やっと迎えに来て呉れたのね、アアーッ嬉しい」
女は内弓を、多分死んだ夫と間違えているのだ。
女が内弓を背後から抱きしめた。その剥き出しの腕から疱の膿が破れて吹き出していた。背中にも膿が入り込んでいた。ヌルヌルとして気持ちが悪かった。
生駒仙坊に内弓が駆け込むと、数人の僧侶が走り寄って背中の女を下ろした。
女が背中から下ろされた内弓は、落馬同然にして地べたに倒れ込んだ。
建屋から荷物を背負った春光尼が出て来て内弓を見下ろした。
「わたしはこれからあなたの館に参ります」
春光尼に馬が引かれてきた。
「今頃は医の心得の有る三人の僧侶がついている頃です」
内弓が自分の馬に乗ろうとすると、
「あなたは後から来なさい。赤疱瘡は膿から感染します。早く湯殿に行って、全身を拭い、薬湯を飲み、衣服を新しい物に着替えてから来るのです」
「分かりました。母と家人を頼みます」
春光尼はもう馬上の人となって走り去っていた。
湯殿では老沙弥が待っていて内弓の身体に熱湯をかけ、丹念に拭って呉れた。
「傷は無いじゃろうな、病巣は傷を好む」
「はい、何処にも傷は負って下りませぬ。有り難う御座います。赤疱瘡はいったい何時になったら収まるのでしよう」
「誰にも分かりはせぬ。神でも仏でも分からぬ事は有るものじゃ」
老沙弥は内弓に薬湯を渡した。
「極めて苦いが、良く効くぞ、全て飲み干すのだ」
言われた通りに飲み干す内弓、余りの苦さに咳き込んだ。
老沙弥が一かさねの衣服を持ってきて内弓に手渡した。
急いで袖を通す内弓、着替えた時には、あの老沙弥は姿を消していた。
内弓は会った事が無かったが、彼のお人こそが行基禅師であった。
内弓が館に駆けつけた時には既に母は息を引き取っていた。
数日後、梓が東夷から凱旋したが、数日の間、まるで抜け殻のようになってしまった。
赤疱瘡は藤原氏に取って恐ろしい災禍でありました。
藤原氏を除きたいと思っていた、時の政庁の首座、橘諸兄にとって千載一遇の機会が訪れたのですが。思惑は悉く外れてしまいました。
藤原氏の二世達は、仲麻呂と豊成の元で益々結束を固め、更なる権力を集め、兵力も強固なものに成りました。
藤原氏では式家の弘嗣だけは仲麻呂達と袂を分かちました。
赤疱瘡の猛威が収まった平城は、嵐の過ぎた秋空のように穏やかで、澄み渡っていました。
東宮の瓢箪池で、阿部はこの年の吉野行脚を思い出していました。
國栖(くにす)らが 春菜摘むらむ 司馬(しま)の野の しばし君を 思ふこのころ
阿部は、赤疱瘡の災害が更なる災禍の先触れのような気がして成らないのです。心の休まる時はありません。
阿倍の心配を他所に、良きことが続きました。
姉の井上内親王の白壁王への降嫁が決まったようです。
年末には、玄昉の祈祷と李密翳の煎薬が効き目を現し、皇太夫人(藤原宮子)が鬱病を克服して聖武天皇と親子の対面を果たしました。
年が明けて、天平十年一月十三日、阿部は晴れて皇太子と成りました。
この年の七月七日、天皇は大蔵の省に出御して相撲を御覧になった。
相撲節会の優勝者は、弘嗣お抱えの巨漢力士が仲麻呂お抱えの長身力士を突き飛ばして圧勝した。
天皇はその場で力士を褒め、絁を五疋給えた。
力士は弘嗣の方を見ると、躊躇無くその絁を謹んで皇太子に捧げた。
絁などの粗く粗末な絹を皇太子が着ける筈も無かったが、阿部はこの贈り物を大層お喜びになった。
夕方、西池宮に場所を移して七夕を祭る事と成った。
「人は皆それぞれのこころを持ち、好む所はおなじではない」
と、御殿の前の梅の木を指さして仰った。
「朕は、去年の春からこの梅の木を観察して、良き詩を作りたいと願ったが、未だに果たしていない。そこで今夜は、梅や桜や七夕に因んだ詩を皆で愉しみたいと思う」
聖武天皇はそこに集う公達を一人一人見回して、早く詠えと促している。
眞備が膝を進めて申し上げた。
「臣(やっこ)眞備がかしこみて申し上げます。先年身罷った山上憶良と赤疱瘡に倒れた人々を偲んで一首」
春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや はる日暮らさむ
諸兄が天皇の御前に膝を進めて一首詠んだ。
天の川 いと川波は 立たねども さもらひかたし 近きこの瀬を
更に、公家たちが膝を進め、それぞれに詠った。
秋の野に 咲きたる花を 指折り、かき数ふれば、七種の花
天の川 浮津の波音、騒くなり 我が待つ君し 舟出すらしも
この場の誰もが万葉屈指の歌人山上憶良を偲んだ。
「眞備、なにやら湿っぽくなって、やるせない。趣向を変えよ」
「はい、臣は美しい七夕の詩を知っております」
「なにじゃ?」
「二星(じせい)に御座りまする」
「良きかな。これへ篳篥と笙を持て」
篳篥が聖武に、笙が光明子に渡された。
この時、皇太子と井上内親王が顔を見あわせ、そっと席をたって、奥に消えた。
「朕が、即興で曲をつけよう」
篳篥と笙を構える天皇と皇后。
「おそれながら、一つ足りませぬ」
「竜笛であろう」
「はい、この場に竜笛の名手を呼んでも構いませぬか」
「許す」
「お許しが出たぞ、鼓吹司高内弓」
呼び上げると直ぐに、竜笛を持った若者が姿を現した。
「中衛府の中将高梓の長子で御座います」
「そうか、内弓とやら近う寄れ」
内弓は天皇の少し前で傅いた。
「それでは朕の声が聞こえぬ。もっと寄れ」
内弓は眞備を振り返って伺いを立てている。
眞備が大きく頷いた。
正面に向き直ると、皇后が優しく微笑んでいた。
内弓が膝を進めると、三人で曲想を打ち合わせ始めた。
舞台下手に立った眞備が皆に呼びかけた。
「だれか、この老人を助けてくれる方はおらぬか」
弘嗣と仲麻呂が立ち上がって眞備の左右に立ち、睨み合った。
三人は舞台に正座をして、天皇達の楽の音を待った。
采女の由利は、何故か篝火の向こうを見詰め続けていた。佐伯五郎が護衛の為に居る筈だったからだ。
皇后の笙が厳かに、帳の降りた西池宮に降り注いだ。
胡蝶の出で立ちの二人の舞姫が舞台に現れた。胡蝶の羽根の代わりに長い領巾を肩にかけていた。
彦星の皇太子が上手から、織姫の井上が下手から舞ながら中央に向かい、七夕の逢瀬を果たそうとしていた。
篳篥が地上に鳴り渡り、竜笛が天と地の間を彷徨うが如く啼いていた。
眞備が低い声で朗唱した。
二星、たまたま逢えり、未だ別諸依依の怨みを叙べざるに
弘嗣と仲麻呂が、高く澄み渡る声で二の句を継いだ。
五夜まさに明けんとす、頻りに涼風颯々の声に驚く
阿部彦星と井上織姫が、天の川で再会を果たし、優雅な舞で喜びをあらわしていた。
この時、この場所だけで、阿倍皇太子にも、井上斎宮にも、眞備、弘嗣、五郎にも、管弦を奏する両陛下にも華厳の世界が実現していた。
奈良時代、人々は夜明けと共に起き、農民は野良へ、官吏は宮城へ向かった。
吉備真備は館から夜明けと共に東宮を目指した。皇太子に四書五経の講義をする為だ。
東の空が朝焼けで真っ赤に燃えていた。
そのかぎろひを見ながら、皇太子阿部をいかに教育していくか考え込んでいた。また、嫌な噂に頭を悩ませていた。
東宮への回廊で橘諸兄と遭遇した。
「橘の大臣(おとど)」
眞備の呼びかけで立ち止まる諸兄。
「眞備先生、何か?」
「妙な噂を聞きました。本当に決まったのですか?」
「ええ、参議の全員で決めました」
「いけません、それだけはいけません!」
いつも冷静沈着な眞備が珍しくも語気を荒げていた。
「たかが小僧一人を追い払うだけです」
「たかが小僧? 野に放てば虎に成ります」
「太宰の小弐に何が出来ましょう」
「太宰の師は唯の飾り。小弐に赴任した弘嗣は、必ず九州を手の内に入れて大軍を養います」
「まさか、朝廷に反乱するとでも」
諸兄の顔が歪んでいた。
「朝廷に仇なすとは思えません。弘嗣殿は粗暴の嫌いは有りまするが、朝廷への誠心を持っています。平城に留まらせ、南家を牽制させるのが、良策かと」
「最早取り消せぬ。勅諚が下りてしまった}
{恐れながら大臣、貴男様の罷免を要求して来ます。平城のもう一匹の虎が呼応したらいかがなさるお積もりか」
膝をついて頭を抱える諸兄、眞備の言葉で事の重大さを悟るが、時既に遅かった。
天平十年(738)十二月四日、従五位下・藤原朝臣弘嗣は太宰府の小弐に任じられた。
その弘嗣を仲麻呂が訪れた。
「貴公は九州を纏めろ、俺は平城の藤原を固める」
「何を企んでいる。仲麻呂、俺は貴様には踊らされぬぞ」
仲麻呂は橘諸兄政権を倒す事を弘嗣に仄めかしていたのだ。
その下旬、阿部皇太子は生駒の紫野で薬草を採取していた。冬の盛りのこの時期、採取出来る薬草には限が有った。
阿部は街道を見詰め続けていた。幼い頃、凜々しく颯爽としていた仲麻呂に憧れ、恋をした。今は、何故か野卑と蔑んでいた弘嗣が恋しいのだ。
平城から太宰府に行くには、三条大路を抜けて暗越街道から難波津、そして難波津から船で九州に渡るのが通常である。
弘嗣は必ずこの街道を通ると、夜明けからこうして待っていたのだ。
昼過ぎに弘嗣一行が姿を現した。
馬上の弘嗣は、紫野に佇む阿部に気が付かない。
「由利、弓を」
由利から受け取った弓で鏑矢を虚空に放った。
鏑矢の飛翔音でようやく阿部に気付く弘嗣、馬を走らせて近づいて来た。
「来ては成りませぬ。弘嗣殿来ては成りませぬ。来たら別れが辛くなりまする」
阿倍の呟きは弘嗣まで届かなかった。
阿部は大きく首を振って弘嗣を制止しようとすると、気付いたのか? 弘嗣が馬を止めた。が、笑顔を浮かべて袖を振った。
幾筋もの涙が阿倍の頬を伝った。
雪が紫野に降ってきた。その雪は忽ちの内に視界を阻んだ。
安部は更に涙する、何故か二度と弘嗣に逢えぬ気がしたからだ。
太宰府に赴任した弘嗣は暫く温和しくしていた。が、眞備の予言通り大軍を
集めていた。
弘嗣が遂に仲麻呂の罠にはまった。
続日本紀に曰く。
天平十二年(740)八月二十九日、太宰小弐・従五位下の藤原朝臣弘嗣が表を奉り、時の政治の得失を指摘し、天地の災異の原因になっていると陳べ、僧正の玄昉 法師と右衛士督・従五位上の下道朝臣眞備追放を言上した。
弘嗣は玄昉を毛嫌いしていたが、眞備には一目置いていた、秘かに敬愛もしていた。只皇太子の師として安部の近くにいる事に嫉妬していたのだ。
弘嗣の本心は橘諸兄の失脚にあった。が、子供のように只をこね、憤っていただけで有った。
更に、
九月三日、弘嗣が兵を動かしたのを反乱とみなし、天皇は勅を下して、大野朝臣東人を大将軍に任命して弘嗣征討軍を太宰府に発した。
皮肉にも大野東人は、弘嗣の父・宇合の副官だった男であった。
この人選の影に潜む物を誰も気が付かない。彼は仲麻呂と通じていた。いや、眞備だけは見抜いていた。
九月五日、東宮に、安部皇太子を囲んで、光明皇后、吉備真備、中衛府大将と成った高梓とが、弘嗣の乱について相談し合っていた。
「あの子は乱暴者ですが、朝廷に弓を引く等出来ない子です。只をこねているだけ」と言いながら、皇后は梓の手を握った。
「弘嗣は梓、そなたの言うことなら聞いてくれる筈、中衛府を率いて太宰府に行ってはくれまいか」
安部は拝むようにして梓を見詰めた。
眞備が意見を具申した。
「大野東人軍が弘嗣を捕獲したなら、必ずやその場で斬首するに違いありません。梓の大将、一刻を争いまする、直ぐにでも出立して下さい」
皇后の手をそっと外した梓が平伏して言上奉った。
「臣高梓、恐みてお役を引き受け致します。明日にでも兵を発しまする」
この時眞備は、弘嗣は乱暴者だが話せば分かる男と見ていた。梓と共に必ずや朝廷の両輪になるとまで確信していた。
翌日の深夜、梓の指揮する中衛府将兵二百が平城から北九州へと出征した。
秘密を守る為に、深夜小人数に分けて平装での出発だった。
朱雀門の楼から見送る、皇后と皇太子と由利。
阿倍は梓に篤い信頼を持っていたので、必ず使命を果たしてくれると信じていたが、ふと不安が脳裏を過ぎり、弘嗣を見送った紫野を思い出した。
あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る
由利はまるでこの世の分かれみたいに、副官に任命された佐伯五郎を見詰め続けた。言いようの無い不安で心が苛まされた。
一日(ひとひ)こそ、人も待ちよき、長き日を、かくのみ待たば、有りかつま
しじ
君が行き、日長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ
二人の逢瀬で詠い舞った情景が由利の脳裏に蘇った。
梓軍が二百しか居なかったのは、戦闘行為自体が目的で無かったからだ。
だが、梓の本拠河内などで兵を募り、難波津では五千に成り、軍船で北九州へと急行した。
この年の暮れにかけて、北九州に東人と弘嗣軍と梓軍が互いを求めて徘徊し
た。
いや、徘徊する謎の軍団がもう一つ有った。仲麻呂の密命を受けた壱岐軍が弘嗣軍を擬して動いていた。この軍団の狙いは梓の命だけで有った。
弘嗣は初めて世の中の恐ろしさを知った。式家の御曹司として育った甘えがあった。朝廷に弓を引くなど一時なりとも無かったが、今は賊軍にされ、征討軍が九州に向かっている。
「兄じゃ、是非も無い、もう後へは戻れぬ」
弟綱手の言葉でようやく本気で兵を募り、近畿の藤原氏に檄文を送った。
近畿の藤原氏は誰もが無視し、南家の豊成などは自らを幽閉し、災難から身を守ろうとした。式家までもそれに習って災禍を避けようとした。
仲麻呂だけは、天皇の近衛兵を指揮していた。豊成と仲麻呂を引き離し、仲麻呂を厳しく監視するための、眞備の策だ。この近衛隊には、藤原氏に縁のある者は一人たりとも加えていない。
九月二十二日、官軍と弘嗣軍は戦端を開いたが、弘嗣軍は散々に打ち砕かれて敗走した。
十月九日、弘嗣軍一万と官軍六千が板櫃川を挟んで対峙した。
官軍の隼人達が河岸に出て、隼人言葉で弘嗣軍の隼人兵に投降を叫ぶと、弘嗣軍の隼人隊は矢を射るのを止め、静まりかえった。
官軍の将軍が二騎河岸に出て来て弘嗣を呼ばわった。
「弘嗣見参! 臆したか弘嗣」
騎馬の弘嗣が一人で対岸に立った。
「勅使到来と承る! 誰の事であるか」
官軍の二人がそれぞれに応えた。
「我こそは、内乃兵(うちのつわもの)衛門督佐伯大夫である」
「小童! 我が名を聞いて驚くな! 式部少輔阿倍大夫とは俺の事だ。分かったか!」
「あい分かった」と下馬する弘嗣、丁寧に二度頭を下げた。
「臣弘嗣、恐みて申す。我らは朝廷に弓を引く者では有りません。朝廷に仇なす二人を引き渡すように嘆願しているだけで御座る」
「小童良く聞け! ならば、どうして軍団を率いて押し寄せて来たのであるか!」
弘嗣は佐伯大夫の大音声に悄然として騎乗の人と成り、軍の中に消えた。
その様子を伺っていた弘嗣軍の兵士四五十人程が河に飛び込んで官軍に投降した。
この後、弘嗣とその軍団が姿を消した。
その頃、梓軍も北九州に上陸して弘嗣軍を求めて東奔西走していてたが、その行方がようとして分からなかった。
十月二十日未明、遠賀川河口の梓軍の軍船に一人の兵士が泳いで来た。
弘嗣の密使で有ると言う。
「中衛府大将が官軍に加わっている事を弘嗣将軍は知りません。証が欲しいと言うておられます」
梓の横に侍っていた佐伯五郎が口を挟んだ。
「その前に、弘嗣軍の証が欲しい」
その兵士は黙って刀子を梓に献じた。
松明に翳して確かめる梓。確かに刀子に藤の紋章が飾ってあった。弘嗣の紋章に間違いなかった。
「この書状は、やんごとなきお方の文である。弘嗣殿に渡して頂きたい」
文を押し頂いて懐に収める兵を独木舟が対岸に送った。
夜が明けると、一人の将軍が対岸に佇み、太刀と鎧甲を皆脱ぎ捨て、梓に恭しく礼を捧げた後に、平城の方角を望んだその将軍は匍匐礼で恭順を表した。
独木舟に飛び乗った梓は対岸に向かった。
十艘程の独木舟が後を追った。
佐伯五郎は梓の傍らに立ち竦み、匍匐礼の弘嗣将軍を睨んでいた。
水鳥が一斉に葦の茂みから飛び立った。
かぎろひの創る逆光の為、梓軍は匍匐礼の将軍が笑っていたのを、不覚にも見逃した。
板櫃川の会戦に敗れて敗走した広嗣軍は新羅に逃れようとしたが、十月二十三日捕らえられた。
十一月一日、大野東人は広嗣と綱手の兄弟を唐津で、聖武天皇の勅(斬首せよとは命じていない)を無視して斬首してしまった。
十一月十日、平城の朝は常にも増して赤くかぎろひていた。
皇太子への講義の準備をしていた眞備の元に二つの悲報が届いた。高梓と佐伯五郎の戦死、そして弘嗣兄弟の処刑である。
「おのれ小童、朝廷の両輪と成るべき忠臣を罠にかけおった」
膝を落として蹲る眞備は天地神明に誓った。「必ずや、この眞備が仲麻呂の小童を撃ち砕いてみせましょう」
よろよろと立ち上がった眞備は、気を静めると、皇太子の待つ室へと歩を踏み出した。
東宮の一室で、眞備を待つ皇太子と由利。この朝の講義予定の孟子を必死に読んでいた。
由利が孟子から視線を外して西の方角を望んだ。水鳥の騒ぐ音が聞こえた気がしたからだ。
「五郎殿」
呟く由利に、阿倍も顔を上げた。
「梓の大将はご無事なのでしょうか?」
由利の本心は、勿論梓では無く五郎の無事だ。
「由利は心配しすぎです。きっと今頃は使命を果たして平城を目指して居ります」
阿倍は父・聖武の勅令を知っていたから安心していた。
弘嗣兄弟は平城で詮議にかけられ、さして重くない処罰を受ける物と堅く信じいた。
そこへ、眞備が青い顔で入って来た。
驚く二人。
「先生、何か有ったのですか? まさか病では」
眞備は今朝の悲報を今は言うまいと決意した。
二人の前に正座した眞備は、居住まいを正して、微笑もうとしたが、顔が引き攣っていた。
「今朝は、予定していた孟子ではなく、老子をお教えいたします」
首を傾げる阿倍、老子の名を知らなかったからだ。
由利は父・眞備が真に敬愛をしているのが老子だと知っていたので歓喜で眼を輝かせた。
「急の事で、書を用意出来ませんでした。この眞備の言葉に心を傾けて、良く聞き、良く覚えて下さい」
固唾を飲んで眞備を見詰める二人。
静かに口を開く眞備。
「すぐれた士は、武の心を持たない」
二人とも、心で復唱した。
「すぐれた戦士は怒りの心を発しない。よく敵に勝つ者は、敵を相手にしない」
阿倍皇太子は懸命に考えた。「眞備先生は何をわたくしに教えようとしてい
るのだろう?」
「良く人を使う者は、相手の下に出る。これを不争の徳と言う」
阿倍はようやく気が付いた。やがて天皇になるこの身に、民をすべる心得を諭しているのだと。
東(ひむがし)のかぎろひは益々赤く燃え上がり、西に傾く月が、悲しみに沈
んだ。
「兵をあげて攻めあうとき、悲しみを知る者が勝利を収める」
華厳・完 作・GOROU
参考文献 日本霊異記 続日本紀 万葉集