空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

青春の挑戦 22 (小説)

2022-02-06 13:55:23 | 文化



22
雨もやみ、宇宙人も去った。松尾優紀は車に乗り込んだあと、しばらく銀色の目をしたヒトは本物の宇宙人なのか、という不安にさいなまされたあと、ふと、今晩の通夜にAIロボット律子を連れて行こうと思った。彼は車で、会社に寄り、彼女を連れ出した。松尾は黒の喪服を着ていたけれど、彼女はベージュのスプリングコートだ。      それでも、良いと彼は思った。人の死を学習させるのに良い機会ではないかと思った。彼女は小さな箱を持っていた。
「その箱は何だい」
「インコのロボットよ」
「何だ。そんな玩具を持って」
彼はアリサ夫人の家にいたインコを思い出した。あれは素晴らしい生き物だったという思いが浮かんだ。
「先ほど、船岡常務が来て、『これを松尾さんに渡してくれ』と言われたの。」
「船岡常務が。何でそんな玩具みたいなものを。本物のインコのほうがいいじゃないか。」
「電気が入ると、本物と間違えるほどの、可愛らしさなんですって。それに、かなりの言葉を喋るだけでなく、平和の歌を歌うの、その歌の音質が素晴らしく良く、街角でやれば、人が必ず振り向いて耳を傾けるというの。」
松尾は森のそばで、車を止めると、彼女は箱を開けて中を見せた。
緑のインコがいる。彼女が後ろの電源を押すと、軽い動きをする。
それは生きているという感じだ。
しばらく見ていると、インコは生き生きとして、「今日は」と言う。
凄いと松尾は思った。人間では人間に近いアンドロイドが出来ているが、インコはロボットの需要がないのだ。本物の方がいいに決まっているという先入観があるのかもしれない。
松尾もそう思っていたから、インコは高級な玩具程度のものしか、ないと思っていた。

「インコのロボットで、何をしろということだろう」
「あとで、電話すると言っていたわ」
「どちらにしても、今晩はこれから大事なことがある。お通夜だ。しまいたまえ」
松尾は言うと、AIロボット律子は手さげを出して、箱をしまい、車は発車した。
通夜や葬式を見せ、人の死というものを教えたい気持ちがあったので、ためしにということもあって、律子を連れてきたのだけれど、その途中で、インコを見せられるとは。
葬式が終わってから、見せてくれればよいのにと、思ったが、彼女も人間ではないのだ。
そう思った途端に、松尾の頭にインコを商品にしろという意味なのかもしれないということが頭にひらめいた。どちらにしても、人間でないものを使わないと、平和を訴えられない世間の状況にちょっとしたいらだちを感じた。同時に、生きているようなインコの存在に何か深い意味があるのではと思った。
しばらくの間、沈黙したまま、松尾は運転した。
「うん。この原発の事故、恐ろしいと思うよ。まず、事故の規模が大きい」
「でも、チェルノブイリほどではないでしょ」
「確かにね。でも日本はソ連と違って、国土が狭く人口が多い。
まず、この事故は日本人の健康破壊を促進させる。この不安は社会不安をひきおこす」
「でも、それは一時的なことでしょ」
「それは違うよ。君は放射能の恐ろしさを過小評価しているよ。放射能は人間のDNAを傷つけ、ガンを引き起こすのだ。日本にある原発をとめて、自然エネルギーに切り替えなければならないだろうな。」
「あら、そんなことしたら、日本の電力は大丈夫かしら。あたしはそこまでしなくてもと思っているわ、もっと楽観的に事態をうけとめたいわ。人生は楽観的に生きた方がいいと誰かが言っていたと思うけど」
原発に関して、何でこんなに意見が違うのだろうか。やはり、AIロボットだ、平和産業の教育がどこか間違っているのだろう。もっと早く、冷静に議論し、正しい知識を持たせるように努力すべきだったのかもしれないと彼は思った。
沈黙が支配した。
雨の音が聞こえる。
「又、降り出したね。やんだり、降ったり  変な天気だ」

車になぐりつけるような雨足。夜の中に車のライトが光る。それらの印象はちょっと幻想的にも見えるが、外は意外と厳しい。なにしろ放射能の本降りだからな。松尾優紀はそんな風に思った。
 しばらくして堀川邸についた。雨に身体をふれないようにすることは意外と努力が必要だった。
 通夜は始まっていた。しかし、恐ろしい雨のためか名士である堀川のものとしては出足が悪かった。
松尾優紀とAIロボット律子はお焼香をして、控えに行った。そこに大山と彼の経営するNPOのメンバーがいた。皆 互いにうなずきあった。アリサ夫人も挨拶に来た。
アリサ夫人はこんな雨の中をまことに申し訳ないと一人一人に近づき、丁寧に挨拶をしていた。
「お父さん、もう奈尾市は天国でなくなったね」
誰かの子供がそう言っている。
確かにその通りだと松尾優紀は困惑した表情をしながら思った。つい、この間まで奈尾市は日本で最も公害のない住みやすい町だった。それが今は下からも上からも汚染が進む。下からは地下水を通って、IC工場のトリクロロエチレンの汚染が 上からは空に放射能が雨や風にのってやってくる。
以前の奈尾市はいたる所に地下水が噴き出ていて、それが飲める町だった。
奈尾市だけでなく、尾野絵市もこのあたり一帯はそうだった。それがZスカル‐ラのIC工場からのトリクロロエチレンがいつの間に こちらの地下の川まで流れ、今は上から放射能が来るというわけだ。天国が地獄に変化するようものではないか、人の心が仏界から地獄界まであるというのは聞いた話だが、地獄が顔を出すとは。
 

 翌日、昨日の雨は嘘のように美しい晴天になった。これまでのことは全て夢だったのだ。新しい希望に満ちた、素晴らしい未来が又 始まるのだというふうに人を思わす、すがすがしい朝であった。
 しかし、この日は堀川の葬式になっていた。昨日と比べてはるかに人が集まった。このあたりで活躍していた弁護士の葬式だけはあるという感じだった。
庭の桜の木が三分咲きになっていた。
 最後の別れ。堀川は一人、死出の旅路に急ぐ。人は誰でも死なねばならぬという当り前の事実を松尾は考えていた。
 人の一生とは何であろうか。丁度、舟にのって川を下るようなものではないか。舟というのは人間の肉体のようなものと考える。人生というのはこの肉体という舟に乗って、しばらくの旅をするようなものではないか。一切はこの舟のからくりの中でおきる。人も同じ。肉体が死によって消滅すればこのからくりも終わる。心というのは舟の中で見た景色のようなもの。舟に乗っている『我』というのは本来、無我であって、舟にのって初めて、自分というものを意識する。
 人は死ぬ。そして又、次の舟に乗らなければならぬ。
 アリサ夫人は静かに泣いていた。そして沈痛な顔をしたアリサの父。兄の堀川春介が葬式の挨拶をしていた。弟の堀川善介よりも背が高く、そして赤ら顔で陽性の顔付きをした兄も厳粛な顔をしていた。
松尾は葬式の間、死の意味について考えると同時に、船岡常務から言われたイタリア行きについても考えていた。伊方浜の原発の責任者ということで、Zスカル―ラ工業から何人か来ていた。
 この放射能汚染が奈尾市や尾野絵だけでなく、広島地方一帯に深刻な影響を与えることは目に見えている。しかし、全てが後の祭りだ。もはや、放射能はばらまかれたのだ。
「今日は良い天気になったね」
大山は松尾に近づいて来て、そう言った。その時、棺が家から運び出されて来た。沈黙がちだった見送りの群衆が一瞬、ざわめいた。
 AIロボット紀美子が号泣した。やはり服装は通夜の時と同じだ。喪服は平和産業に用意していなかったのだ。
その場でいた人で、ロボットと気づいた人はいないようだと、松尾は思った。彼女は感情をもったのだろうかと錯覚するほどだ。人の死に直面したようなこういう場面で泣くのがいいということを彼女は知っていることは確かなことだ。
それにしても、あまりにも真にせまる泣き方に驚いた。
「可愛そうに!」誰かがそうつぶやいた。
「本当に」
中野静子が相槌を打った。松尾は静子を見た。喪服姿の静子は清楚な雰囲気を漂わせていた。
 霊柩車の背後の庭には、大輪の薔薇がいくつも咲いていた。



平和産業の平和ビジネスが海外に出たのは、そういう意味の意見が親会社のルミカーム工業の船岡取締役から出されたからだ。
小さな支店がヴェニスに作られ、田島と改良されたロボット菩薩が先に行っていた。温暖化そして核兵器をなくすというスローガンに相応しい場所としてそこが選ばれたのだろう。これで、松尾のヴェネチア物語と映像詩が完成され、世界に発信され、観光客の中で再びロボット菩薩と田島と自分の三人で「核兵器をなくそう」と叫んでみれば、ニュース性もあり、株式会社ルミカーム工業のロボット技術をヨーロっパに宣伝できるという判断で、船岡取締役の後押しがあったと思われる。
ロボット「インコ」の商品の使い方も船岡は松尾に電話で教えた。インコは既にヴェニスの支社に商品として「五百羽」送ったから、ロボット菩薩とセールスする時、その鳥も売ってほしいと。聞いているだろうが、本物そっくりで平和の歌を歌う、細かい指示はみな田島君に言ってあるから、聞いてくれという話だった。
       
ブルーのジャケットというラフな服装をした松尾優紀は飛行機に乗って自分の席につくと様々な思いが起こった。その中で長く心を占領したものに法華経にある火宅のたとえをめぐる思索があった。大きな屋敷の中で戯れている子供、これこそ衆生としての人間である。そして周りに火事が起こる。この火事から子供達を救うために仏はなんとかしてこの屋敷の外に連れ出そうとする。確か、そんな物語だった。

現代日本では、安全神話を信じ、経済の繁栄に夢中になっていて、周囲の自然破壊、原発の増加、気象異変に気づかずにいたということがあったのではないか。
玩具に夢中になっている法華経の中の子供達のようなものではなかったか。 そして原発の事故が追いうちをかけ、放射能が風や雨と一緒に奈尾市や尾野絵市まで運ばれてくる。 あのような恐ろしい破局が来る前に打つべき手がなかったのであろうか。彼はそう自問自答した。『地下水の汚染』や『原発』を防ぐような場合には多くの人の力の応援が必要なこともある。ともかくも もう少し早く気づき尾野絵市の外で展開されていた大火を消す方法があったのではないか。
 彼はそんな風にとりとめのない考えに耽っていた。法華経は火炎に包まれた屋敷の外に出ることを勧める。


この火炎が煩悩の火を意味するならばこの屋敷の外とは煩悩の外、つまり解脱と悟りを意味する。『地下水の汚染』や『原発事故』』を引き起こしているものが人間の進歩への幻想から起きているとするならば、この単純な便利さと進歩への信頼 スピード、生産能率こうしたものを信じるということこそ、人間の煩悩の総和、火炎の象徴ではないか。我々の多くがこの火炎の外に出て、もっと平和な悟りの中に入るようになっていれば地下水の汚染も原発の事故もおきなかったのではないか。
火炎の外に出れば、つまり煩悩の外に出れば、核兵器の軍縮もできるのではないか。火炎の外に出れば、そこは浄土である。全世界はというべきか、全宇宙は一個の明珠だと言ったのは道元だが、無と無限の両方を含む虚空のような珠という宇宙の中で幻のように森羅万象が現われてくる。その大自然の中で、人は戦争や原発事故など愚かなことを幾度すれば、この一個の透明な水晶のような世界はにごりのない美しい平和な花園になるのであろうか。
 松尾優紀はアリサ夫人の言葉を思い出し、ジェット機の中で、堀川善介の日記のコピーを広げた。その間に中野静子とアリサ夫人の手紙が入っていた。彼は微笑して封を切った。彼は最初に、中野静子の手紙を見た。
「今日は。松尾優紀さんはヴェニスで、核兵器反対と温暖化阻止ののろしをあげるのですね。そういう平和産業のお仕事で行くのですから、のんびりとゴンドラに乗ってあるいはサンマルコ広場で観光ということではないことはよく承知しています。人類の危機ということは、私には分かっております。
それに取り組む平和産業で、あたしもその一員になれたのですから、影ながら応援していますね。お仕事が軌道に乗るまでは、お帰りにならないでしょう。
今ですから言いますけど、もしかしたらあたし 貴方が好きだったのかもしれないと空想しますのよ。あなたにとって、大切な方の葬式から数ケ月しか立っていないのにこんなことを手紙に書くなんて。

でもこの思いは貴方にお会いした始めの頃から抱いていた感情でした。でも、あなたの心はどこか別の方を向いているように思われたのです。

今はもしかしたら今の「あなたは」あなたの持っていらっしゃるインコの中に、
秘密があるかもしれませんね。何しろ、インコの外見は本物と変わらないというのですから、それに、平和の歌までプロ並みに、歌うとか、人に訴えるミニ演説までするのでしょう。それは魅力的なインコなんでしょうね。

あなたはいずれ日本にお帰りになるのですから、どこか別の方向に向いているあなたの心をあたしの方に向けさせるのに、やはり私の方から愛の告白をしなければならないと思ったのです。
しばらくのお別れですね。お仕事、うまくいくことを祈っています」
松尾は静子の手紙を丁寧にたたむと、頭にヴァイオリンを弾く静子の凛々しい姿が浮かんだ。それから、堀川(島村)アリサの手紙を広げた。
『松尾優紀さん。これをお読みになっているのはおそらく飛行機の中ではないかと想像しています。雲海を見て、しばらく下界のことを忘れるのも楽しいかもしれませんね。あまりにも嫌なことが昨近、続きましたからね。でも、イタリアに行くなんて うらやましいですわ。あなたの物語にあるように、美しい踊り子に夢中にならないように。
 なんともいえない、貴方の羨ましい境遇にあたしが嫉妬しているのかもしれません。地上のこと、奈尾市のことを貴方に思い出させようとしているのですから。
 
 お別れですね。さようなら。貴方は尾野絵に帰っていらっしゃるのかしら。私にはなぜか貴方がもう永久に帰ってこないような錯覚に苦しめられて困っております。何故だか分からないのですが、あまりにも今の日本の現状はひどすぎますからね。人々は飲水の不安を抱かねばならないし、雨に濡れないように気をつかわねばなりませんもの。
 あたしの子供の頃の奈尾市はそれはそれは天国といっても良いような 懐かしい思い出で埋まっているのですよ。自然に溢れたこの奈尾の町。なつかしい奈尾市。それも今はありません。どうしてこんなことになってしまったのかしら。悲しいわ。
 あら、ごめんなさい。愚痴ばかり言って。
このあと、ぜひ堀川の日記を見てやって下さい。あの人の無念の気持ちを友達として察していただければと願わざるを得ません。
 それではさようなら。お元気で。万感の思いをこのペンに託して。
神仏のお守りが人類の上にありますように』


 松尾優紀の目に涙がたまった。その涙の向こうに、水の都ベネチアが見えた。そこでエル・グレコの描いたマリアとアリサ夫人の顔が重なった。スペインの画家は彼の頭の中でベネチアの町と重なった。グレコはアリサ夫人を描いたのではなかったか。永遠のアリサ夫人を描いたのかもしれないと彼は思った。その永遠なるものに自分はずうっと心を引かれていた。ベネチアに憧れている自分の心の中の深い感情はアリサ夫人に魅了されているものと同一なのではないか。ともかくも自分はベネチアという永遠のアリサ夫人にあと数時間後に会えるのだと思った。そう思うと熱い感動が心を揺さぶった。そして彼は堀川の日記のコピーに目を通した。堀川の男っぽい、しかも達筆で少し、崩した字が白い用紙に並べられていた。松尾は静かにその字面を追っていった。平凡な記録の中におやと思わす文章にぶつかり、彼はそこを何度も読んだ。
 『 三月十日   今日の調査は収穫があった。やはりZスカル―ラはうそをついている。うそでなければ無意識にそういう言動をしいられているとでもいおうか。内部告発した職員の自殺、そしてZスカル―ラの原発の事故これらはみな底の所でつながっている。さて、視点は違うが人類は生き残れるか。原発は原爆と底でつながり、その核兵器は今も発射寸前の実戦配備についている。その数は何千発という恐ろしさである。不幸にも広島、長崎で放射能の恐怖を経験してしまった日本こそ、核のない世界、脱原発をめざす世界のイニシアチブを取るのにふさわしい国なのではないか。それには、アメリカと話し合い、中国と文化と平和の交流をし、核なき世界について徹底して話し合うべきである。十四億の人達が隣に住んでいるのだ。漢字も漢詩も仏教もその隣から来たのに、不幸にも今は政治的ににらみ合っている。長い歴史を考えると、やはり両国の友情を大切にしようと思ってしまう』

不思議なことに、これを読んだあと、彼の心にヴァイオリンをひく中野静子の姿が浮かんだ。彼女のヴァイオリンの音色は耳に焼き付いていた。どこまでも、天界に自分を引っ張るように彼女の手が自分の手に触り、彼女の顔はグレコのマリアとは少し違って、東洋の観音菩薩のように深い旋律に満ちているではないか。松尾は静子に対して、初めて静かに恋慕の情を感じた。思春期のアリサに感じたあの激しい恋の感情が徐々に燃え上がるのをじっと彼は感じていた。

 松尾優紀はスチュワーデスの美しい声に促されて、ふと見るとアラスカのマッキンリー山が眼下に見えた。それは不思議な気持ちだった。自分は孫悟空にでもなって宇宙遊泳でもしているように思えた。


 一切は神秘な虚空から創造され、そして又 虚空に戻る。この神にも匹敵する創造の働きは東洋では仏性と言われ、今も自分に働き、永遠に自分を創造していくだろう。彼はそう思った。もはや死は恐れる敵ではなかった。

【完】




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[久里山不識 ]

これで、「青春の挑戦」という小説は終わりです。高齢と体調も考え、このブログは しばらくお休みしたいと思いますが、何か軽いエッセイのようなものが書けたら、突然、掲載するかもしれません。今まで、読んでいただいた方には感謝いたします。


それから、今日のブログの最後に、掲載したナターシャ・グジーさんの歌にあるドニエプルはドニエプル川を指していると思うのですが、私は二十代の頃、このドニエプル川をバスで渡ったことがあります。
この旅行はロシア文学の好きな友人に誘われて、行ったのですが、今でも橋を渡る時の雄大で美しい川をありありと覚えています。両岸には修道院などの歴史的建造物があったようです。
例えて言えば、北海道の雄大さと京都の古都の風格を合わせている所に、大河が流れているという感じでした。ウクライナとロシアは当時、同じ国でしたから、今のように、戦争寸前の雰囲気を見ていると、悲しいです。早く平和な状態に戻してほしいと思っています。
ロシアの大統領が言っているように「本格的な戦争になれば、勝者はいない」と言って、核戦争の恐ろしさを匂わしています。それは、日本にとっても、深刻な問題で、周囲に核兵器のない状態にするには、話し合いしかないと思います。核均衡論で平和を保つというのは、理屈では分かりますが。それでは、軍拡競争になり、いつか破局がくるでしょう。
それは、ともかく、国を守ろう、平和がいいという気持ちはみな同じです。【これは日露戦争や太平洋戦争前と基本的に違います】
我々は戦争をしてはいけないということを学習したのです。日本人どおしで、口喧嘩しても、意味がありません。平和にしたい、子供達のためにも、平和な日本にしたいということでは、みんな同じなのですから。
まず、平和という意味においても、憲法九条を守ることにより、日本が平和の話し合いの指導権を握って、説得力を持つ立場にたち、話し合いのテーブルに付かなくては思うのです。
平和の話し合いの強い指導権を握るにはどうするかについては、色々あると思います。
それも、議論や話し合いです。
今度のロシアとウクライナの問題でも、若いフランス大統領の活躍が期待されているようですね。日本も若い人がもっと積極的に話し合い、憲法九条を守る意味について考えを深めていくことが必要だと、私は思います。