移動するには石炭で動く蒸気自動車か馬車しかない。路面電車をつくれという意見もあるが、今のところ、電気の技術の開発のめどがやっとたった段階で、実現は無理のようだ。伯爵は四頭立ての馬車と、エンジンに石炭という蒸気自動車の両方を持っているようだったが、この日は我々の希望もあって、馬車で行った。
町は広い自動車道路に大量の排気ガスを吐き出す大型の奇妙な蒸気自動車があふれ、空気は淀んでいるようだった。馬車は大通りをしばらくゆっくり行き、途中で横の広い通りに入り、そこから川のそばの通りを走った。そこは車は通行禁止になっているようだったので、馬車は少し速めに走った。川は汚れていて、いくつもの廃棄物が浮かんで見苦しかった。
吾輩は葛飾北斎や歌川広重の絵が好きだったから、もう少し町の美観を考えた街づくりができないものかと思ってしまうのだった。
吾輩の好きな絵がまぶたに浮かんだ。満天に星という美しい夜に、大きな緑の松の枝が青色の川面に下がっている。あたりは、素晴らしい江戸の静けさが漂っている。木造の橋の上の方に、満月がある。月の下は隅田川の美しい青色が広がり、橋の上には提灯を持つ色々な人たちが行きかい、沖合には漁り火が点々と並んでいる。
しかし今は銀色の弓形のレインボーブリッジと高いビルの見える綺麗な川に変身している。
どちらに比べても、馬車で走るこの惑星の道は薄汚い煉獄の街角のようにも思えてくる。
伯爵の話によると、建物はみな会社などで、外から入ることは出来るが、実際の店舗や企業そのものは地下に多く存在しているようなものだという。
確かに、この町は地下の街なのだ。外は移動に使うだけというのも、強い紫外線と暑さの二つで、地上は使えないわけではないが、長い歴史の過程で、地震が少ないこともあって、地下は安全というイメージが定着したといういきさつもあるようだ。
監獄は町のはずれにあった。比較的刑の軽い者が入っている所ということだった。伯爵はいつもの正装で出かけた。吟遊詩人と吾輩と若者モリミズがあとに従った。
銀河鉄道の乗客の観光の一環という触れ込みだった。伯爵は案内役。一番軽い監獄なら、それもそんなに不自然ではないと伯爵は言った。以前にもこの監獄は観光客が見に来ている。
馬車から外に出ると、熱い風が我輩の頬をなでた。何かキーという鳥の声が聞こえ、どんよりした雲の下をインコのように赤い小さな鳥が飛んで行った。外は、厳しい日射からくる暑さ。何かもやっとした黄色みを帯びた悪臭を放つ空気の流れがあちこちに漂っていた。
トパーズ色の:堅固な監獄の入口を入ると、日射がなくなり、ほっとした。汗が噴き出してきたので、ハンカチを出して、手でぬぐった。
例のサルの彫刻があった。茶色の肌をしたサルは威厳のある顔つきをして、大きな石の門の上に座っていた。
サルはハルリラに微笑した。少なくとも吾輩にはそう思われた。
「ようこそ」という声が聞こえる。
空耳のような静かな口調だった。だが彫刻にそんなまねができるはずはないと吾輩は思ったが、ハルリラはうれしそうに豪快に笑った。
受付の所に、兵隊が三人いた。上官らしい口ひげをはやした鹿族の青年兵士が薄手のカーキ色の制服を着て、立っている。
「身分証明書を」
「わしを知らんのか」
「知っております。ウエスナ伯爵閣下です。身分証の提示は規則ですので」
「分かった」と伯爵は言って、胸のポケットから証明書を出した。
「どんなご用件で」
「猫族の娘が逮捕されているとか。」
「はい、確かに」
「アンドロメダ銀河鉄道の乗客だろう。どんな犯罪を犯したのか」
「ああ、そうなんですか。私はそういうことは聞いておりません。鹿族の男と喋っていたとかいう容疑なんです。」
「その鹿族に何か問題があったのか。君も鹿族だろ」
「はあ、そうなんですが。彼はパンを大量に万引きしたというのですよ。何か仲間がいるらしく、そいつらにも持っていこうとしたふしがあるので、その鹿族の男も逮捕しました」
「彼女は」
「取材とか言っていますけど、まだはっきりしていません」
「そうか。彼女に会わせてもらえんかな。こちらの方は、アンドロメダ銀河鉄道での友人なのだ」と伯爵は我々を紹介した。
吟遊詩人と吾輩は銀河鉄道の印となるカードを見せた。
「閣下のお頼みとあれば、」
我々はそういうわけで、地下に入って行った。堅固なドアを兵士はガラガラと音をたてる大きな錠を使い、開けると、薄暗い廊下がずっと続き、その廊下ぞいに独房があるらしかった。廊下の中も日差しがないだけ助かるが、熱いことに変わりなかった。
その廊下を過ぎ、さらに急な階段を降りると、次の廊下と独房が続いた。独房のドアには、青いプレートがあり、番号が書いてあった。
「猫族は地下三階になっています」
そこの廊下の入口に来ると、猫の写真が飾ってあった。
吾輩は猫族のヒトでなく、猫そのものの写真になんとも言えない郷愁を感じた。
「317号です」と兵士ははっきりした口調で言った。
「この独房は地下何階まであるのかね」と伯爵が聞いた。
「地下五階です。ただ、地下五階は兵隊の寝室にもなっています。我々も交代すると、そこで休めます」
なるほど、この国では、地下深い所の方が高級だということだ。地下の方が冷房がなくても自然の涼しさがあるということなのだろう。
「君等は自分の部屋を持っているわけか。酒は好きかね」
「好きですが」
「買うのはどこで買うのか」
「地下のドアから抜けると、地下街に出ますので、そこから五分ほどに酒屋があります」
「そうか。彼女のドアを開けたら、この金で飲んでくれ」
「え、でも、それをやると、勤務違反になります」
「他の兵隊分の酒代も渡しておく」
「はあ、でも」
「彼女の容疑は鹿族の男と喋っていたということだろう」
「はい、そうです」
「取材なのだよ。そんなことで、銀河鉄道の乗客を逮捕すると、宇宙鉄道法にひっかかって、あとが面倒なことになる。
よく、相手を確かめて、法律に基づいて逮捕することだ。裁判所の令状も必要なのだぞ。ただ、怪しいというような主観で逮捕してはいかん。それが法の精神というものだ。
この国もカントの平和憲法にある基本的人権を根付かせる必要がある。そうは思わんか」
「カントの平和憲法。基本的人権。初めて聞くので、勉強しなければならないと思います」
「そうだ。素晴らしい憲法でね。カント九条のことも宇宙インターネットを使って勉強したまえ。宇宙で、あれほど平和の尊重を具体的に定めているのはまれだと思う。カント九条は地球にある日本国憲法九条をそのままそっくり取り入れたものだ。両方とも宇宙の宝となる素晴らしい条文だよ。基本的人権については、今度、警察署の署長会議がある時に、わしから言っておく」
「分かりました」
兵士は鍵でドアを開け、伯爵から金をもらい、敬礼をして、地下の下の方に行ってしまった。
虎族の若者モリミズが最初に独房の中に入った。「ああ、良かったね」と言った。独房の中はベッドがあり、彼女は毛布の上に黄色っぽい囚人服を着たまま横たわっていたが、モリミズを見ると、飛び起きた。
「あら、あなただったの。あたしは取材していたのよ」
「監獄で」
「そうよ。この惑星の監獄がどんな風か取材していたのよ。不可解なことをやっているのよ。近くで死刑囚の執行がされると、鐘がなり、それが連絡の合図でオオカミ族の看守が来て、ドアの細い窓からピストルの弾を一発打ち込むのよ。脅しよね。脅しでも、弾にあたって死んだり、怪我することがあるのだから、悪質よね。でも、この間、不思議なことがあったのよ。鐘がなったあと、ドアの前にすらりとした美しい女の人が立っていて、看守を平手打ちにしたのよ。それから、ドアの窓から、私の方を見たの。緑の目をした神秘に輝く色よ。あたし、あんな素敵な目を見たことがない。看守は慌てて、ピストルをうったけれど、方角違いで弾は天井の方に行ってしまったわ。」とナナリアが言った。
「魔界の知路だ」とハルリラが言った。
「面白い人ですね」と我輩は言った。
「面白いものか。魔界の女だぞ」
「どうして魔界と断定するのですか」
「思い出してご覧。最初に彼女を目撃したのは、邪の道だった。それに、彼女の豊かな金色の髪の毛の下に隠れてよく見えないが、二つの小さな銀色の角がある。」
「何か深いわけがあるのだよ」と吟遊詩人は言った。
詩人は優しい微笑をしていた。ウエスナ伯爵が厳粛な顔をして、ナナリアの前に出て言った。
「看守のピストルのことは、知らなかった。けしからん話だ。それはともかく、君が無事でよかった。皆、心配していたのだ」
「あら、すみません。ご心配かけまして。ありがとうございます」
こうして、我々は馬車で、伯爵邸に戻った。
それから、夕食どき、ウエスナ伯爵が珍しく、顔を出した。
「皆さんは、隣のカナリア国に避難するお気持ちはありませんか。ここしばらく、動乱の嵐の時が来る。既に、巌窟王とお嬢さんはカナリア国に行っている。あなた方もいかがですか」
吟遊詩人は同意した。
伯爵はさらに言った。「ともかく、この国の民衆は貧しい。我々が立ち上がらなければ、いつまでもこの国の貧しさは続く」
吾輩は伯爵のその言葉を聞いて、良寛の和歌をふと思い出した。
「夜は寒し麻の衣はいと狭し
うき世の民になにを貸さまし」
ひどく寒い思いをしている良寛はその中で貧しい民衆を救えない自分を嘆いているのだろうか。吾輩はこのひどく暑い国で、そんなことを考えた。
我々は巌窟王の後を追うようにして、カナリア国に一旦、避難することになった。カナリア国へは海を渡らねば行けない。カナリア国は大統領制で、民主主義の国である。
ウエスナ伯爵は革命勢力の指揮官の一人なので、とどまることになった。
海は地中海のような感じで、ちょうど、イタリアからエジプトに渡るような船旅に似ていると吾輩は思った。カナリア国はロイ王朝の二倍近い広さがあるということも宇宙インターネットの情報で知った。まあ、ロイ王朝にすれば、隣の大国で、隣に逃げた者を追うことは出来ないのだろう。
それまでは恋の勝負では、軍配は吟遊詩人に上がるかと、吾輩は期待もした。一方、このシクラメンと吟遊詩人が結婚することになれば、カナリア国にとどまり、吟遊詩人の旅は終えるわけで、吾輩とハルリラのアンドロメダ銀河鉄道の二人旅となる。それも寂しいと複雑な気持ちはこの上もなかった。
それから、もう一つの人間関係もややこしい。
吾輩と若者モリミズ。そして監獄から助け出された取材中の猫族の娘ナナリア。これは三角関係なのだろうか。吾輩の気持ちしだいなのだろう。虎族の若者が懸想していることは確かだ。
吾輩の胸にも長い旅の中で、ふとめぐりあった一輪の花という趣がある。吾輩にはやはりあの良寛の貞心尼を待つ和歌が思い出される辛さがあった。
「君や忘る道やかくるるこのごろは
待てど暮らせど訪れのなき」
そばにいるのに、良寛と似たような心境というのも何か奇妙な感じがしたが事実だった。それにしても、吾輩の胸の中では、結論は分かっていたのだ。
モリミズとナナリアのことは彼らにまかせ、吾輩は、吟遊詩人の気持ちだけを心配している、それが取るべき道なのだと。
カナリア国に渡ることになった。
ハルリラの船の上での行動が吾輩の心をひいた。地球よりも小さいが黄金の色に近い満月がさえわたり、降るような星の光と夜の闇の中で、ハルリラは奇妙なことに珍しく剣をぬいて突きの練習をしていた。船の甲板の上には、夕涼みに出ている人が二・三見かけるだけで、誰もハルリラのことを気にしている風にも見えなかった。
ただでさえ暑い気候なのに夜とはいえ。そんな宙を突く練習をすれば汗をかくだろうと、吾輩は思った。思った通り、ハルリラはハンカチを取り出し、時々額の汗をぬぐっている。
そして又、剣で宙を突く。運動不足を補うためという理屈も思い浮かんだが、ハルリラの心の中で、何か嵐が吹き荒れていることを感じた。
吾輩は彼に声をかけて近づき、月光の元で、波の音を聞きながら、ハルリラと肩を並べ、静かに語った。
「運動もいいが、汗をかくだろう」
「ふふう。夜の船の上の剣の突きは気持ち良い。それに月の光がわが心を洗う」
「何か悩み事でもあるのかい」
「悩み事。ハハハ。その悩み事をこの剣で一突きして、つぶしているのよ」とハルリラは笑った。豪快な笑いだった。満月がハルリラに微笑しているとも錯覚した。彼の魔法だろうか。波の音も気持ち良かった。
何故か、吾輩の頭に、ナナリアの清楚な姿が浮かんだ。吾輩にとっても同じ猫族、宝石のように彼女の存在は輝くのだった。
【つづく】
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