きまぐれ、かっちゃんねる。

福知山生まれ。北近畿全域に出没中。
自分の手で作り、育てることの素晴らしさを
ずっと忘れずにやっていきます。

少年時代の思い出・・・☆  北丹鉄道の頃

2009-01-25 01:24:51 | 気分は・・・みんてぃあ♪

BS朝日の「レールがあった街」で「北丹鉄道 ~由良川の河川敷に消えた鉄道~」が再放送されました。 


    トンネルは今でも残っている

なーんとなく昔の記憶がよみがえりました。
小学生の頃、実家の近くを走っていた「北丹鉄道」は、地元では「北丹線」と呼ばれていました。
スピードが遅く、小学生のボクたちがおもいっきり走っても追いつけるくらいの早さです。
当時、実家あたりでは養蚕がさかんで、(何百軒あった養蚕家も今では2軒だけですが・・・)桑を運ぶリヤカーが線路を横切るとスピードをゆるめ、ときには止まってくれることもありました。
線路は草だらけで、バラストなんて見えません。しかも、見た目でも、線路がゆがんでいました。洪水のときは乗客を乗せたままで立ち往生するときもありました。乗ったらギシギシと壊れそうな音で、まさにオンボロ列車。お客の数も少ないのですが、鉄道員たちは一生懸命でした。


゜+。:.+。(*´p∀q`) o【・゜・☆★┣¨キ┣¨キ☆・゜・】

そんな、ある日のことです。線路の横で悪ガキ4人組で「だんじん」(いたどり)をとって遊んでいると、ゆらゆら揺れた「マッチ箱」のような列車がゆっくりと近づいてきました。そのとき、ボク達はちょっと悪いことを企みました。「北丹線の車両を真下から見てみよう!」近くには街を水害から守る「水門」があり、それと平行して「下荒河の橋梁」がありました。よからぬ冒険はそこで実行されました。その鉄橋の橋桁を渡り、レールの隙間から橋脚に降る・・・。4人ではちょっと窮屈・・・。音がだんだん近づいてくる・・・。
まもなく列車が頭の上を通過しました。「何か落ちてこないだろうか(汚いものとか)」不安と期待を抱きつつ、ゆっくりと、がたごとと、キーキーと、いろんな音を立てながら通過。普段は見えない車両の下というベールに覆われた部分を4人は食い入るように見ていました。感動ものです。一生に一度の体験です。(小学生なのに?)
あとで思いましたが、運転手からも橋脚に降りるボク達の姿は見えてたんじゃないだろうか。
いや、ぜったい見てたはず


福知山から大江山の麓、河守に至る草むした路線「北丹鉄道」。軍港として発展していった舞鶴に路線までとられた宮津にとっては、福知山までの鉄道は悲願で、それは福知山市民にとっても同じ気持ちでした。経営難からやむなく廃線となりましたが、第三セクター「北近畿タンゴ鉄道」宮福線として立派にその夢は実現。福知山から宮津への鉄道は完成しました。それは明治から数えて100年目の地域の執念でした。


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