春の彼岸のさなかです。
お彼岸になると、私の念頭に真っ先に浮かぶのは、「般若心経」の真言です。
般若心経は、観世音菩薩が、釈迦の一番弟子のシャーリープトラ(舎利子)に、万物は「空」(くう)であると説き、最後に「真言」を授けるという物語仕立ての短い経典です。
日本人に最も親しまれ普及しているお経と言われますが、果たして、般若心経の「真言」の意味内容を理解している方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか。
真言の文言は、「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提娑婆訶(ぎゃてー ぎゃてー はらぎゃてー はらそうぎゃてー ぼーじーそわか)」というものです。
この文言は、原文のサンスクリット語の発音を中国語(漢語)に「音写」したもので、より正確に日本語表記すると、「ガテ― ガテー パーラガテー パーラサムガテー ボーディー スヴァーハー」となります。
この真言の意味は、次のようなものです。
「往(い)った者よ、往った者よ、彼岸へ往った者よ、彼岸へ往ってしまった者よ、悟りの上に幸いあれ。」
つまり、亡くなった者への供養の言葉です。
これが、一体なぜ真言なのでしょうか。ここが一番大切な点なのですが、あろうことか、日本では、この真言の意味を深く問うことなく、観世音菩薩が授けた真言だから「呪文」のごとく唱えることが大事であり、「音」や「文字」に利益(りやく)、霊験、効果があるとする神秘主義的解釈が、まことしやかに今でもなされています。
かつて、NHKのテレビ講座で「般若心経」を解説した仏教学者の佐々木閑氏は、「羯諦羯諦の部分についての意味は・・・ ご覧のように大した意味はありません。意味があろうがなかろうが、とにかくこの文言を口に出して唱え、文字にして書くことが大切なのです」(NHKテキスト)と、述べていました。
冗談ではありません。これはNHKの講座ですから、何人の方がこの説明をそのまま鵜呑みにしたことでしょう。
仏教は、あくまで「教え」であって、呪術や神秘主義ではないのです。
般若心経の真言には、重要な意味があり、意味があるからこそ、まさしく「真言」なのです。
そこで、あらためて、真言の意味を問うてみましょう。
「往(い)った者よ、往った者よ、彼岸へ往った者よ、彼岸へ往ってしまった者よ、悟りの上に幸いあれ。」
亡くなった者へのこの供養の言葉が、なぜ真言なのでしょうか。
私たちは、亡き人を偲び供養するとき、悲しみの中にも結論として、「いつまでも悲しんでいるばかりではいけない。亡き人の分まで、自分が前向きに生きていこう」という決意と感謝の念を、必ず授かるのです。
つまり、亡き人への供養の真言の裏には、
「生きる者よ、生きる者よ、今を生きる者よ、今を生きている者よ、迷いの上に幸いあれ。」
という、亡き人からの力強いメッセージが隠されているのです。
亡き人を供養することは、ほかでもなく自分自身が前向きに生きるパワーを授かることに、ほかならないのです。
観世音菩薩は、亡き人の供養の大切さを「真言」として授けることによって、じつは、その先に開ける「みずからが力強く幸せに生きる道」へ、人々を導いているのです。
以上、お彼岸に当たり、「般若心経」の真言の意味について、述べさせていただきました。
私も、1月に亡くなった弟の冥福を祈り、自分自身が前進するパワーを授かりたいと思います。
合掌
(写真上)© 「般若心経」額装色紙(京友禅 型紙彫刻師 青山氏作の版画)
(写真上)© 同上、拡大部分写真。ルビ付きの細密な版画。3行目に、おなじみの「色即是空」の文字。
(写真上)© 南無観世音菩薩(第42回 掲載写真に同じ)
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