奥武蔵の風

4 その名も威厳の多峯主山

 多峯主山(とうのすやま)。多くの峰の主とは、何と威厳(いげん)のある山名でしょう。高山の連なる奥秩父にではなく、奥武蔵の入り口に、こんな名前の山があるとは、意外です。おまけに、読み方も特殊ですから、奥武蔵の地図に、この魅力的な漢字の山名を見つけてオヤッと思っても、すらっと読める人は少ないと思われます。発音は「トーノスヤマ」で、「とおのすやま」とフリガナを振られることも多いのですが、古文書には「とうのすやま」とありますから、ここでも「とうのすやま」と表記しておきます。

 多峯主山は、標高 271メートルと、初心者向きの低山に属しますが、山頂からは、ほぼ東隣の天覧山(てんらんざん)越しに、飯能市街から、所沢、さらには遠く新宿・池袋方面を眺望することができます。南には青梅(おうめ)の山々、西から北にかけては奥多摩・奥武蔵の山並みが連なり、天気が良ければ、南西方向に富士山頂が見えます。史料によると、このあたりでは一番高い山だから、というのが山名の由来のようですが、なるほどと頷(うなづ)けます。

 山頂には「石経供養塔」(せききょう くようとう)と彫られた古い石塔が立っています。傍らの埼玉県の説明板によると、経文(きょうもん)を書いた約1万2千個ほどの河原石がこの石塔の下の「経塚」(きょうづか)に納められていて、銘には「明和二年」(1765年)と彫られているそうです。

 河原石とは、南の麓(ふもと)を流れる名栗川(入間川)の河原の石を指すのでしょう。万を超える河原の石に写経をして「石経」を作り、この山頂に「経塚」を築いてそれを奉納したというのですから、当時の麓の住民が、多峯主山をいかに崇高な山として信仰したのかが、うかがえます。多峯主山という威厳ある山名には、単に地域一の高さという以上に、当山に対する古(いにしえ)の人々の純粋な崇敬の念が、込められているに違いありません。

 今は、北側と西側の中腹近くまで大型の分譲住宅地が迫っていて、市街地に近い山になってしまいましたが、地元の尊い信仰の山であることに変わりはありません。私自身、ハイキング気分で気軽に登る身近な多峯主山ですが、山頂に着いたときには、何よりもまずこの古い石塔に、必ず合掌することにしています。

 

(写真上)©山頂の石経供養塔

(写真上)©埼玉県が設置した「多峯主山と経塚」の説明板

(写真上)©山頂へ向かう石段

(写真上)©西武池袋線 高麗(こま)駅のホームから南の正面に見える多峯主山

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