東日本大震災から14年。
あの日、テレビニュースを見て、福島県浜通りに住んでいた娘に「大津波警報が出たから、海に近づかないように!」とメールを送ったところ、すでに現地では情報を得る手段が断たれてしまっていたようで、「今の地震、どこで起こったの?」と、娘がすぐに問い返してきたことが、思い起こされます。
その後、原発事故の実態が明らかになり、娘は婚約者とともに命からがら、わが家に避難してきました。
あれから、14年。この間、各地で大地震が起こり、南海トラフ地震や首都直下地震の可能性も警告されています。しかし、人口の東京一極集中は進むばかり。コロナ禍にはテレワークの必要性が叫ばれましたが、のど元過ぎれば熱さ忘れる、の感。
東日本大震災の時に感嘆したのは、宮古市姉吉地区では、「ここより下に家を建てるな」と石碑に刻まれた先人の教えを守り続けた結果、津波で被災した家は一軒もなかったという事実でした。先人たちは、子孫に同じ災難を経験させないために、住み慣れた場所から高台への移転を決断し、後世への戒めを石碑に刻んだのでしょう。
災害が繰り返される恐れのある土地や、災害がひっ迫していることが明白な場所からは、災害が現実化する前に「完全避難」を済ませることが、最善・最強の防災対策であることを、先人たち(歴史)は教えてくれているように思います。
未来志向で、起きる前にできる備えを!
参考:宮古市姉吉地区「大津浪記念碑」の全文
大津浪記念碑
高き住居は 児孫の和楽
想へ 惨禍の大津浪
此処より下に 家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも 津浪は此処まで来て
部落は全滅し、生存者 僅かに 前に二人 後に四人のみ
幾歳 経るとも 要心あれ
(写真上)© 震災後にオープンしたイオンモールいわき小名浜。防災を考えて設計されている。
(写真上)© 同上
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169 防災別邸の勧め
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