マントの介護日記

レビー小体型認知症&パーキンソン病の
主人を介護して、たまに人工股関節になった
マントの日記も綴ります!

婆ちゃんが歩んだ人生 その後!

2012年05月19日 | 介護日記
こんにちは御座います  マントで~す 



文章を書き込むのが苦手な私

それと昔のことなんて私も忘れ掛けているのに

婆ちゃんに記憶を思い出してというのも無理な話しですよね

でも何かを残してあげたら また後で読み返すことが出来ます 頑張るね





えっ~と私が生まれた頃からですね!

私は昭和29年に生まれました

婆ちゃんの田舎は海と山・畑があるので食糧難の時代でも

食べ物に事欠くことは無かったそうです

相変わらず口煩い父 結婚して分ったことは酒癖も悪かった


そうしているうちに私が1歳過ぎても歩かないから心配した婆ちゃん

今みたいに赤ちゃん検診がない時代

私を籠に入れて畑仕事をしていたから そこまで気付かなかったと思う!

可笑しいと思って病院へ連れて行き診察したら股関節脱臼と判明。。

骨も成長している状態になっていて治療は長くなるみたい・・

子供ながらギブスをつけた私 重いのに良く歩いていたと

何ヶ月間は入院した記憶があって 

そのあと婆ちゃんは私をおんぶして病院通いしていた



昭和34年 皇太子殿下ご成婚


それから 小学校低学年頃に父の実家から離れ隣町に引越しました

そこで豆腐屋をしていたけど何故かお店をたたんでしまったのです(父の影響かも?)



それで家族は関西へ行く事になりました

大阪へ行っても これといった仕事が無いから

誰でも雇って貰えた建築の仕事をしだしたと思います?

家族の半場生活(プレハブの建物)が始まります

母は職人さん達の食事を作る炊事婦として働き私達はそこから学校へ行くのです

一つの現場が終ると次の現場へと行く生活で

学校も その度に転校したりして ほんと嫌でしたね



昭和38年 ケネディ米大統領暗殺

昭和39年 東京オリンピック開催



兄達も父と同じ仕事をしだし大阪・名古屋・京都と各地を転々としていました

この時に弟が生まれ 私も転校する辛さを味わい良い思い出なんかなく
 
弟だけは嫌な思いをさせたくないので家を買う思いを両親に伝えました



それと関西に行ってからも父の酒癖は悪く

飲むと人が変わって近隣に迷惑をかけちゃ口煩くてシツコイのです

酒を飲みだすと怖いし相手にすると口喧しくなるので

婆ちゃんと一緒に公園に逃げて 父が寝静まったころ帰宅するのです

警察のご厄介もあったりして 一時 離婚を考えていた婆ちゃんなのです


父との楽しい思い出なんか一つもあれへん

“早死にしてくれ”と心でぼやくほど父を憎んでいた

家族にとって あまり思い出したくない時代・・



『婆ちゃんが歩んだ人生』を書く事で認知症になった原因が分るかも






                      訪問ありがとうございます



              
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