本日は少々時間が取れましたので、私が以前撮影しました103系の写真を一部公開します。(また、103系シリーズで申し訳ありません)本日公開するのは中央西線の水色時代の103系です。
名古屋口の中央線(中央西線)には昭和52年より103系が52両投入され、名古屋~釜戸間?で使用されました。編成は基本編成がMc M' T M M' T'cの6両編成と附属編成がMc M' T T'cの4両編成で構成され、ラッシュ時は10両編成で使用されました。また、主な改造はデフロスタの取り付け、助手席側にワイパーの取り付け、Mc・T'c車にサボ受けの設置などが行われました。昭和61年11月からは今まで編成が6+4であったのを7+3に変更されました。
中央西線の103系はなぜ水色なのかというのは、理由がわかりませんが、南武線や横浜線のように転入前のカラーが大部分の車輌で水色だったからではないかと思っており、当時、財政事情の悪い国鉄では色を変えるだけでも大変だったのではないかと推測しております。(たしか塗装変更するのに1両30万円だとか?)また、前面の行先表示の部分が中央線と表示され、晩年の頃は行先表示が使用されておりました。前面の通風口もあて板で塞いでいる車輌が多いのも神領区の特徴です。
名古屋口の中央線(中央西線)には昭和52年より103系が52両投入され、名古屋~釜戸間?で使用されました。編成は基本編成がMc M' T M M' T'cの6両編成と附属編成がMc M' T T'cの4両編成で構成され、ラッシュ時は10両編成で使用されました。また、主な改造はデフロスタの取り付け、助手席側にワイパーの取り付け、Mc・T'c車にサボ受けの設置などが行われました。昭和61年11月からは今まで編成が6+4であったのを7+3に変更されました。
中央西線の103系はなぜ水色なのかというのは、理由がわかりませんが、南武線や横浜線のように転入前のカラーが大部分の車輌で水色だったからではないかと思っており、当時、財政事情の悪い国鉄では色を変えるだけでも大変だったのではないかと推測しております。(たしか塗装変更するのに1両30万円だとか?)また、前面の行先表示の部分が中央線と表示され、晩年の頃は行先表示が使用されておりました。前面の通風口もあて板で塞いでいる車輌が多いのも神領区の特徴です。